2011年4月
年も改まった2011年1月12日、午後2時15分成田発アリタリア785便で、まずローマまで12時間。3時間のトランジットで、午後10時ローマ発アリタリア680便でアルゼンチンのブエノスアイレスまでは14時間。ブエノスアイレスで宿泊し、国内移動で4時間、世界最南端の都市ウスアイアについた。ここで「クレリアII」というマルタ国籍の探検船に乗船。約11日間の船旅が始まった。
ところがドレーク海峡を渡るのに丸二日半。世界一波が荒い海峡である。私も咸臨丸の勝海舟を思い浮かべながら丸二日間断食した。
1月17日。南緯62度30分のネルソン海峡を渡ると嘘のように海は静まり、18日午前9時5分、ポーレット島に上陸した。
【南極観測基地について】
南極において国際共同で科学観測を継続して行うために、1961年に日本を含む12カ国により南極条約が締結されました。条約では「領土権を主張しない」、「科学的調査の自由と国際協力を促進する」などが記載されています。
南極はどこの国にも属していませんので、南緯60度以南の地域のどこに行くにもパスポートは必要ありません。
2006年12月現在、南極条約に加盟している国は46カ国、そのうち30カ国が、実質的に南極地域で科学研究活動を実施しています。
南極は、上記のようにビザなしで上陸できるのであるが、環境保全が特に厳しく、母船からゴムボートに移る時は専用の長靴を履き、厳格な消毒を行う。
そして何物も持ち込まず、何物も持ち出さないという原則で徹底されている。一度の上陸は100人までで、立ち入り出来る地域が厳しく制限されている。
ポーレット島は、1903年ノルウェーの探検家で捕鯨業者のC・A・ラルセン率いる船がこの付近で遭難し、いまでも石を積み上げた粗末な小屋の残骸が残っている。
このポーレット島ではアデリーペンギンのルッカリーがあり、約20万頭が生息している。
クレリアIIは、アンデルセン島を左に見ながら、流氷の素晴らしい海峡を通過した。
同じく18日午後3時 いよいよ今回の目的のひとつである南極大陸に上陸した。ブラウンブラフという岬である。
ここでも厳しく立ち入りが制限され、ペンギンハイウェイと呼ばれるペンギン専用の小路には、いっさい立ち入ってはならないし、ペンギンを触ってもいけない。隊長の三浦雄一郎氏が初めて南極大陸でスキー滑降した場所(チリ基地の後方の山脈)を左手に見ながら、船は南下を続けた。
1月19日 午前8時。シャチの大群を見ることが出来た。鯨を襲って小クジラの顎と舌だけを食べるという海の王者である。
同日 午前9時20分。雄一郎隊長いわく「まるで洋上にヒマラヤ山脈を浮かべたようだ」と形容された、息を飲むほどの素晴らしい空気と景色を、いつまでも胸一杯に吸い込んでいた。そうした南極大陸の山々が何時間も続いていく。
その後、クレリアIIはネコハーバーという湾に停泊。船の5階の甲板でランチをとり、上陸した。雄一郎隊長を先頭に、雪山の小登山を決行した。
帰りは雪山をお尻でソリのように滑って下山した。
実はここで雄一郎氏から、4月〜5月にかけてのネパール・ヒマラヤ山脈のメラビーク(6600m)への登山を誘われたのであるが、これも後述することとなる。同日午後7時30分。流氷が行く手を塞ぐルメール海峡を通過した。クレリアIIが氷を掻き分けるのを、アザラシが流氷の上で珍しそうに眺めていた。
そして一つの大目的である南極圏へ突入した。
2011年1月20日午前6時56分である。
この後、三浦雄一郎隊長を中心にシャンパンで乾杯をした。さらに船は南下を続け、粋な船長のはからいで、南緯66度41分、西経67度09分地点の流氷に登った。ところが中央から氷が割れて危うくシャチの餌食になるところであった。
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