2009年6月1日
29日の朝、ホテルに荷物が届く。
もう荷物のことなんかどうでもいいんだ。お前はこの地に来たんだから、それだけで大満足なんだ、との失意を乗り越え、執着がなくなっていたところだった。
そしたら出て来た。
スーツケースを開けると、朝一番上に「師弟の光」の本が、ピラミッドの頂上から届いたように、光って私の眼に飛び込んできた。
私は感動のあまり、喜びに震えた。カイロの日の出を描こうと暗いうちから起き出していた田渕先生とその一行に、この喜びと感動を伝えた。田渕先生は強烈な日の出をキャンバスに収めると、その絵のタイトルを「師弟の光」と名付けてくださった。
「天に登るピラミッドの頂点が、私を引き上げてくれた気がします」
「それは、人間もかくあれということですね」
「そういう人間がほんとにいなくなった。池田先生だけだ。そのもとに民衆が集まってピラミッドのような美を創りたいね」そう田渕先生が締めくくった。
その日は一番でカイロ博物館に並んだ。するとそこに日本にいる光城から電話があった。「山崎正友が死んだよ」と。師匠を裏切ったあげくの悲惨な死であったようだ。
私の人生の一つの決着がついた。
彼とは、彼が師匠、池田先生を裏切る前に縁があった。その裏切りによって、私の人生に影響がなかったとはいえない。その意味では、師匠をどんなことがあっても護りたい、という私と、裏切っていった彼との、生命と生命の壮絶な戦いの決着でもあった。
師匠からいただいた「師弟の光」の本が帰って来たその日に、師匠を裏切った彼が死んだとの報を聞き、師匠を護る戦いに、「勝った」という思いが込み上げてきた。
仏法には多くの民衆を温かく包む慈悲と同時に、その民衆を苦しめる敵を決して許してはならないという両面がある。しかし彼も、釈迦の弟子の提婆達多がそうであったように、毒鼓の縁によって救われるときがあるだろう。それは法華経の行者を謗じ批難したり、裏切ったとしたら必ず地獄に堕ちる。逆にそのことによって反省し、成仏の因となるとの原理がある。
カイロとは「勝利者」という意味だと聞いた。その「勝利者、カイロ」は、池田先生が大阪事件の裁判で「控訴無し。不起訴」の知らせを昭和37年2月8日に受け取られた地でもある。私はこのことに不思議な縁を感じた。
そしてカイロ博物館に入った。「ラ・ヘテプ」や「ネフェルト」の彫刻を観る。まさしく、生きている、としかいいようがない。感動で足が止まったままだ。エジプトの彫刻の凄いことはわかっていた。しかし、なんで凄いかがわからないまま、ここまできた。ある部屋で田渕先生の足がパタッと止まった。
ガイドのカイリーさんが言った。「この部屋に王、ファラオはいない」
ファラオの彫刻は一つもないのだ。王に仕えた人たちの彫刻だけだ。でも、みんな生き生きとしていて動き出しそうだ。彼らの中から、この彫刻の中から、まるで太陽の光が放たれているようにも感じた。
「このエジプトの芸術の根源はなんだ?教えてくれ!」
と、思わず、ラ・ヘテプに、ネフェルトに叫んだ。
ファラオはミイラになる。しかし、偉大なる王に仕えた人はミイラにしない。偉大なファラオと一緒に、彫刻となって埋葬される。「なぜだ?」
書記は筆を持ち、料理人は包丁をもった姿で。
パン生地をこねている人もいる、ビール造りをしている人もいる。
みんな、王に仕えていた、そのときの姿のまま、とても誇らしげだ。「あっ!」
私ははっと気づいた。
主従ではないんだ。
彼らの関係は師弟だったんだ。
彫刻となって、今そこに生きている、彼らの声が、聞こえた気がした。
そうか、主人と家来の関係ではなかったんだ。偉大な王である、偉大な師匠に仕えた、弟子だったのだ。だからみんな生きている、喜んでいるのか。彼らの中から光を感じたのは、そのためだったんだ。偉大な王である、自分の師匠が生まれ変わるミイラ。自分もまた一緒に生まれ変わって、仕えたいのだと。だから、いま生きているそのままの姿を、彫刻としてファラオと一緒に埋葬するのだ。ファラオが生まれ変わったとき、自分もまた生まれ変わるのだ。凄い。
私はそこに、弟子の姿を、心を、見た気がした。仏典で言う、「在在諸仏土常与師倶生」(諸の仏土に在って常に師と倶に生ぜん)と同じなのだ。
人生、何のために生きるのか。
あの孔明もそうであった。それは師匠と弟子という、師弟に生きる中にある。弟子は師匠が喜ばれることのために生きる、そうすれば自ずと、自分が太陽のように光っていくのではないか。それが師弟の光なんだ、と思いを深めた。地位や名誉や外聞などをかなぐり捨てた、師弟の光にある、と。
そして、ここエジプトの芸術の根源は、師弟の光だったんだ。まさに生きているラ・ヘテプやネフェルト、そしてパン生地をこねている人、ビール造りをしている人たち、書記や多くの人たちは、偉大な王である自分の師匠のために生きていたんだ。来世も師匠であるファラオと一緒に生まれて、仕えていきます。だから彫刻にして王と一緒に残してください。一番いい衣服を着て、一番いい顔で、胸を張った姿でファラオのミイラと一緒に残してください、そんな思いが伝わってくる。
彫刻は、今の写真の代わりであったようだ。記念の姿を王と一緒に残すためのものだった。田渕先生は、「これらの彫刻はまず絵を描いて、それを元に彫刻としたものに違いない」と申される。
このことは、ルクソールの博物館に行って確かなものとなった。それは、方眼紙に描いた彫刻の下書きの絵があった。これはまさに、今、生きている自分の姿を彫刻に残すために絵にしたあとだ。偉大なファラオが生まれ変わったとき、自分もまた生まれ変わるために。人生のすべての価値の中で、最も崇高で尊い価値とは何か。それは金銭でも名誉でも地位でもない。「師弟」に代表されるかけがえのない生き方そのものなのだ。
エジプトの芸術の根源は、師弟の光だった、と確信した。 前編へもどる
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