2009年12月14
世界の至宝を守って かつての古代ローマ帝国を偲ばすようなアメリカを歩いて来た。竹岡誠治氏が先導し、「美術紀行』3巻を一緒に編んだ渡辺節夫、松下雄介両氏に、われわれの仲間、亀田潔氏、川北茂氏が同行の旅であった。ローマと現代のアメリカ、いや、それに追随する物質文明全体が、どこかダブって見える。 世界に君臨したローマは、「すべての道はローマヘ」と、世界に冠たる力を持ち、巨大な建造物を造りながら、精神的には古代ギリシアに負うていた。古代ローマの遺産はイタリア・ルネサンスの開花に貢献した。古代ローマでは、神々を信じているとはいうものの、表面的な形だけのものであった故に、新しい創造には展開しなかった。後年は、当初、迫害し続けたキリスト教によって国家は造られていった。 アメリカ大陸を歩いて見ると、おびただしい名だたる印象派の作品を眼にする。人権宣言を魂として発したフランス革命とアメリカの独立は、大西洋をはさんで見事な花(印象派)を咲かせた、その証しを見た。さらにアメリカには、古代エジプト、古代中国等の世界の美の集積があって、その力に驚嘆した。 貴重な人類の至宝はアメリカにあって、大切に守られて、静かに来るべき時を待っているように見える。世界の民族によって構成されているアメリカの動向は、これからの人類のために、重要な役割を持つことになる。真実の民主主義を支える新しい東洋からの光を、アメリカは待っている。 美は世界を高貴にする シカゴ 9月17~18日 光は、全米一ともいわれる七色に変わる公園の噴水に映えている。ミシガンの湖水をバックに、光は青から淡いピンクに、そして広い上空の闇に消えている。いかめしい黒いビルのたたずまいは灯をともして、そのオレンジの色が夕空に呼応して、街を包んでいる。自然の力にかなうものはない。 ホテルの夕食は、アメリカの開拓魂とでもいうものか、肉にケチャップ味で、そんないただけるものではないが、翌朝のシカゴ美術館には驚いた。人間の喜びがあった。 ルノワール(『テラスの姉妹』1881年)の鮮度の高い赤と青の色調から始まって、ロートレックの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット』(1889年)、ゴッホの「自画像』(1887年パリ時代)、モネの「積み藁』の連作(1890/91年)と、鮮烈に飛び込んで来た。 さらに、中国、六朝からの名品の数々には驚いた。しかも、大切に立派に飾られている。美には、所有者はいない。人の中から生まれてきた宝は、人類の宝である。美に触れてみると、美を持ったこの街が、何故か貴く見えてくる。何ともいえない充実感と喜びが、こみ上げてくる。 異国の私の姿を見て、何も言わないのに、シニア料金で入場させてもらった。人間を守る美術館の心が嬉しく、また、こんなに満足を頂いているのに、すまないような気持ちになった。 奥行きと大陽のある芸術 ワシントン 9月18~19日 ここに、イタリア・ルネサンスの巨人レオナルド・ダ・ヴィンチの名品(『ジネヴラ・デ・ベンチの肖像1474/78年)がある。無数の作品を土台として、人間はここまで造り上げた。色を着けてスケッチして、心ゆくまで見させてもらった。生命の接触とは、こういうものだ。生命が生命を造っていく。巨人の生命が、我が体内を駆けめぐってくる。魂の血潮が繋がってくる。真に至福の時間であった。
人間が信仰を失ってくると、平面に現われる奥行きがなくなってくる。単なる物質的な平面であって、イラストとも図面ともなってしまう。平面に無限の広がりと深さを持って、宇宙が現われてくる。さらに、至難のことであるが、太陽の光と温かさを平面に取り込むことができれば、これこそ名品である。これこそ、魂の財宝である。ここに、平和も喜びも幸福もある。 真にレオナルドのこの小さい一品は、これを証明している。人間は、奥行きのある絵に接していると、脳の前頭葉が開発される。右脳でも左脳でもない。ここに、人類が未来を予測し、希望を造り、智慧を出す能力の根源がある。前頭葉の発達、これが哺乳動物、なかんずく、人間の特色である。 現代の高度の機械化の波は、能率と効率をねらいながら、人間のこの能力を開発することを止めてしまった。美術抜きの時代である。人間は、単なる力ある野獣となってしまった。古代エジプトから始まった、奥行きと太陽を取り込む人間の技は、やがてギリシアから第一、第二ルネサンスと動きながら、人間を導いてきた一筋の光であった。ワシントンの魂として建つオベリスクは、この光を意味するものと思える。 人間は、貴重な力を忘れてはならぬ。お金では買えぬ、人間の信仰の力。レオナルドからの啓示は、重いものがあった。 奥行きと太陽いだきて走る技 |