三浦雄一郎氏のエベレスト登頂・ベースキャンプに同行して
中斉塾 東京フォーラムにて 後編
低酸素トレーニングと高山病対策
私は今回、事前に四回、低酸素トレーニングを受けました。ミウラドルフィンズには、三浦雄一郎さんが自らの冒険のために作った、標高六〇〇〇m相当まで設定できる日本で唯一の常圧低酸素室があって、そこで四〇〇〇m、四五〇〇m、五〇〇〇m、五五〇〇mと段階的に設定を高めながら訓練をしたのですが、山に入るときに近い方が効果が高いということで、私の場合、四月二十四日の出発日まで一ヶ月を切ってから、三月二十八日、四月十七日、十八日、そして二十二日に入りました。
低酸素室での訓練内容は、三〇分安静、三〇分運動を繰り返す二時間単位のものが一つで、さらに今回は私はしませんでしたが、そこで一夜を明かす睡眠トレーニングもあります。低酸素下に適した呼吸法を身につけることにその目的がありますが、自分の体はどう反応するのかあらかじめ経験しておくことは、実際の山で平常心を保つのに役立ってきます。
低酸素下の呼吸法の基本というのは、息を吐くことです。肺にある汚れた空気をまず出さないことには、酸素は体に入っていきません。ちょうど、目の前に火の点いたローソクがあって、それを吹き消すようにフーっと、口をつぼめて強く息を吐き出します。吐くと、あとは意識せずとも自然と酸素を吸っています。その呼吸に歩調を合わせると楽になっていきます。これは直接、雄一郎さんから手取り足取り教えていただいたことです。
睡眠時も、息を吐きながら寝るようにします。睡眠時の人の呼吸数は低下しますから、低酸素下の睡眠は大変危険で、そのまま呼吸が低下して死に至ることがあります。低酸素室での訓練の際は、測定器を指先に付けた状態で脈拍や血中酸素濃度(SpO2)の数値をモニターされつつ運動や睡眠をします。SpO2については、通常九七とか九八のところ、四〇ぐらいまで下がることがあります。睡眠中にそうなると危険ですから、監視の声で起こされます。
●「年寄り半日仕事」で頂上を目指す
さて、その低酸素トレーニングの初日(三月二十八日)に、三浦本隊は日本を出発されたのですが、出発直前に三浦雄一郎氏とお話しをしました。
その時、三浦さんは「竹岡さん、皆からよく八十過ぎてエベレストに登れるなんて元気ですねと言われるが、違うんですよ。あの素晴らしいヒマラヤの山々がまた見られると思うとワクワクして元気になるんですよ」と話されていました。
また、ベースキャンプに支援隊が着いた時(五月五日)、三浦さんは、
「今回は八十歳ということで三度目のエベレストにチャレンジしています。世界的に注目をされています。大変工夫もしながら、ベースキャンプまで着きました。今回かわったプランでやっています。それは年寄り半日仕事ということです。皆さんのスケジュールはルックラからパクディーン、ナムチェと経由してこのベースキャンプまで約十日かけてお着きになっていますが、私は今回その半分づつにして十七日間かけてこのベースキャンプまできました。頭も痛くないし、八十歳でこんなに素晴らしいコンディションは初めてです。二週間以上、一度も高山病になっていないのです。今後の中高年の登山や活動の指針になればと思ってやっています。大城先生(三浦隊の専属ドクター。七〇〇〇mまで同行)の手によって、老人ホームの呼吸困難患者にされています。それは本来であれば、高度順化のために一度ディンボチェ(四三四三m)に降りて二、三日過ごし再びベースキャンプに戻るのですが、今回はベースキャンプでそのまま残り酸素を吸って休養をしました。上り下りの体力消耗を避け、同等の訓練ができたのです。今回の酸素吸入器はよく老人ホームで見かけるカニューレという吸入用のプラスチックを鼻に差し込んで吸入します。このオンデマンド吸入器を使ってこの二、三日はグッスリ睡眠することができました。これからの行程も普通の登山隊が設定するルートに加え、キャンプの数を増やしました。」
実はこの三浦さんの話の中に、八十歳で登頂に成功したカギが潜んでいると思ったのです。普通は七十歳七十五歳と登頂に成功して、その過信から冷静に自身の体調と周りの判断ができなくなることが多いのですが、三浦さんの場合は実に的確に自分の老いとエベレストという過酷な環境とを直視され作戦を立てておられたのです。
これは常々、中斎塾の深澤中斎塾長が言われている「知足」の精神に相通じるものではないかと思うのです。
「敵を知り己を知らば百戦危うからず」という言葉がありますが、三浦さんは実に冷静に慎重に、自分の体力と年齢とエベレストの過酷な環境を知り尽くしていたのではないかと思います。
アフリカ共和国のマンデラ元大統領は「勇気とは、恐れがないことではなく、恐れに打ち勝つことだ。勇気の人とは、恐れを抱かない人ではなく、その恐れに打ち克つ人である」と述べられています。また、中国古典研究で有名な守屋淳さんは「孔子の偉大さは、常に自分の弱点を自覚し、それを克服しようと努力し続けた点にある」(『「論語」に帰ろう』平凡社新書)と述べています。
●頑張って、がんばって、ガンバって
同行した大城和恵ドクターは、『高く遠い夢 ふたたび』(双葉社)のエベレスト登頂記の中で、「今、八十歳の挑戦を振り返ると、三浦さんは八十歳という年齢を上手に受け入れていらっしゃるようでした。
七十、七十五歳でエベレスト登頂という輝かしい偉業を成し遂げたにも関わらず、その経験を過大評価することなく今までと違う八十歳にふさわしい方法で登ろうと、新たなエベレスト登頂という気持ちで臨まれました。この柔軟な対応こそが成功につながりました。一方下山時の限界に近いご苦労を目の当たりにし、年齢を重ねるということは、経験値だけでは計り知れない厳しさがあることを、あらためて実感しました。」と称賛されています。
最後に、エベレスト山頂からの雄一郎さんの言葉を紹介し、終わります。
「世界最高の気持ち、なんとか八十歳でエベレストの頂点に立ちました。まさかここまで着けるとは。疲れましたけど、八十歳でもまだまだいける。身体はこれ以上ないというくらい疲れているけど、本当に皆さんありがとう。ヒマラヤの景色。眼下に八〇〇〇m級の山が並んでいます、応援ありがとう。頑張って、がんばって、ガンバって、地球のてっぺんにたどり着きました。」
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