2007年5月3日 インド、ベナレスのガンジス河はゆっくりと流れ、人生の矛盾も相反も混沌としてすべてを飲み込む。2007年3月10日と11日と、続けてガンジスの日の出を見た。全インドから巡礼の人々が集まり、祈りを捧げる。 初日は、小舟をチャーターした。上流のガートでは遺体を焼き、その隣りでは、たくさんの人々が洗濯にはげみ、少し沖合には動物の死骸が流れる。そしてその直ぐ下流では、ヒンズーの人々が沐浴をし、ガンジスの水を飲む。悠久の流れと変わらぬ営みを、聖なる太陽が照らす。 3月11日は、岸辺の一角にたたずみ、人々の祈りと儀式を凝視した。数多くの縁台のようなものに大きな傘を立て掛けた場が作られ、カーストの最上位の僧侶(バラモン)のもとに、全インドのヒンズー教徒が儀式と説教を受けに集ってくる。すると、すぐ隣りで、一人の壮年が涙を流し、僧侶の足をさすりながら、必死に懇願をしている。 傍のガイド(ランジット氏)に状況の説明を頼むと、「インドの奥地から親族の遺灰を持って、やっとベナレスにたどり着いた。全財産はあと10ルピー(日本円で約30円弱)しかないから、これで葬儀をやってくれないか」と信徒が僧侶に懇願しているという。しかし僧侶は「帰れ、帰れ、最低でも50ルピーないと葬儀はしてやらない」と拒絶しているというのだ。 私は、あまりの僧侶の態度の傲慢さに縁台をひっくり返してやりたい衝動を抑えかねていたその時、ガイドはすっと50ルピーを壮年に渡した。すると僧侶は途端に態度を変え、「仕方ないからやってやるよ」と遺灰を受け取った。私は、その時の瞬間をカメラに収めた。後日、日本でこの写真を見た私の長男(光城)は、「写真の左に写っている壮年が聖者で、右(実はこちらが僧侶)は極悪非道の人だ」と、詳しく説明もしないのに、そう感想を述べた。「まっすぐな澄んだ瞳(ひとみ)、そこに信仰がある」と、息子は言い、「生きた宗教は僧侶ではなくして、一人の壮年の方にある」と付け加えた。 ベナレスに、話を戻そう。親族を亡くした巡礼の人々は、追善の為に、ガンジスに花の精霊を流す。私は20ルピーで精霊を求め、その壮年にプレゼントした。「これを流して下さい」と。その壮年は、目に涙をためて、私に感謝の言葉を述べ、そして全財産の10ルピーを私に受け取れと必死に訴えた。私のガイドは「もらってあげて下さい」という。私も涙を流しながら、その10ルピーを押し戴いた。 今回の美の旅でもっとも感動した彫刻の一つが、このベナレス近郊のサールナート(釈尊初転法輪の地)でアソカ大王の残した『獅子柱頭』であった。田渕先生は、約六時間、その柱頭を五つの角度から写した。その間、一度トイレに席を外しただけで、あとは立ちっぱなしであった。 アソカ大王の生命の呼吸を紙に写し込む姿は、ギリシャのロードス島から始まった今回の旅の集大成ともいえる気迫と執念のこもったものであった。夕陽が西に沈むころ、私達は釈尊が初めて仏法を説いたその場所に立った。その寺院跡の中心のすぐうしろに、アソカの獅子の王柱が立てられていた。今は崩れているが、はっきりと文字が刻まれているのがわかった。 日本で手を尽くして、この文字を解説した書*を入手した。それによると、この法勅は11行よりなり、初めの二行は欠損し、3行目も数文字欠けて、「天愛詔す(アソカ王は命ずる)」というぐらいにしかわからないが、その後に「何人といえども、僧伽(仏教修行者の集団 和合僧団)を破ってはならない。比丘もしくは比丘尼(出家の僧・尼)で僧伽を破るものはすべて白衣を着させて(正邪を厳しく判別させて)、精舎ならざる処に住ませるように(和合僧団から追放せよ)」等と明記してあった。( )内、筆者注 欠落したところは、おそらく「釈尊の仏法をもって、全インドに広めよ。令法久住に努めよ。それをもって人々の胸中に希望を広めよ」等とあったに違いない。続いての部分の真意は、「その為の大切な和合僧団を破壊する出家の僧侶は、決して許すな。反逆者である彼らは、追放せよ」と解釈できる。この和合僧団を破壊する者への激しい闘争宣言は、広宣流布の大情熱があったが故の言葉であり、インドすみずみの全地域にまで、もれなく徹底せよと、激しく正邪の審判を指示しているのだ。 この大情熱があるが故の『獅子柱頭』であり、アソカの一念の強さが、仏法を全インドに広め、中国、韓国、日本へと伝えた源流の根源ではなかろうか。形の"みなもと"に触れた思いがしてならない。東西南北の四方を向いて四頭のライオンは、民を守る慈悲と敵を討つ激しさの両面を、見事に表現していたのだ。 田渕先生の絵画も彫刻も、 同じく深い深い"みなもと"から発している。美をもって世界を変えたい。人々の胸中に希望の太陽を昇らせたい。この強く明確な"みなもと"が、数多くの作品を生む。美と人生の根源を求めた旅も、一応の完結を迎える。 太陽とロータスを求めた全3巻の結論は、以下の通りである。 『太陽さえも生み出す根源の法があり、それが妙法蓮華の法である。蓮華(プンダリーカ)とは白蓮華をさし、この世界の至上の法を意味する。それがサン・ロータスの法であり、人生の道である。それは、この地球の調和と改革のために全てを捧げる生き方である』 なお追記であるが、私はどうしてもガンジス河の沐浴がしてみたいと強く願い、水泳パンツまで用意してベナレスに乗り込んだら、同行の松下雄介氏が、「それはならぬ。バイキンの塊のようなところで、履いた靴も取り替えた方がいい」と何度も繰り返すもので、私はその忠告を受けて断念した。 ところが3月10日の朝、小舟に乗る際、私が一番に乗り移り、次に渡辺節夫氏が乗り(田渕先生は岸辺の高いところで絵の制作で乗らず)、最後に松下氏の番であったが、いない。ふと見ると、ガンジス河で沐浴しているではないか。足を滑らせて、河に落ちたようで、幸い何もない水面に落ちたようで、けがはないようだ。 私は笑いをこらえるのに精一杯で、松下雄介氏がわれわれを代表してガンジス河で沐浴しているところを、カメラに収められなかったのが、唯一心残りでならない。 ※高楠順次郎監修『南伝大蔵経65 |