2009年10月15日 次にボストンに移動した。ここは旅立つ前から楽しみにしていたところだ。それはロータス・ロードのキーワードを語り合ったときに田渕先生が話されていた処の一つだった。 ハーバード大学ではこれが学生食堂か、と思える建物に接した。それは、とても荘厳で重みを感じる建物だ。この中で、日常のこととして食事をとる学生たち。自らが意識しなくても自然に身についていくものがあるように思えた。はたして日本にこのような学生のための食堂があるだろうか。もしかしたら卒業した後には、この日常の違いが大きく出て来てしまうのではないかと日本を思った。 ハーバード大学の美術館で、ゴッホと出会った。ゴッホは釈尊の弟子となって人生を歩み続けたいと願っていた芸術家だ。 ここには敦煌の仏像の逸品ともいえる宝物があった。この光の中で見れることに、とても意義がある。実は敦煌ではかなり暗いところの仏像を見ることになる。この仏像たちの美しさがあったから、仏教は中国に伝わった。美が、芸術が、宗教そして文化を伝えていったのだ。国の行く末を祈って作られたに違いない、とこの仏像を見ていると感じた。 そのあとプルデンシャル本社のあるショッピングセンターで夕食を取った。翌日に行ったボストン美術館ではさらに白馬寺の仏像に感動した。 ボストン美術館は東京芸術大学を創立した岡倉天心のエピソードも残るところだ。それは、「明治36年(1903年)、天心は米国ボストン美術館からの招聘を受け、横山、菱田らの弟子を伴って渡米。羽織・袴で一行が街の中を闊歩していた 際に1人の若い米国人から冷やかし半分の声をかけられた。「おまえたちは何ニーズ? チャイニーズ? ジャパニーズ? それともジャワニーズ?」。そう言われた天心は「我々は日本の紳士だ、あんたこそ何キーか? ヤンキーか? ドンキーか? モンキーか?」と流暢な英語で言い返した。 "What sort of nese are you people? Are you Chinese, or Japanese, or Javanese?" 飛鳥寺の原型になる北魏の仏像であり飛天だ。 ニューヨークに移動。グラウンドゼロで方便、自我偈を唱え冥福と平和を祈った。そして自由の女神を見にリバティアイランドに渡った。ここではクロアチアから観光で来た女性と運命のような出会いがあった。あまりの美しさに記念写真を頼んだところ彼女は快く応じてくれた。 次の日はメインに予定していたメトロポリタン美術館に行ったところ、国連総会で中止になっており、入ることが出来なかった。しかしMOMA(ニューヨーク近代美術館)でモネの大作の特別展示があった。思わぬ形でモネに会うことができた。 「宇宙が詰まっている」 不思議だ、本当に不可思議としかいいようがない。妙とは不可思議の異名なりだ。最後に、エジプトに行き着いた。エジプト展示に会うことが出来たのだ。ギリギリ時間が無いところところで飛び込んだのがニューヨーク郊外にあるブルックリン美術館だった。美術館を探していたところ偶然に見つかった。 一番最後にエジプトの女性の顔を描いておさめた。かくしてエジプトから始まった旅は、太平洋文明の終着点であるアメリカの美術館で、エジプトの女性の顔の前で終着となった。ブルックリンの美術館を出ると爽やかな秋の空が広がっていた。 国の行く末を祈って作っているかどうか、ここが一番大事だと思っている。芸術は光だ、太陽の光だ。宗教の対立、国家の対立、民族の対立を超えるのは芸術ではないか、と思っている。ただ、その芸術の根底にある思想、哲学が一番のポイントだろう。 この旅の出発は、蓮(ロータス)と、文明の起源や、そのとき生きていた人々が渇望していたものの間は切っても切れない、繋がっているのではと深く感じ、文明の源、人間の原点、そして人々が渇望していたものはとの問いに、蓮(ロータス)との関わりのなかに、一つの解があるのではと、文明の淵源である古代エジプトに解を求めに出たところが始まった。一瞬の中に、生命と生命が直に接触した突き抜ける歓喜。ギリシャ、イタリア、フランスそして韓国、中国、日本と「見た」という事実を通して、この生命と生命が直に接触して感じたなかから生まれることが、いかに大切であるかを実感した旅の連続でもあった。 全てのどんな闇も、一たび太陽が昇れば闇は消え去っていく。大宇宙の法則だ。この太陽の光から生まれる芸術という形は、全てのいかなる対立をも乗り越える力を持っているということを、あらためて強く確信したアメリカの旅であった、とニューヨークの空港の待合室で思っていた。 |