三浦雄一郎氏の3度目のエベレスト挑戦に同行して
後編
●三浦本隊の人員構成
今回の三浦雄一郎さんの本隊は、総勢9名に、産経新聞社からの専属記者である早坂洋祐さんの1名を加えて、10名で組織されています。
登頂メンバーは、三浦雄一郎さんと豪太さん、登攀隊長に5度のチョモランマ登頂ガイド歴をもつ上級登攀山岳ガイド・倉岡裕之さん、そして映像担当の平出和也さんの4名。平出さんは、ICI石井スポーツ登山本店所属のクライマーで、ウェック・トレックの貫田さんがスカウトした人です。カメラを釣り竿のような3mもの長さの棒の先に付けたり、リモコンヘリを使うなどして独自の臨場感溢れる映像を撮る、山岳撮影での第一人者の1人です。
さらに標高7000mのC3まで同行する女医の大城和恵さん。この先生は、平出さんのヘリを、たたき落して壊してしまったとのことです。これは、もちろん故意にではなく、背後から接近して来たリモコンヘリに、それとは知らず驚いて、手で払ったら接触したということのようです。
そういうわけで、ヘリの映像は、7000m付近までのものまでしかありません。私も見せていただきましたが、目標にぎりぎりまで接近して、大変迫力のある映像です。
あとは、雄一郎さんの長男でKDDI勤務、通信担当の雄大さん、遠征隊マネジャーの五十嵐和哉さん、記録とキャンプまわり担当の三戸呂拓也さん、そして、雄一郎さんの北海道の友人の新谷暁生さんです。
産経新聞社の早坂さんは、三浦番ともいうべき人で、雄一郎さんの他の遠征にも同行して、記事を送るということを続けてきた記者さんです。2011年の南極遠征にも同行されていました。
それと、旅行社の貫田さんがすべての手配を担当していますから、日本からのメンバーは、結局、11名となります。
●現地スタッフ構成
その三浦隊に随行の現地スタッフは、19名がおりました。これに加えて、ルート上のキャンプ設置のために、既に離れて動いているポーターなどのスタッフがおりますが、確認できませんので、それは含まない数です。
内訳は、サーダーのデンバギャルソン・シェルパのもと、12名のクライミング・シェルパがいて、そのうち10名が登攀要員です。登頂には、これに選ばれるとボーナスが出ますから、皆、行きたがりますが、そのうち、体調がよく気力充実した者から人選して、4~5人がメンバーとなります。
コックは、三浦隊には2人います。ベースに1人、登攀に1人が必要だからです。それに、キッチン・ボーイが4名います。
報道では、手巻き寿司をテントで食べられている映像がありましたが、気圧の関係で米が炊けるのは、C2までです。そこから上は、ビニール袋に入れたご飯を温めたものと思われます。
ともかく、ざっと見ても、一隊を機能させるには、20名を越える現地スタッフの支えが必要であるということです。
●報酬の明細
次に、これらのスタッフへの報酬は、どうなっているかということですが、今回同行いただいたウェック・トレックの稲村さんの説明を参考にまとめてみました。
まず、コックのもとに働くキッチン・ボーイとキッチン・ヘルパーには、食事付きで、どちらも1日あたり1000~2000ルピー払います。日本の1000円が、ほぼ1000ルピーです。現在は、円安のため、880ルピーくらいになっていますが、1000円=1000ルピーで計算されます。
荷物を運ぶポーターも、1日1000ルピーと、ほぼ同じですが、こちらは食事なしです。自前で調達しなくてはなりません。
また、同じ荷物運びでも、ゾッキョ・ドライバーは、1頭あたり人の倍の荷物が運べることから、サラリーも倍の2000~4000ルピーとなります。また、需給関係で、さらに1頭あたり5000ルピーまで上がることもあるとのことです。また、ヤクになると、さらに高所での作業ですから、ゾッキョの2.5倍となります。
ゾッキョやヤクの飼料である牧草は、高所になると生えていませんから、その場合は、ゾッキョ・ドライバー自身の責任で、ポーターを雇うなどして牧草を運びます。
山で働く動物は、それとは別に、人を乗せる馬がありますが、これは一番高く、1日2万円になります。日本のタクシーより高いですね。馬の場合は、まかり間違って人を谷底に落とさぬように、よく馴らす時間が必要で、人を乗せられるまでに2~3年はかかるとのことで、それで、この料金になります。
私の尊敬する画家の田渕隆三先生は、何度もヒマラヤに絵を描きに来られるので、20万円で自前の馬を1頭買って、現地で飼育してもらっています。馬は、標高5000m前後まで行ってくれます。
サーダーとコックには、トレッキングをアレンジする会社が、全期間の報酬を払います。トレッキング会社は、サーダーとコックのみを雇い、その2人が、気の合うものどうしとか、秩序を乱さないか等を基準に、必要に応じて他のスタッフを人選します。サーダーとコック以外は、日雇いとなっています。今回のわれわれの支援隊は15日間でしたが、それを全日程働けば、1人当たり2~3万円の収入となります。
