2010年8月 5月7日 3,446メートルのナムチェから8時間のトレッキングでタンボチェに着いた。初めてのコースだったが、トレッキング中はまったく霧の中で、五里霧中という言葉があるが、本当にその通りの行程だった。夕刻になって霧が晴れてきた。タンボチェのあたりに咲き誇っていたシャクナゲに、幽かな陽があたっていた。 5月8日 再び霧の中を、シャクナゲ街道と言ってもいい、白と赤とピンクと黄色のシャクナゲの花々に包まれた道を、ディンボチェに向かってトレッキングを始めた。ディンボチェで田渕先生と再会をした。田渕先生は先発して来られていたが、ただ一人で、雨と霧と高所という難行、苦行の中で絵を描き続けていた。大事業を完遂させるには、やはり大きな障壁は必要なのか、と思った。田渕先生との再開後、私は天気に恵まれるように祈りに祈った。 5月9日 雲一つない晴天になった。8〜9日と高所準備で、ディンボチェの裏の丘、ナンカゾンピークに大晴天の中登った。 5月10日 牧野さんが前日眠れなくて、3時半から4時頃に星が綺麗だったという話を聞き、この日は4時から星空を仰ぎ見た。そしてディンボチェを出発した。みんなの無事、安全のために貫田さんが一番最後を歩いてくれた。氷河が削り落とした河岸段丘の右上の丘をみんなでトレッキングして、ロプチェ4,930メートルに着いた。 5月11日 4時に起床。いよいよだ。6時15分にロプチェを出発して、クンブ氷河の河川敷を歩いて登った。歩きに歩いた。賽の河原のような岩道を9時間かけて着いた。標高は5,140メートルだ。30分の休憩ののち、カラパタールの頂上を目指してさらに登り始める。13時10分、カラパタールに向けて頂上(5560メートル)を制覇した。ヌプチェの左肩の奥に、雲さえも寄せ付けない、雄大で崇高なエベレストの西陵の背が姿を現した。背に続いてサウスコルの氷河が陽を受けて光り輝いている。風速30メートルくらいの風の中、記念撮影をして降りてきた。 田渕先生は、その間、途中の場所でずっと絵を描き続けていた。凄い執念だ。15時に、馬も死ぬと言われるデッドホースポイントを通り、再びゴラクシップに着いた。ここゴラクシップはネパール側の人々が生活している最高地点だ。合計9時間半のトレッキングだった。 真横に星があった。普段の生活の中では見られない光景だ。真横に星を見るなんて。宇宙には北極星がプリモ山の頂点に鎮座し輝いていた。星は時の流れとともに山の稜線にしずんでいき、大空を回転していた。北斗七星が時計と反対回りにまわって消えていった。大宇宙の星を見ながら方便品、寿量品の勤行をして祈った。 5月12日 ゴラクシップを出発。かなり疲れていたが、大満足感に満ちていた。ロプチェ経由でシェルパの墓があるツビラ峠にさしかかった。息を呑む、とはこのことを言うのだろう。大段丘にかかる大氷河の営みが、目の前に広がっていた。氷河が何世紀もかけて流れていく音が、瞬間聞こえた気がした。これほどの雄大な景色はあるだろうか。氷河の先から、小さな流れが新たに生まれている。生まれた小さな流れが大きくなったクンブ川の景観がまた素晴らしい。思わず、この地球に手を合わせていた。ここにシェルパが彼らの墓を選んだのは、自然のことだろうと思われた。三浦雄一朗さんのペリチェの定宿で1泊し、5月13日、ペリチェからヘリコプターでルックらを経由してカトマンズに戻ってきた。そのあとタイ軍が実弾宣言をしたバンコク経由で5月17日に成田に到着した。 このカラパタールの登山、旅で、全員が一同に感動したことがあった。それは、朝から晩まで、ずっと絵を描き続けていた田渕先生だ。まさにヒマラヤを越える白雁のような姿だった。絵を描く田渕先生の姿と、ヒマラヤの山山が重なって見えた。 |