2009年春 エベレスト街道トレッキングツアーの後
神々の山
四月三十日(木) 東京・千駄ヶ谷 晴
[夕刻五時、ミウラドルフィンズで、三浦雄一郎氏に今回制作の絵とともに近作を見ていただく。豪太氏、竹岡誠治氏も同席]
雄一郎 (エベレスト・ビューから、エベレスト方面を描いた二枚組を見て)見事な絵ですね。
豪太 よく酸素の薄い中、描かれましたね。
田渕 いや、まだまだです。もっと時間がないと描けません。神々の山を、いっぺんに仕上げようというのは、傲慢です。
豪太 (ギリシャ・スニオン岬の二枚組の絵を指して)これ、けっこう好きです。
田渕 これは、二、三日かけて仕上げたものです。山も、一枚にそれくらいかけないといけませんね。自然はじっとしていないし、朝の天気のいいうちにしか、描けませんからね。朝早く、ぱっとやり始めないと無理ですね。
豪太 しかし、今回は天気に恵まれた方です。エベレストが、滅多にあれほど見られるのは少ないんですよ。
竹岡 田渕先生は、今回行って、エベレスト街道を、モネの睡蓮に匹敵する九〇メートルの大壁画に挑戦することを決意されました。
雄一郎 エベレスト街道の九〇メートルの絵……。可能ですか。
田渕 原画があれば可能です。今お見せしているのが、原画になります。小さいもののエネルギーを、そのまま大きい画面に写せますから、できます。小さい絵を、大きくするには境智がいります。ちょうど水を器から器に移すようなものですが、そのとき、水がこぼれるのを注意しないといけないように、大きい絵にするには、それなりの写し方が必要です。アルプスの絵でやってみていますが、今、それができかけています。
雄一郎 なるほど。エベレスト街道が一段落したら、もう一つ描いてもらいたいのは、チベットです。こちらは、世界が全然違う。単純化されている。世の中にこんなところがあるのかと、想像を絶する世界です。
田渕 まず、エベレスト街道をやってからですね。この次、十一月に行くときは、しっかり絵をやり上げて、基点を作りたいと思っています。
竹岡 エベレスト街道も、今回行った先に、いいところがあるそうですね。
雄一郎 それは、カラパタールです。そこからは、エベレストが主役で見えます。その場所で絵を描いていただければ、僕も嬉しいです。
竹岡 エベレスト・ビューから、そこまで、何日の行程になりますか。
雄一郎 歩くと初日が、タンボチェ。そこには見事な寺院があります。その後、ざっと数えて、だいたい五日でしょう。その途中の景色もいいです。迫ってくるものがあります。
田渕 ヒマラヤの世界は、話だけでも、すごいところですね。
雄一郎 すごいところです。ヒマラヤというのは。
竹岡 初めに着いた、ルクラの空港からして、びっくりしました。坂道のような滑走路で、山にぶつかるように降りるんですから。
雄一郎 あそこは、もとは舗装してなくて、その頃は、もっと恐かった。もう五十年前から行っていますから、その頃のことも知っているんです。カトマンズには、車が走ってなくて、あの頃は、おとぎの国のようでした。
[ここで、雄一郎氏の顔の絵を描く。その間に]
雄一郎 ネパール側は、エベレストには歩かないと行けませんが、チベット側は、車で入れます。ヒマラヤは、五千万年前に、インド大陸とユーラシア大陸が衝突してできたものです。そのとき、インド側はのめり込んで、チベット側は乗り上げたんです。だから、チベット側は、車でベースキャンプ、われわれは大本営と呼んでいますが、そこまで行くことができます。チョモランマ(エベレストのチベット名)は、チベットからは、宇宙から鳥が降りて来て羽を休めている、そんな姿をしています。山は近くに見えて、双眼鏡を使ったら、稜線を人が登っているのも見えます。
雄一郎 基本的には、チベッタン(チベット人)とネパールのシェルパは同じ民族です。イスラムの迫害を嫌ったチベッタンがヒマラヤを越えて、ネパール側に住むようになったのが、シェルパなんです。ヒマラヤを越えたのは、もともと五〜六千人で、今でも三万人。シェルパはみんな、親戚どうしです。まずはじめに、ナムチェに入って、それから広がったようです。
山との呼吸
[絵ができて]
田渕 最初の出会いをとどめさせていただきました。
雄一郎 いい男に描いていただいて……。
田渕 描き手はたいしたことありませんが、描く対象が世界一ですから、いい絵ができない訳がありません。雄一郎さんは、お会いして、すごい、澄んでいる方だと思いました。驚きました。
竹岡 こういう方でないと、エベレストが受け入れてくれませんね。雄一郎さんは日本人の誇りです。多くの人に希望を与えておられます。
田渕 山では、運命を自然にゆだねなくてはならない。描かせてもらっている。そんな気持ちがないといけませんね。描くぞという意思はあっても、自然そのものが受け入れてくれているか、それが大事だとわかりました。
雄一郎 二〇一二年に、チベット側から登りますから、一緒に行きましょう。
田渕 十一月の旅も、そのチベットも行って、全部メモを取ります。
豪太 (油絵を指して)これは、メモですか。驚きました。(笑)
田渕 そうです。大きな壁画のために、人間の目でこうやって取ってくる必要があります。エベレスト街道は、四十億年の地球創成以来の歴史が形となって刻まれています。最後の手つかずの形が残っています。とにかく、この次から勝負です。
後編へつづく
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