ヒマラヤのトレッキング・シーズンは、年4~5ヶ月ほどしかありません。春の3~5月と秋の9~11月です。それ以外の6月から9月は雨季で山は見えず、冬は寒さ厳しい。シェルパの人々は、シーズンの4~5ヶ月間、精一杯働いて、1年の収入の大半を稼ぎます。
なお、この金額には、チップは入っていません。チップも彼らにとって重要な収入源で、サラリーとは別に、それ相応のチップが支払われることが期待されています。
旅行者が支払う旅費はといえば、1回のエベレスト街道のトレッキングで1人当たり、40~50万円ほどになります。
これは、カラパタールという標高5500m地点を目指す場合です。支援隊の場合、トレッキングでは通常泊まらないBCでの宿泊がありましたから、われわれの場合は、トレッキングだけで70万円、下山にヘリコプターも使用しましたので、総費用はだいたい100万円になりました。
●低酸素トレーニングと高山病対策
私は、今回、事前に4回、低酸素トレーニングを受けました。ミウラドルフィンズには、三浦雄一郎さんが自らの冒険のために作った、標高6000m相当まで設定できる日本で唯一の常圧低酸素室があって、そこで、4000m、4500m、5000m、5500mと段階的に設定を高めながら訓練をしたのですが、山に入るときに近い方が効果が高いということで、私の場合、4月24日の出発日まで1ヶ月を切ってから、3月28日、4月17日、18日、そして22日に入りました。
低酸素室での訓練内容は、30分安静、30分運動を繰り返す2時間単位のものが一つで、さらに、今回は私はしませんでしたが、そこで一夜を明かす睡眠トレーニングもあります。低酸素下に適した呼吸法を身につけることに、その目的がありますが、自分の体はどう反応するのか、あらかじめ経験しておくことは、実際の山で平常心を保つのに役立ってきます。
低酸素下の呼吸法の基本というのは、息を吐くことです。肺にある汚れた空気をまず出さないことには、酸素は体に入っていきません。ちょうど、目の前に火の点いたローソクがあって、それを吹き消すように、フーっと、口をつぼめて強く息を吐き出します。吐くと、あとは意識せずとも自然と酸素を吸っています。その呼吸に歩調を合わせると、楽になっていきます。これは、直接、雄一郎さんから手取り足取り教えていただいたことです。
睡眠時も、息を吐きながら寝るようにします。睡眠時の人の呼吸数は低下しますから、低酸素下の睡眠は大変危険で、そのまま呼吸が低下して死に至ることがあります。低酸素室での訓練の際は、測定器を指先に付けた状態で脈拍や血中酸素濃度(SpO2)の数値をモニターされつつ運動や睡眠をします。SpO2については、通常97とか98のところ、40ぐらいまで下がることがあります。睡眠中にそうなると、危険ですから、監視の声で起こされます。
●流星に成功を確信
いずれにしても、高度順化ができていないときは、体も危険を感じて、眠れないものです。
ベースキャンプでも、まるで眠れませんでした。眠れないので、それならと、夜中の2時頃、テントから外に出てみました。
素晴らしい星空で、この世のものとも思えない、これまで経験のない星空でした。
私は仏教徒ですから、法華経28品の中で方便品と寿量品(自我偈)を読誦し南無妙法蓮華経のお題目を山に向かって唱えました。最後に「どうか、ヒマラヤの山々よ! 雄一郎さんを守ってください」と祈っていると、夜空を東の日本の方向から頂上に向かって、一筋の光が、長く長く流れました。普通の流星は一瞬ですが、非常に長く流れました。私はこのとき、今回の三浦隊の挑戦は、必ず成功すると確信しました。
●あなたのエベレストを
なぜ苦しい思いをしてまで登頂を目指すのか、それを記した雄一郎さんの著書『私はなぜ80歳でエベレストを目指すのか』(小学館101新書、2013年4月刊)がありますから、その「著者からのメッセージ」を、ここでご紹介します。
「私にとって80歳でのエベレスト登頂は、今の人生を支えている目標です。その根源は、エベレストの素晴らしさであり、またその価値を身体で知ってしまった私自身が魅力にとりつかれてしまい、3度目にもかかわらず子どものようにドキドキワクワクし、まるで遠足にでも出かけるように準備しているこの時間が、大切で、楽しくて仕方がないことです。
どうして私が明るく、ポジティブでいられるのかとよく聞かれます。
結論だけを先に申しあげれば、私が明るくポジティブな理由は、目標があるからです。
したがって、皆さんがもし明るい気分になれず、ネガティブな気持ちに支配されているのなら、まず目標を持つことを考えてみてほしいのです。
目標さえあれば、明るくなる。そこに根拠とか、理屈といったものなどないのです。
私は冒険家として人生を送ってきて、今は心をエベレストに奪われてしまっていますから、止められてもエベレストに行きます。そうしないわけにはいかないのです。
しかしあなたの場合、それは富士山の頂上に立つことかもしれない。5kmを20分で走ることかもしれない。
この本は、皆さんにエベレストに登れと勧めたり、エベレストの魅力を伝えたりするために書くわけでもありません。
今の私にとってのエベレスト登頂は、今のあなたにとって、何になるのか?
