2010年10月
法華経における釈尊の第一声は、妙法蓮華経方便品第二から始まる(序品は状況説明のみで、釈尊の説法はない)。
「爾の時、世尊は三昧従り安詳として起ちて、舎利弗に告げたまわく」「諸仏の智慧は、甚深無量なり。その智慧の門は難解難入なり。一切の声聞、辟支仏の知ること能わざる所なり(*1)」と。
当時、智慧第一といわれ、インドでは釈尊よりも舎利弗のほうが有名であった(*2)。あの舎利弗が釈迦牟尼に入門したのだから、よほどお釈迦様は偉大な方なのだろうといわれたという。
その舎利弗に対して釈尊は、
「お前には仏法の深義は、わからないのだ」と、頭から弾呵したのである。
そして、
「唯だ仏と仏とのみ乃し能く諸法の実相を究尽したまえり」と、十如実相を説き、これまでの仏法(三乗の法)から、より本質的な法(唯一一仏乗)という諸法の法慧の解明へと進んでいくのである。
つまり、「いくら頭で考えても、宇宙の実相はわからないのだよ」「仏と仏、生命と生命の感応にしか、仏法はないのだよ」と、舎利弗に教えたのであった。
「以信得入(信を以て入ることを得たり)」、ただ信ずることによってのみ、入ることができる道があるのだ。これが、釈尊の法華経における第一声であった。
以後、八年間にわたって説いたとされる法華経は、一部八巻二十八品に展開していくのである。
方便品の最後に釈尊は、
「心に大歓喜を生じて 自ら当に作仏すべしと知れ」と、しめくくった。
妙法蓮華経譬喩品第三では、
「爾の時、舎利弗は踊躍歓喜し、即ち起ちて合掌し、尊顔を瞻仰して、仏に白して言さく、『今、世尊従り此の法音を聞き、心に踊躍を懐き、未曽有なることを得たり』」と。
わくわくするような、躍び上がるような歓喜のなかに、これまでにない法を得たのであった。
それを見た釈尊は、舎利弗に「華光如来」との仏の称号を与えるのであった。
それを見ていた四部の衆(比丘・比丘尼〔=出家の男女〕、優婆塞・優婆夷〔=在家信徒の男女〕)等の大衆は、
「舎利弗の仏前に於いて阿耨多羅三藐三菩提の記を受くるを見て、心は大いに歓喜し、踊躍すること無量にして」と。
この歓喜の連続こそが法華経の底流を貫く原理なのである。
続く妙法蓮華経信解品第四でも、釈尊教団の古参幹部である四大声聞(須菩提・迦栴延・迦葉・目ノ連)が、この舎利弗の歓喜の姿を目の当たりにして、「もう自分は年だし、やることもない」との傍観の立場を一変し、歓びのなかで新たな弘教への決意を披露するのであった。
さらに、妙法蓮華経五百弟子受記品第八でも、
「我れは今仏従り 授記荘厳の事 及び転次に受決せんことを聞きたてまつりて 身心は遍く歓喜す」との文言で結び、
妙法蓮華経授学無学人記品第九も、
「爾の時、学・無学の二千人は、仏の授記を聞きたてまつりて、歓喜踊躍して、偈を説いて言さく、『世尊は慧の灯明なり 我れは授記の音を聞きたてまつりて 心に歓喜充満せること 甘露もて灌がるるが如し』」と結ばれている。
また、女人成仏が説かれる妙法蓮華経提婆達多品第十二でも、
「彼の竜女の成仏して、普く時の会の人天の為めに法を説くを見て、心は大いに歓喜して、悉く遙かに敬礼す」との文言が、末尾に登場する。
釈尊は、一人ひとりに対して弟子のそれまでの狭雑な胸中を揺さぶり、単純明確な原理を示し、生命レベルでの境涯を大きく開かせたのであった。
そこに踊り上がり、躍び上がるような歓喜が生じ、この歓喜を見届けるかのように、釈尊は授記を与えるのであった。
その歓喜はまた、他の弟子に大きく広く波及していくのである。
この発心、歓喜、授記の連鎖が法華経を通底する一つの柱なのである。
日蓮大聖人は、
「南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」(『御義口伝(*3)』)と仰せられた。
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【注】
*1 法華経の経文「爾の時、世尊は……」
創価学会教学部編『妙法蓮華経並開結』創価学会2002年、以降の経文も同書から。
*2 インドでは釈尊よりも舎利弗のほうが有名であった
例えば、初期ジャイナ教の『聖仙語録』によると、同時代のジャイナ教徒たちは、仏教教団の代表者を釈尊ではなく舎利弗(サリープッタ)とみなしていたようである。そもそも舎利弗が目ノ連とともに釈尊の弟子になるとき、それまで所属したサンジャヤの百五十人の弟子のすべてを引き連れていったというから、元来、目立って尊敬を集める人物であったといえるであろう。『中村元選集 決定版 第十四巻原始仏教の成立』春秋社 1992年 参照。
*3 日蓮の言葉「南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」
堀日亨編『新編 日蓮大聖人御書全集』聖教新聞社1952年。
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