コルタカにて ●人間の故郷・共生の家族 田渕 インドの自然には、何とも言えないゆとりのようなものがありますね。それが、合理的に計算された人工物の、冷たい窮屈さを打ち消しています。カンチェンジュンガの見えるダージリン郊外の村(ゴディカン村)でも絵を描きましたが、ヤギやニワトリなどが放し飼いで、村人がおだやかで、まさに「幸せがそこにある」と、なんとも懐かしい気持ちになりました。その村人たちの姿もまた、「ヒマラヤが乗り移った姿」だと思いました。「山が良く見えて嬉しい」と言ったら、「私たちも、山が見えると嬉しい」と応じた、村人の言葉が印象的でした。 竹岡 コルカタでも、樹木の大きな姿に救われる思いがしました。イギリスが植民地時代に建てたヴィクトリア記念堂も見ましたが、あれも、インドの空気の中にあるせいか、威圧感のないものに見えました。 田渕 以前から言ってきましたが、インドの彫刻も、同じようなゆとりがあります。現代世界は、西洋の合理主義文明が席巻しています。それは、日本やお隣の中国など、むしろ東洋の側に弊害となって現れてきています。インドには、それらを打開するカギがあるようです。 ●最高峰の美(マゥリァ朝クシャーン朝) 田渕 インドの彫刻、特にアショーカ王のマウリア朝(紀元前3世紀)からカニシカ王のクシャーン朝(紀元後1〜2世紀頃)にかけての古代彫刻は、実際に見ると、生きて体が動くようです。西洋の巨匠ミケランジェロも、それを見れば、脆くに違いないと思える程です。ミケランジェロの彫刻や『ミロのヴィーナス』などは、世界の美の極致とされ、たしかに大きくきれいですが、空間はあっても、あくまでも、動かない「石」です。さらに上の最高峰があるということを人々に認めさせるには、われわれも言葉でなく、インドの彫刻を日本でやってみせないといけませんね。 竹岡 日本のわれわれは、活字や教科書のレベルで『ミロのヴィーナス』など、西洋のものを最高峰だと信じていますからね。 田渕 言うだけでは、「何、馬鹿なこと言ってるか」と、非難されるだけです。 竹岡 実際に見れば、会話や音楽まで聞こえてきて、動き出すんじゃないかという彫刻があるとわかるのですが……。 ●古典を鑑として 田渕 それで、皆にわかってもらいたいので、まず、現地の博物館で、それらの彫刻を描いて帰るようにしています。「古代には、こんな素晴らしい作品があったのか」と、世界の人々にわかってもらいたいのです。 竹岡 それにしても、彫刻を見ると、インドは大らかな社会だなと思います。三体並んだ『ヤクシー像』(欄楯彫刻クシャーン朝二世紀マトゥラー出土インド博物館)など、肉体を何一つ隠していませんからね。それに、その上の男女の像がまた愉快です。「まあ、お前も一杯飲めよ」、「ええ」といった、夫婦の会話が聞こえてきそうです(笑)。 田渕 あの男女の像は、おそらくは供養者の像だと思われますが、日本なら、ただ名前だけを刻むか、かしこまった姿で表現するだけでしょう。それが、あんなにくだけたものになっているんですから、驚きです。教条主義で目くじら立てるのではなく、このようなおおらかさが大事です。本物の生命の法に則ると、石の彫刻も、何と柔らかく豊かになるか、それを教えてくれています。 竹岡 そうですね。それと、むしろ男性が女性にサービスしている感じが、微笑ましいですね。女性を尊重しています。 田渕 ヤクシーも、生命の根源の力を女性の姿で表現したもので、女性の力を称えていると見ることができます。「女子は門をひらく」といって、女性の力は偉大です。 竹岡 現代のインドには、そういった古代からのものがまだ残っていませんか。大らかさという点でも、街中を走ると、リキシャにオート三輪、普通の乗用車、そして動物たちと、凄まじい渋滞ですが、インドでは互いに道を譲り合いますね。これは、同じアジアにあっても、中国などと大違いです。 田渕 20世紀の巨人タゴールの思想にも、古代の仏教思想が反映しています。前にも取り上げましたが、「石に口をきかせたり、歌をうたわせ」といった彫刻に対するタゴールの認識は、非常に良く本質をつかんでいると思います。それに、インドは、カオスが残っているのがいいですね。これが、チリ一つ落ちていないようになったら、人間はロボットか、機械の奴隷になってしまうと思います。均質で、表面的なきれいさだけを求め続けると、人間は精神をおかしくしてしまいます。 ●カオスの中の新しき芽 竹岡 インドでは、ガンジスは全てをきれいにすると信じられて、糞尿の流れる川の水を口にし、その隣りで洗濯、そのまた隣りで遺体を焼いて灰を流していました。まさに混沌です。しかし、考えてみれば、循環型社会を実現しているとみることもできます。 田渕 たしかに、インドの方が、たくましく、精神的にも健全と言えるかもしれません。ともかく、直線の現代建築をインドでは自然の緑が覆って救いとなっているように、このデジタル時代の現代に、生命の芸術で人間の矛盾を覆い尽くしたいものです。タゴールハウスの展示で知りましたが、タゴールは都合5回も来日していました。そして、日本に来て、もっと幅の広い芸術のあり方があるのではないかと、考えるようになったといいます。そんなタゴールに応えるためにも、後世の人々から「こんな凄いものがあったのか」と言われるものを作っておきたいと思います。 竹岡 本当にそうですね。あのインドの彫刻が出来る時代を、もういっぺん作らないといけませんね。 田渕 インドに仏教が甦るのに呼応して、日本から彫刻をお返ししたいものです。地球上の日本と同緯度地帯は砂漠化が目立つのに対して、日本が比較的穏やかな気候に恵まれているのは、ヒマラヤ山脈のお陰だといいます。あれが衝立となって、湿潤なインド洋からの風の流れを、日本の方角に変えています。それも含め、これまで日本は、インドからの恩恵を常に受け続けてきました。いよいよ、われわれが恩返しをする時が来ているのではないでしょうか。 |