2009年12月14 東方からの光 ボストン 9月20日〜21日
「日本の芸術を研究すれば、誰でももっと陽気にもっと幸福にならずにはいられないはずだ」(J・V・ゴッホ・ボンゲル編「ゴッホの手紙』硲伊之助訳より)と、「ただ一茎の草の芽を研究している」日本人のように、自分ももっと幸せにならなければならないと、東洋の僧侶にあこがれて髪を剃った自画像である。エメラルドのバックに、吸い付けられた。 そして、同じハーバードに、敦煌莫高窟第328窟の唐代を代表する『跪坐菩薩像』があった。ハーバード出身の東洋美術史家ウォーナーが、壁画などとともに1923〜24年にかけて現地から持ち帰ったものである。 ウォーナーはその行為によって、盗人同然だと非難される。月を愛でていた隙に泥棒に衣服や持ち物を盗まれた芭蕉は、「泥棒が見つかったら、この美しい月もあげたい」と語ったというが、美しいものは人の心をも変える。 美によって心を浄められたためか、やがてウォーナーは、第二次大戦時、奈良・京都が連合国の攻撃対象から外されるよう尽力することとなる。無心の一見、力ない美に、無限の力があった。また、結果として、ウォーナーによって、東洋の心が、熱砂を抜けて世界の人のものとなった。 次の日に訪れたボストン美術館には、中国最古の仏教寺院、白馬寺(洛陽郊外)の『菩薩座像』(東魏530年頃)があった。こんな美しい仏像があったものか。 かつて美術館の中国・日本美術部長として活躍した岡倉天心が、この像をフランスで見て購入を熱望したものの果たせず、その遺志を継いだ人物によって寄贈されたもので、「岡倉天心を記念して」と表示されているが、ここボストンの世界第一の檜舞台に、世界の美の集積地に、人類融合の願いを持って、東方の光が静かにしかも厳然とあった。 自由の女神 ニューヨーク 9月22〜23日
すべての民よ、来れ。我々の国は、自由の国である。入った施設には、旗を立てて、船を出して、総出で祝う人々が描かれてあった。以来200数10年、この国から新しい精神文化に貢献する、レオナルド・ダ・ヴィンチほどの作品が現われたであろうか。 作品の善し悪し、真実の有無は、二百年が経ってみなければ解らない。有名、無名を問わず、権力、権威が動く問は解らない。一切の関係者がなくなって、その作品そのものが、人間の港に受け入れられるものであるかどうか。願わくは、人間は人間のもとに帰りたい。 厳しき審判は、二百年を待つ。世界の都市、ニューヨークで、抽象画の創始者と称されるカンディンスキーの絵が展示されていた(グッゲンハイム美術館)。有名でも、人間の考えるところは、何と同じパターンのものか。人間の智慧は知れている。 近代美術館(MOMA)で、ピカソもマティスも展示されていた。世に近代絵画の父と云われるセザンヌも見た。実際にこの目で見なければ、解るものではない。何とはかなく、むなしいものか。いのちの光を失っている。ここから、破壊の一歩は始まっている。 古代の名品は、祈りの中に、人と世にかかわって生まれていた。これら現代の作品は、国家と社会を祈ってできたものではない。人間の伝統と先人の道を深めたものではない。 道がない。何と稚拙で、奥行きも太陽もない。ルネサンスの終焉を証明している。事実、この世紀に入り、社会が求めたこれらの台頭のもとに、戦争という人々の苦しみは始まった。生命を破壊する現代の妖怪である。 マンハッタンを望むリバティ島の自由の女神の下で、金髪をなびかす二人の美女が絵のモデルになってくれた。クロアチアの人であった。何と天真爛漫で、屈託のない美しさがあるものか。 一時の出会いが未来を決める。新しい美が、我々のもとに宿ろうとしている。 短い旅が終わった。 |