蓮(ハス)というと、普通、インドとお釈迦様のような話を連想することが多いのではないかと思います。蓮には、睡蓮という言い方やギリシャ語起源のロータスといういい方もあります。そして、この蓮というのは、一緒に文明をさかのぼっていくことができます。このことは、不思議の一語だと感じています。
私は、この蓮(ロータス)と、文明の起源や、そのとき生きていた人々が渇望していたものの間は切っても切れない、繋がっているのでは、と深く感じています。文明の源、人間の原点、そして人々が渇望していたものとは。蓮(ロータス)との関わりのなかに、一つの解があるのでは―――このことは、一つの願いとなって、私のなかで大きく育っていました。
そしてこの願いは、インドとお釈迦様を思い浮かべるハス(蓮)から、ロータスの華となって、古代エジプトへ、時という空間と一緒に解を求める旅として、形を目で見る機会として実現しました。太陽はロータス(蓮)が生む、という神話がある古代エジプト。向かったルクソールのデンデラの神殿で「ロータスから太陽が生まれる図」を見つけたときは、エジプトに解を求める旅に出て、本当に良かったと感動しました。それは蓮の上に太陽が生まれる、法華経との関連を感じた瞬間でもありました。また王妃の谷で見た『ロータスの上のホルスの四人の子供たち』は、蓮華(ハス)の上にいる四菩薩を思わせるものでした。これはエジプト、インド、中国、日本、とつながっていく発想の裏付けとなりました。
そして、『ロータスの花台上のツタンカーメン王頭部』の像を見たときの感動。一瞬の中に、生命と生命が直に接触した突き抜ける歓喜を覚えました。「見た」という事実を通して、この生命と生命が直に接触して感じたなかから生まれることが、いかに大切であるか、田渕先生が熱く語っていたのを想い出します。
この『ロータスの花台上のツタンカーメン王頭部』は、この時期の肖像としては最高傑作の一つです。その台座には水の上に青い花弁のロータスの花開く様子が表されていました。ロータスの花は夕方に閉じて、水面下に沈み、そしてまた翌朝再び水の上で花開く。そのため古代エジプトでは、冥界で夜を過ごした後、毎朝地上に還る太陽神を連れてくる花として考えられていたようです。そして、この時代は王が太陽神と同一視されていました。この彫像は、まさに朝になると再び花を開くロータスのように、太陽神になぞらえた王が永遠に生まれかわることを象徴的に表現したものであったようです。
このロータスと太陽の関係は、エジプトへの旅にでる前から、これからの世界を見ていく上で、とても重要なカギがあると感じていたことです。そのことを確信できた、古代エジプトの旅であり、『ロータスの花台上のツタンカーメン王頭部』の彫像でした。今、思い起こしても、感動、歓喜に震えた瞬間です。
シルクロードは日本とアジアを結ぶ文明の道です。ただ、この道は部分的です。文明の深い淵源をエジプトの大ナイルの地に、そのナイルの源、アフリカのムーンマウンテンは人類発祥の地とされます。そして人類の道具の始めもここにあるといわれています。この古代エジプトから日本までつながっていく、東西の蓮(ロータス)の文明の道に、新たな時代、新たな天地に運ぶべき原点があるのでは、と思えてなりません。
これはあくまでも仮説ですが、ロータス(蓮華)は、エジプトを起源にして、ユダヤ、キリスト、仏教へと関わり伝わったのではないか、と考えられます。全ての宗教、全ての人類の源は、太陽とロータスにある。その源が、ここエジプトにあると思えるのです。我々人類は、もう一度ここで、このことを考えてみる必要があるのではと思い、「太陽とロータス(蓮華)を原点」に、源に返って、今、出来るところから変えて行こう。そして経済のシルクロードではなく、文化と平和の道として、新たな「ロータス・ロード」を造り、歩んでいこう、と。
「大悪起これば大善きたる」と大聖哲の言葉にあります。今は、大きな潮目のときだと感じます。次に起きる潮目を見据えて、いかに考え、いかに行動していくか。仏典には「如蓮華在水」とありますが、それは蓮華(ロータス)は泥の中から出てこそ、きれいな花を咲かせる、ということです。
蓮華(ロータス)から太陽が生まれるというのは、現実がいくら混沌として穢れていても、その人間社会から文化の花を咲かせるべきであるとの意味が込められているということでしょう。この、現実から逃げない姿勢を貫いてこそ、人間主義であり、生命主義といえる、と実感しています。今、還暦を迎え、新たに生まれ変わって、あと30年を、この「サン・ロータスの道」に則って生きていきたい、との私の夢であり、強い思いと願いです。
その思いを、このサン・ロータスWebサイトにさせていただきました。
竹岡 誠治
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