2010年8月 エベレスト街道を登り、ホテルエベレストビューに滞在して、田渕先生が描いた絵を持って三浦雄一朗さんに2人で報告に行った。 こうして私たちは2010年5月3日から17日までネパール、エベレスト街道の旅人となった。いつものように三浦豪太さんを隊長として、日本→タイ→ネパールの道順で旅が始まった。雄一郎先生のお声がかりということで、今回のスタッフはエベレスト登頂日本隊のように豪華なものとなった。というのは、雄一郎先生のアタック隊そのもののようなスタッフを用意くださったからだ。 「共に手を携えていきましょう」 5月3日成田発、バンコク経由でカトマンズ入った。バンコクでは交通手段のスト、タクシン派の赤シャツ姿の人たちがバンコク市内を占拠する混乱の中に到着した。 5月4日。バンコクからカトマンズに着いたところ、今度はオマイストがバンダをやっているという。(※)バンダとは一種のゼネラルストライキで、幹線道路を分断封鎖して、自分たちの主義主張を訴える手段である。 翌日5月5日は、4時に起床してマオイストのバンダが行われる前に国際空港に到着した。カトマンズから6:24発の飛行機でシャンボチェ着の予定が、天候不良のためルクラに降りた。天候には勝てない、残念だが一旦は、歩いてナムチェに2日間かけて登ることに決めた。「ぎりぎりまで待とう」と貫田さんが言われ、ルクラでしばらく待つことにした。 ナハコンデンというロッジでダルバードの昼食をとって待機していると、今までの天候不良からは考えられない奇跡的なことが起きた。晴れ間がでたのだ。おかげで飛行機が飛ぶことになった。歩くと2日かかるところを、12:50に出発、7分でシャンボチェに到着した。そしてナムチェに向かった。去年の4月と11月に訪れた道だ、なんとなく懐かしさを憶えた。ここで二日間高所順応を行った。ラクパ・テンジンというサーダの神様のような方がここから我々をリードしてくれた。誰をサーダにするかで登山の成功は決まると言われる。 雄一朗さんのこの暖かい気持ちに感謝した。ざわざわしているところにサーダのラクパ・テンジンが一言二言話すと、「ラッセェ!」との返事のもと一斉に隊全体が整然としていく。凄い。オーラがある。彼は常に隊の一番後ろにいた。それは登山者やシェルパへの目配り、気配りのためだ、素晴らしい心遣いだ。 |