2011年11月23日〜24日:メラピーク激闘記録
79歳を迎えた三浦雄一郎氏が、80歳を越えて三度目のチョモランマ登頂に挑戦するという。それは2013年の4〜5月頃に予定しており、その前段階として、2011年中にネパール側から標高6500mのメラピーク、2012年にはチベット側から7500〜7600mまで登り、高度順応を行うのだそうだ。
「竹岡さん、一緒にメラピークへ行きましょう」
南極へ赴いた際、雄一郎氏からそう誘われた。こんな素晴らしい機会は二度とないだろうと同行を決意した私だったが、2011年3月11日に発生した東日本大震災によって、春先に予定されていた日程が秋まで変更となった。
三浦雄一郎氏、三浦豪太氏父子と共にヒマラヤへ向かった私は、迫り来る山々の迫力と美しさに圧倒されたが、それ以上に三浦父子の人柄の素晴らしさに大きな肝銘を受けた旅となった。
※※11月11〜22日については、三浦豪太氏の「メラピーク遠征日記」に詳しく書かれていますので、是非クリックしてご覧ください。。
■2011年11月23日 晴れ カーレ(ハイキャンプ)
昨夜はまったく食欲が湧かず、その上37.6℃の微熱まで出てしまった。
三浦雄一郎氏から助言をいただく。曰く「寝袋温泉でからだを温めて、ゆっくり深呼吸するように。パルスオキシメーターで動脈血の酸素飽和度が80台まで上がれば大丈夫」それを一晩中実践した。三浦豪太氏には「身体が熱を上げるというのは意味のあることだから、変な薬は飲まずに、ビタミンCを充分摂ってください」とアドバイスされ、コーディネーターの貫田さんにダイアモックス錠を半分貰って飲んだ。
何度もトイレに起きたが、2時間程度熟睡して目覚めたときには、幸い体調も戻って、気力も湧いてきた。
雄一郎氏から「ともかく最初はゆっくりと行きましょう。途中で陽が昇ったら暖かくなりますよ」と声を掛けられ、午前7時30分にキャンプを出発した。シェルパのアリタ氏を交えた二人三脚である。ちなみにアリタ氏はタニメ村出身でエベレストの頂上に何度も立った経験を持つベテランのシェルパだ。
出発する私たちを川名さんと篠崎さんが見送ってくれた。ありがたいことに、フェイスブック掲載用にと雄一郎氏、豪太氏、私のスリーショット写真まで撮ってくださった。
昨夜登ったカレランまでなら普通の登山靴でも行けるが、その先となるとアイゼンの装着が必須になる。メラグレシアスという氷河のクレバスの間を縫いながら坂を登っていくと、ようやくメララに着いた。心の中で抱いた、これ以上進むのは無理か、という想いをひた隠し、あの岩のところまで登ってみよう、あの雪の波面まで行ってみようと自らを鼓舞する。アイゼンを付けた足を右、左、右、左と持ち上げながら約1時間、氷河の天辺の平らな場所まで辿り着くことが出来た。
川田さん達はここで一泊し、さらにハイキャンプで一泊した後、アタックしている。当初は我々「三浦隊」も同様の手筈であったが、ルックラで5日間の足止めを食らったおかげで、いきなりカーレからメララを通過しハイキャンプまで行き、そこから頂上へアタックし、ふたたびカーレに戻るという超高密度なスケジュールになった。
私は朝の勤行の時に、ハイキャンプまで行ければ100%の成功、メララで引き返しても80%の成功だと考えていた。というのも、私の登山歴は
1.エベレストビューホテル・3900m
2.エベレストビューホテルとクンデピーク・4200m
3.カラパタール・5400m
4.キリマンジャロ・5300mで引き返し
が全てである。
今回の目標の一つは標高5600mを超えること、もう一つはハイキャンプで実際の雪の上、あるいは野外のテントで泊まる体験をすることだった。今回のメラピーク行きを敢行したのは、その目標もなることながら、18日間も「世界の三浦雄一郎氏」と寝食を共にする機会は又とない、そう思ったからだ。
当初は4月28日に日本を発つ予定だったが、東日本大震災のボランティア活動を行ったために、日程が11月までずれ込んだ。待ちに待ったこの旅で、私は世界の山々が受け入れる雄一郎氏の、人間としてのパワーと魅力を思う存分学び取ることが出来た。併せて、常に謙虚であり、何とも言えない魅力溢れる豪太氏とも同行しているのだ。
そして雄一郎氏によるスケジュール、登山経路、各運行スタッフの手配、関係構築は、見事としか言い様のない手際の良さであり、今回もまた感動を受けた。
午前11時30分。
一足先にメララへ到着していた豪太さんから「竹岡さん、この先はどうしますか?」と訊かれ、即座に「行きます」と返事をした。ここで引き返せばこの日の内にカーレの山小屋まで戻れるが、ここから先に進むとなると次のハイキャンプまで4〜5時間掛けて辿り着かなければならない。
そこで私は咄嗟に高所用の登山靴とアイゼンを、普通の登山靴に履き替える決意をした。というのも、足に掛かる負担がまったく違うのだ。ポーターは先般の難所を普通の運動靴で楽々と越えていく。メララを出て約2時間は快調にアリタ氏を従えてゆったりとした坂を登っていった。ところが、2時間を過ぎると(5500mを超えた当たりか)次第に呼吸が困難となり、ハッハッと短い息を吐くようになって、充分な酸素が身体に入って来ない。しかも2〜3日前からのどの痛みと、肺の中に溜まった痰を出そうとする咳が立て続けに出るようになっていた。
新鮮な空気を吸い込もうとするも、胸の痛みが邪魔をして叶わない。合間を見てしっかり息を吐き出しながら歩行と呼吸を合わせることに専念する。(高所では歩と呼吸を合わせることが基本中の基本なのだ)
しばらく進んだところで、引き返し可能な地点を越えた。仮に戻ったとしても元の拠点に着く前に日没を迎えてしまい、氷河の壁が危険になる。次のハイキャンプへ向かうほかない。
「無理しなくていいからね」と言う声と「もう行くしかないぞ」という声が聞こえてくる。一歩一歩、前に出す足が重くなる―――。
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