三浦雄一郎氏の3度目のエベレスト挑戦に同行して
2013年6月
第2304回 丸の内朝飯会「大人の探検学校3」
平成25年5月23日午前7:30~8:30 千代田区麹町、東京グリーンパレス
今年で50年も続いている勉強会。毎週木曜日午前7時より朝食、7時半より講師のお話と質疑応答を約1時間。
私はこの会で3回目のお話をさせていただいた。以下はその時の講演内容に加筆訂正したものです。
講演時はちょうど三浦隊がC5より頂上を目指している最後のアタックの真っ最中であった。
おはようございます。
80歳の高齢にもかかわらずチョモランマ(エベレストのチベット名)への挑戦をされている三浦雄一郎さん、そして同行のご子息・豪太さんを尊敬申し上げる私は、何としてもこれを成功していただきたいと、支援隊というものを組織してベースキャンプ(BC)まで押しかけてまいりました。
今日、5月23日は、その登頂の日となりました。たまたまとはいえ、こうして発言させていただくのも、何かの導きかと感謝しております。
●万全の準備 高度順化と天候予測
最初に、三浦雄一郎さんの登山隊の状況がどうなっているのか、お伝えしたいと思います。
3月28日に日本を出発された雄一郎さんたちは、ネパール到着後の4月以降、高度順化のために登り降りを繰り返しながら標高5300mのBCにたどり着いて、さらにそのBCを拠点に標高6050mのC1(第1キャンプ)やその上の標高6500mのC2(第2キャンプ)、あるいはBCの西隣のプモリC1(標高5700~5900m)へと、登り降りを繰り返して、1ヶ月半を高度順化にあてられました。これが、非常に大切で、それが充分でないと、高山病を発症して死に直面することになりかねません。
その上で、5月16日、BCを出発され、その日はC1に1泊、翌17日、C2に到着して2泊されました。当初このC2では、3泊の予定でしたが、天候予測の結果、登頂日は23日が最適であるとの判断の結果、逆算して2泊後の19日にC2出発となりました。
この天候予測というのは、日本の気象情報会社ウェザーニューズのサポートのもと、ありとあらゆるデータを駆使して、あるいは山岳天気予報では右に出る者はいないという個人研究家のデータ提供もあった上で、導き出された結論であるということでした。
C2を出発して標高7000mのC3(第3キャンプ)に1泊、その後は通常は標高7980mのC4(第4キャンプ)となるのですが、今回は雄一郎さんの高齢を考慮して、C4の前に一つ、標高7530m地点にC3'(ダッシュ)を設置して1泊、21日にC4に到って、昨日、22日に標高8500mのC5(最終キャンプ)に到着されました。
●世界最高地点での「お茶会」
マスコミでも報道されていましたが、昨日はそのC5で、雄一郎さんたちは、世界最高地点での「お茶会」をされました。
このお茶会の道具一式は、私が提供させていただいたものです。支援隊を組むにあたって、何を持っていったら一番喜ばれるだろうか、励みにしていただけるだろうかと悩みまして、そうだお茶にしようと思い立ったものです。
お茶は、日本の誇るべき文化です。粉にした茶葉を泡を立てて飲む抹茶は、中国に始まったもので、北宋の徽宗皇帝のときに最高潮に達し、それが栄西らによって日本にもたらされたものですが、中国本国での抹茶は、既に廃れております。韓国にもありましたが、同じく廃れました。
中国において廃れたのは、諸説あるようですが、2004年に友人たちと行なった宋時代の古窯を巡る旅において現地ガイドから聞いたことによると、まさに最盛期の北宋において、異常なほど抹茶が賭け事に使われて、それを徽宗が禁じたためとのことでした。
「宋代の抹茶用茶碗である天目の高台が、どれも同じ形で、同じ大きさで作られていますが、それは、そこで抹茶の量をはかるためで、同じ量の抹茶を点てて、同じ条件のもと、どれだけ長く泡が消えないかといった賭け事をするためでありました。そして、その掛け金はどんどんつり上がる。それを『まかりならん』と、皇帝が禁じ、天目を焼いた建窯(福建省北部の窯)ともども廃れたのです」と。
