田渕 隆三 「人間の港」第36号 美術紀行より
彼の地で活躍する青年社長中村壮一さんとの出会いによってはじまった。
その会合は、昨年の九月、68歳にしてはじめての富士登山から奇しくもはじまった。日本の最高峰より、共々に元初の太陽を見た。
縁を結んで、我が工房に、はじめて絵を見てもらった。
絵なるもの(もの言わぬ非情の世界)の前を通る姿を見ただけで、その人となりは解るものである。
終日席も立たず、これほど絵に入って、味わって頂いたのには驚いた。
中村さんは、常に自らの実感する感動をもとに考えられる。
ここに発想と行動の起点があった。そして、理論の迷路に入ることを避けておられる。
自らが人から受けた、うれしかったこと、感動した心を大切にして、忘れず思い返すようにする。
こうして自分をさがしていく。真実の自分を見ていくこと、真実の自分の発見、自分への道を大切にされていた。
「この絵、アメリカに通じますか」率直に質問してみた。
アメリカの地に渡って、三十の歳より十八年、見も知らぬ社会で、ボランティアの仕事をして信頼を勝ちとり、ついには州の仕事から企業の仕事まで受けるまでになった。
夢を持って渡った音楽の仕事は難しかったが、堪能な英語力もあって芸術の仕事から深く幅広く交友関係が広がり、今日があられた。
その交友関係中、世界のメディア王、ジョン・マーロン氏の右腕の一人ともいわれるデビッド・レオナルド氏とは、私も今回、アメリカの自宅に招かれてお会いした。デビッドとは、英雄ダビデに由来するものか、中村さんと音楽を共にする経済人であった。拙作の図録をお見せすると、そこにあった彫刻を指して「グッド・ワーク」と話され、親しみを感じた。
家にはエジプトの象形文字の立派な額があった。何か今後のルネサンス運動を暗示するような思いがした。言葉と理論では入れないエジプト芸術、ここに新しい我々の東洋である、オリエントからの起点がある。
テラスからの一望は、実に名画のようであった。中村さんのお蔭で、壮大なアメリカの第一歩を共々にスタートした。
デンバーで案内してくださったもう一人、写真家の小池キヨミチさんは、砂漠の中にもいのちがあると励まれている。「写真が良いといってくださるのは、ありがたい。それは、被写体がすばらしいのですよ。私は撮らさせてもらっているにすぎない」と、謙虚である。献身的にお世話していただいた。
小池さんは、十五年前、コロラドのデンバー大学で池田大作先生が名誉博士号を授与された現場に居合わせたという、幾重にも不思議なことがあって、今回の旅となったいた。
【旅で友誼を結んだ方々】
上段左より、中村壮一、D・レオナルド、小池キヨミチ。下段左より、岩瀬明美、青木廣充・理恵夫妻、青木悠の各氏。
岩瀬明美さんは、デンバー郊外、ロッキーの聖なる大地、クレストン村に住む女性。「時は風に流れていく/紫の花の上で眠る/ロータスの香りに誘われて、太陽が生まれてくる」と、即興で歌っていただいた。
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