『あなたのエベレスト』はどこにあるのか?
それを見つけてほしいために、皆さんをひたすら『炊きつける』本。少々きつい言葉を使えば『メンタル・ドーピング』のための本です。
目標を持った人生は楽しいし、さまざまな良い影響を与えます。そんな人が日本中に、世界中にあふれることで、この世はもっともっと良くなるはずです。(本書の序章より抜粋)」
目標に向かう雄一郎さんはこのとおりで、ベースキャンプに着いた私たちをニコニコして迎えてくれて、「これから氷河探検隊するから、一緒に行こう」と、案内していただきました。(写真5,6:氷河の上で登頂に備えて訓練)
左から三浦雄一郎氏、豪太さん、竹岡
ベースキャンプをわずか20m登るだけで、氷河の世界は宇宙そのままのようで、空気が違ってきます。この壮大なる地形は、インドを載せて北進する大陸プレートとユーラシア大陸とが衝突した2000万年前より延々と続いているヒマラヤの造山運動のなせるわざであり、磁場が違うと感じられます。
5500mのBCでさえそうですから、7000、8000mの世界は、それこそ宇宙と交信できる世界であり、家族全員の反対があっても「家出してでも行く」というほどの気持ちにさせる素晴らしさがそこにあるのだと思えました。
雄一郎さんが、どうしてそこに行きたいと思うのか、その一端が分かった気がしました。
雄一郎さんが、言っておられました。
「マスコミが『80歳になっても、いつも元気ですね』と言うけれど、それは違う。私も体は痛んでぼろぼろなんだ。あの素晴らしい世界に行こうと思うから、元気が出るんだ」と。
5年前、雄一郎さんが75歳で登頂したときに、76歳で登頂したと言ったネパールの人がいました。これは、実は登っていないのに、当局から登攀証明書を、何か手をまわして出させたというのが真相らしいのですが、証明書が出たものですから、ギネスにも認定されているとのことです。その山を冒涜した男が今回もBCにいて、同じことをするらしいと、全世界から監視されているそうですが、同じ登頂といっても、雄一郎さんとは対極にあります(結局、このネパール人はその後、断念した)。
雄一郎さんは「ギネスのために登るのではない。多くの日本の高齢者の希望のため、何よりも自分の目標のために登るのだ。他の人が、81歳で登ろうが、どうでもいい。でも、卑怯な真似は、ゆるさないよ」と、話しておられました。
●可能性への信仰 三浦家のDNA
この雄一郎さんの行動を動機づけている、その根底にあるものを端的に表現する言葉はないかと捜しておりましたところ、『三浦家のDNA』(実業之日本社文庫)という本に見つけました。最後に、これを紹介します。
雄一郎さんの父・敬三さんは、101歳の最期までスキーを続けられました。今回、雄一郎さんに同行している子息の豪太さんも、モーグルスキー選手としてオリンピックに2度出場するなど、挑戦に生きている。三浦家三代の男たちは、何故これほど元気で前向きなのか、三浦家のDNAとは、何なのか、その問いに対して、共通項は「可能性への信仰である」とありました。
「人は、私の馬鹿げた行為を冒険だというが、私の冒険は、人間がどれだけ強くなれるか、どれだけ自由になれるかの実験なのだ。私の描くシュプールは、限りなき自由への道なのだ」と言ったあと、「私は、いくつかの死との対決から、宇宙の広がりのようなものを感じ始めた。それはまだ、もうろうとしたもので、うまくは言えないが、可能性への信仰とでもいうのだろうか」と。
ああ、これだ。今の雄一郎さんを、一つの言葉で表現するとすれば、「人間の可能性への信仰に生きている」のではないだろうかと、感じました。
ご清聴、ありがとうございました。
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