2010年11月
私はこの歓喜の心を自らの生命より生じさせる根源の力を、サンロータスと呼ぶ。つまり「サンロータスの旅」とは、深い深い自己の胸中への旅なのです。
このたび『サンロータスの旅人』の発刊を決意したのは、この法華経の方便品、寿量品を日々読誦し、南無妙法蓮華経と唱えている「妙法蓮華」の源流を訪ねるためであり、一宗教や一宗派を超えて、人間としてのありようや人生の来し方を探求するためであった。 また、地上のどこかで多くの方々のために日々真剣に挑戦されている友人を探すためでもあったのです。
今の自分を決めているものは、何なのか。生まれ育った環境なのか、両親の教育なのか、日々の仕事なのか、はたまた、遺伝子なのか。
この本の原稿を脱稿してから、10月29日より11月10日まで、ふたたび三浦豪太氏を隊長に、貫田宗男氏の指導のもと、牧野頴一氏、大歳卓麻氏、富士山に一千回登山された實川欣伸氏らとアフリカのキリマンジャロに行ってきた(*4)。人類発生の源に一番近く、人類のルーツをたどるわれわれの旅の象徴となる山である。ほぼ赤道直下でありながら、山頂に万年雪を有し、幾万年も変わらぬ大自然に抱かれた聖なる山。すべてを包み込むような裾野の雄大さ。これらを作り上げたものは、何なのか。
さらにわれわれは、豪太さんの提言もあって、タンザニア、ンゴンゴロ保全地域とセレンゲティ国立公園の間にあるオルドバイ峡谷まで足を延ばし、オルドバイ博物館を訪れた。
この地は175万年前のわれわれの祖先だと考えられる、「アウストロピテクス・ボイセイ」が発掘された場所である。さらに特記すべきは、この地から45キロメートルほど南下したラエトリ地方に、なんと360万年前の二足歩行の足跡が残されているのである。現在、その現場は保全のため、再び土をかぶせて立ち入りが禁止されているが、この博物館には実物大のレプリカが展示されている。それは二つの大きな足跡と一つの小さな足跡の化石である。時々歩みを止めて、北に向かう足跡の一部である。
私と豪太さんはその場で感動を覚えながら、次のようなことを話し合った。
三人の歩みは落ち着いており(*5)、唸り上げる火山に怯えることもなく、むしろユーモアと笑いで家族が語らいながら「今まで住んでいた所は火山灰でもう生活できないから、どこか新しい所に行こうよ。それにしても、勢いよく天に噴煙が上っているね」と、次の新天地に向かって家族三人で旅立って行ったのではなかろうか。
いわば最大の試練のなかでの一家和楽の足跡といってよい。人類の(学術的にはまだ人類と特定されてはいないが)旅と冒険の原点といえるのではないだろうか、と。
私は万感の思いを禁じ得なかった。
「サンロータスの旅人」の先達に対して、最高の敬意とフレンドシップを表して帰路についた。
私は「サンロータス」の定義として、戸田城聖創価学会第二代会長が、
「この地球上から『悲惨』の二字をなくしたい」と、叫んだこの言葉に、深い示唆と解決の鍵が含まれているように思われてならない。
この宇宙には、元初は何も存在しなかった。そこに太陽を生み、星を生み、月を生み、生命を発生させた力のみなもと。それをある人は、神といい、ある人は仏といい、ある人は、サムシング・グレート(*6)と表現し、ある人は宇宙生命ともいうが、そのみなもとを信じ、宇宙のなかでの自分の立ち位置というか、生きていくべき使命を感じ、多くの人々のために、悲惨の二字をなくすために、明るい希望を自身に与え、他者にも与え、何が起ころうが決してあきらめないで苦悩のるつぼのなかからそのエネルギーを引き出し、飾らずに皆と手を携えていく「サンロータスの旅人」でありたい。毎日毎日を強い祈りから出発し、日々発心、日々挑戦、そして日々充実の人生でありたい。
これからの20年30年を、そうして生きていきたいとの思いから、この本を出版いたしました。
ご寄稿いただいた野中広務先生はじめ、多数の素晴らしい絵画や彫刻作品の写真掲載をご許可下さった田渕隆三先生、出版にあたり尽力下さった川北茂氏、五味時作氏、小澤孝俊氏、デザインでご苦労をかけた吉永聖児氏、天櫻社の山口良臣氏に、心から御礼申し上げます。
2010年11月11日 東京・愛宕にて
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【注】 *4 アフリカのキリマンジャロに行ってきた
田渕隆三先生はライフワークのため、この時期、単身ネパールに渡り、エベレスト街道カラパタールの絵画制作にあたっていた。
*5 三人の歩みは落ち着いており
「足跡は規則正しい間隔でついていて、逃げていたらしい気配はまったく感じられない。それどころか、ひとりがしばしば足を止めて東に目をやり、怒れる火山を眺めてから再び先に進んでいるふうにも見える」チップ・ウォルター『この6つのおかげでヒトは進化した』梶山あゆみ訳 早川書房 2007年 より。
*6 サムシング・グレート
村上和雄筑波大学名誉教授の提唱した考え方。村上氏は専門の遺伝子研究を続けるうちに、その見事な仕組みに、生命の設計図を描いた「偉大なる何者か」を想定せずには説明できないとの結論に達し、その「何者か」を「サムシング・グレート」と呼んだのであった。村上和雄『生命(いのち)の暗号』サンマーク出版 2004年 参照。
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