他に、明の太祖洪武帝(朱元璋)が禁じたためともいわれています。
それは1391年のことで、当時の抹茶は、茶葉に香料などを加えて一度餅状に固めたものを削って作るという大変労力のかかる製法で、庶民から身を興した太祖が、民にかかる負担を考慮してのことであったと(沈徳符撰『野獲編』補遺巻1)。
いずれにしても、中国では抹茶は廃れ、茶といえば煎茶に代わっていきました。
ですから、抹茶は日本のみであり、桃山の利休の侘び茶という最高峰の洗練された独自の文化を持つものでありますから、これこそふさわしいと、手に入る一番良いお茶(京都 一保堂『青雲』)とお菓子、茶杓に茶筅、茶漉しと、一式を用意して、BCの全員に振る舞わせていただきました。
なお、お菓子は、三浦雄一郎さんが用意されていた「虎屋の羊羹」と私が日本から持参した福岡に本社がある五十二萬石如水庵の「とっとーと。」という銘菓です。
雄一郎さんをはじめ、皆さん大変喜ばれて、「よし、最高峰でお茶会をやる。そのときに使わせていただく」となって、豪太さんにセット一式をお渡ししました。〈*写真1:三浦豪太さんにお茶道具を託す〉そして、登頂の日本人4人で、8500mのC5でのお茶会となったということです。
文化の最高峰である日本の抹茶が、世界最高峰の茶会として、ありがたくも世界に発信していただいたということで、嬉しい限りです。
*朝飯会での講演の翌日(5月24日)、登頂を祝して雄一郎さんと豪太さん宛にメールを送信したところ、28日、下山後の豪太さんより以下の返信をいただいた。
差出人: Gota Miura
日時: 2013年5月28日 15:26:59 JST
宛先: 竹岡誠治
件名: Re: [everyone:00137] ご声援ありがとうございます。登頂いたしました。
竹岡さん ありがとうございます!
僕達も竹岡さんがベースキャンプまできてくれて本当に楽しかったです
僕達は本当に8500m地点にてお茶をたてました!
過酷な環境にてお茶をたてることによって不思議な落ち着いた空間ができました!
おかげでみんな心安らかにアタックができました!
他のお土産もとても役にたちました!
日本でまた会いましょう!
豪太
●強行軍の中、登頂へ
代々木にある雄一郎さんの拠点であるミウラドルフィンズからいただいた資料によると、登頂隊は今日、23日午前0時(日本時間午前3時15分)起床、午前1時(同午前4時15分)C5出発、午前6時(同午前9時15分)標高8700mの南峰(サウスサミット)を経て午前9時(同午後0時15分)登頂予定となっております。
真っ暗闇の中を、ライトを頼りに登ってこられ、日の出は現地午前5時(同午前8時15分)とのことですから、ちょうど夜明けを迎えられたところでしょうか。
8000mの高所では、一歩進むのに10回の呼吸が必要で、100m上がるのに2時間余り要します。C5から頂上までは高低差348mですから、登頂まで8時間の難行苦行の行程となります。
登頂を果たすと、頂上から、BCと日本のミウラドルフィンズに衛星電話で交信される予定とのことです。
その後、長く頂上には留まれませんから、5分から10分ほど、声を発信した後、すぐに下山、C5を通り越して、今日のうちにC4まで降りられます。降りるのも大変で、5時間ほど要して午後2時(同5時15分)着予定という強行軍です(実際は、C4到着は大幅に遅れて午後7時〔同午後10時15分〕となった。雄一郎さんは、感激のあまり頂上で酸素マスクを外し、頂上に1時間ほど滞在。それが、かつてないほどの疲労を招き、この結果となったという)。
ともかく現在は、一所懸命、呼吸しながら、一歩一歩、斜度約45度のルートを登っている、こういう状況であろうと思います。
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