2005年8月20日 陽光に緑輝く、ここロンドン郊外のタプロー・コートの地で、今再び田渕先生、渡辺節夫氏、松下雄介氏と芸術と人生について語り合っている。私の胸は喜びにあふれ涙がほとばしり、止まらない。 ちょうど一年半前、この本の為にエジプト、フランスを旅して日本に戻った直後に、私は謂われなき罪によって権力により身柄を22日間拘束された。それは事前に何の予兆もなく突然実行された。狭く空気の澱んだ留置場の中で、一体何事が起こったのか整理が付かないまま、早朝から深夜まで六人の取調官によってあの手この手で責められ、私に自白を迫り、ひいては友人のスキャンダルの告白まで強要された。 私は精神的にも肉体的にもパニックに陥った。特に留置場の中は全くと言っていい程空気が流れず、呼吸困難と背中の痛みに一分が一時間にも二時間にも感じられた。この極限の苦しみから脱するには、祈るしかないと頭でわかりつつも権力の悪と対峙する闘志は萎え、約十畳の空間でのたうちまわるしか、すべがなかったのである。そんな時に、折りしも直前に訪ねたフランスのルーヴル美術館等の図録数冊が差し入れられた。しかし、ルーヴルの至宝も私の苦しい胸の解放には至らなかった。中世のキリスト教芸術は、逆に私の胸を締め付けた。 かろうじて私の胸中に風を送ってくれたのは、オルセー美術館の図録にあったフランス印象派モネの『カササギ』(1868〜69年)と海辺のホテルのテラスを描いた『オテル・デ・ロシュ=ノワール』(1870年)であった。『カササギ』は真っ白い雪の中に一羽のカササギが木の柵にとまっている単純な絵であるが、私の苦しい胸の内にほっとする癒しを与えてくれた。『オテル・デ・ロシュ=ノワール』は、澱んでいる部屋の空気にサッと一陣の風を吹かしてくれた。 そして何よりも何よりも私の生命を救い、祈る為の根源の力を与えたのは、何と田渕先生の絵であった。差し入れられた『花のアフロディテ』(前回のギリシャ・イタリア旅の記録)の口絵であったギリシャのデルフィの絵は、私の胸に強い強い希望の風を送り込んだ。そして「祈るぞ! 祈ってこの難局を乗り越えるぞ!」との闘志をムラムラと起こしてくれた。 「山の霊気があたりを包み 絵の下に書かれた田渕先生の詩もまた、新鮮な酸素を血管の中に送り込んだ。闇の中でのたうちまわる私の胸中に、再び太陽が昇った。私は祈る力を取り戻し、無謀な取調官と全力で対峙した。そして勝利した。 あきる野美術工房の会報誌 『人間の港 第8号』 ”勝利の大陽”に、 「滅びの美学をうたう人がいるが、我々にはそんなものはない。 と、田渕先生はつづってくれた。 本物の芸術は人々に風を送り、希望と光と活力を与えるものである事を知った。 これからの人生は多くの方々への恩返しの人生を送ろう、旅の中で約し合ったわれわれの記念すべき2030年を目指し、太陽とロータスの道を造ろうと決意している。最後に、私に何があっても私を信じ支援していただいた多くの方々には、一生かかっても恩返しできない程の恩を受けました。心から感謝して、あとがきとします。 |