2010年10月
ロータスの啓示
仏教徒である私は、ロータス(蓮)はインドが起源であるとばかり思っていた。お釈迦様をはじめ、あまたの仏様はみんな蓮の華の上にお座りになっていたからである。
ところが、田渕隆三画伯とエジプトの美術紀行に同行した折、「太陽はロータスが生む」という神話を知り、実際に、かつての古代の都テーベのあったルクソール近郊デンデラのハトホル神殿の壁面に、ロータスより太陽が生ずる浮彫りを見た時には、頭の中に一条の光が走った。
さらに、カイロの考古学博物館で「蓮華より化生する若きツタンカーメン王」の像を見た時は、全身に雷の如き音が響き渡った。
エジプトでは、日の出とともにロータス(睡蓮)が水中より顔を出し、日没とともに水中に没することから、光を失った太陽は、ロータスの力によって生命を蘇らせ、再び地上に帰ってくるとの神話があるのであった。
しかも、カイロからナイルをさかのぼること約千キロ、アブシンベル神殿には、上エジプトと下エジプトの統一の象徴として、ロータスとパピルスを束ねるデザインの図像(セマタウィ)があり、ルクソールのカルナック神殿には、代々のファラオによって立てられたロータスやパピルスの柱頭飾りをもつ巨大柱が林立しているのであった。
二度の田渕先生とのエジプト紀行(2004年1月、08年末〜09年初頭)で私は、太陽とロータスについて、漠然としたものではあったが、生涯のテーマとして追求せよとの啓示を受けたのであった。
以後、ことあるごとに私は、ロータスについての文献やデザイン・紋章に惹かれ、旅の先々で、あるいは博物館で、注意してあたりを見まわすようになったのである。
近々では、イスラエルに旅をし、エルサレムのキング・デービットの塔門でロータスを発見し、死海西岸ユダヤ人の殉教の地、マサダの砦でロータス紋を見て衝撃をおぼえた。
太陽さえも生み出す力
1960年3月5日、私は創価学会に入会し、「南無妙法蓮華経」と日々唱えるようになったが、その意味については詳しくはわからなかった。その後、教学(仏法についての学問)の研鑽に励む中で、南無とは梵語(サンスクリット)で、漢語では帰命するという意味であり、妙法蓮華経に帰命するという宣言が「南無妙法蓮華経」ということを知った。仏教各派は、南無釈迦牟尼仏とか、南無日蓮大上人とか、南無阿弥陀仏とか、南無大日如来とかいうが、妙法蓮華経に帰命するということは、いったい何を意味するのか理論的には理解したつもりでも、もう一歩つっこんだ本質をつかめないまま題目をあげていた。
インドの言語学の第一人者でハスの研究者でもある松山俊太郎先生と対談を行った。
松山先生は、「南無妙法蓮華経」とは、原語のサンスクリットでは、「ナム(=南無)・サッダルマ(=妙法)・プンダリーカ(=蓮華)・スートラ(=経)」であるが、この「プンダリーカ」とは、白いハスのことを指している。そして、インドでは、蓮と睡蓮を示す言葉は何百とあるが、白いハスを一つの言葉で表現するのは「プンダリーカ」だけであると、教えられた。
つまり、白いハスとは、数多くのハスの中から突然変異ともいうべき現象によって出現した特殊なもので、この世で最も尊いものを示すものだったのである。しかも「プンダリーカ」は蓮であると同時に太陽でもあるもので、仏と太陽と蓮を同一視し、唯一永遠の存在を示しているのである。
漢訳者である鳩摩羅什もこの元意をわかって、この地上で、宇宙で、かけがえのない最上の尊極無比の法則という意味を込めて、「妙法蓮華経」と名付けたのでしょうとのことであった。
また、法華経28品を細かく調べてみると、蓮華についての記述は、妙法蓮華経序品第一から妙法蓮華経普賢菩薩勧発品第28まで、経題には必ず「妙法蓮華経」と付いているにもかかわらず、経文中には、においに関する一回しか出てこない。それは何故なのか、疑問があるところであるとも、お話しいただいた。
この説明に私は、「そうか、『南無妙法蓮華経』とは、この世に存在する最高の法則に人生をゆだねるという意味があるのか」と、目から鱗が落ちる思いをしたのであった。
エジプトの「太陽はロータスが生む」との神話とあいまって、太陽さえも生み出す宇宙根源の法に基づく人生、小さな私利私欲に汲々とする人生ではなくて、もっともっと大きく、もっともっとおおらかで清らかな、宇宙大の愛と慈悲に包まれた人生、それに南無するのだ。
こうした高揚した法悦ともいえる気付きに、私は歓喜したのであった。
人を幸せにするための宗教が、お互いに罵り合い、殺し合う現実。
「宗論はどちらが負けても釈迦の恥」という川柳すらある、仏教界の混乱。
「右のほおを打たれれば左のほおを出せ」と、イエスが訴えたにもかかわらず、武力で世界を制圧しようとするキリスト教世界の矛盾。
お釈迦様が生まれたインドで、仏教ではなく、ヒンズー教が支配する疑問。
聖書を元にしながらも、七世紀に興ったイスラム教が、3分の1を占める世界の有り体。
これらのすべてを乗り越える道は、何なのか。
これからの自分の人生を、いかに生きるべきか。
混沌とした疑問の闇に、太陽とロータス、つまり「サンロータス」という言葉が衝撃的な光をともなって、私の生命に響き渡ったのであった。
これが、2003年から2007年の足掛け5年、田渕隆三画伯のもと、陶芸家の渡辺節夫氏、松下雄介氏と、世界の美を求めて旅をした結論でもあった。
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