2013年12月11日
2013年11月29日より12月2日までの足かけ4日間、カンボジア北西部シェムリアップへの旅をした。シェムリアップは、周辺にアンコールワットなど、世界遺産に登録されている遺跡群があることで知られている。 旅の目的は、今回で18回目となったアンコールワット国際ハーフマラソンへの参加と、その第1回目(1996年)に飛び入りで参加し私の案内をしてくれて、それ以来、出会いを重ねた少年ロン君の13回忌法要の2つであった。初めて会ったとき、5歳であったロン君は、6年後の2002年、11歳で亡くなったのであった。 初日の11月29日と最終日の12月2日は日本とカンボジアとの移動に費やした。 今回は、シェムリアップへの乗り入れ便をもつ大韓航空を利用。 行きは、午後1時55分発、KE704便にて成田から韓国・仁川空港へ飛び、午後4時35分着(現地時間 以下同じ)。午後6時30分発、KE687便に乗り継ぎ、シェムリアップ空港、午後10時15分着。復路は、KE688便にて深夜午後11時15分(12月1日)発、翌2日、午前6時10分、仁川着。午前10時10分発、KE703便に乗り継ぎ、成田に午後0時30分着であった。 カンボジアでの日程は、1日目、11月30日に、ロン君の13回忌法要。モンドルバイ村と希望小学校の訪問、および、ハーフマラソンの前夜祭。2日目、12月1日、ハーフマラソン当日。10kmの部に参加。 以上のような正味2日間のハードスケジュールであったが、有意義な旅となった。 第1回目のアンコールワット国際ハーフマラソン 今から約20年前の1990年代半ば、70年代末から続いたポルポト派との内戦がようやく終結したカンボジアは、復興への端緒についていた。 そんなとき、当時、国連支援交流財団の広報部長に就いていた国際人権ネットワーク代表の緒方由美子さんから、アンコールワット国際ハーフマラソンの話をいただいた。 カンボジアはすでに平和を取り戻し、遺跡群のあるアンコールワットの周りは安全なのだと世界にアピールして観光客を呼び込みたいとの思いと、内戦時に埋められた地雷によって足を失われた子どもたちの義足を作る費用を集めたいとの思いから開催が企画されたとのことであった。 当時、地雷で手足を失った子どもたちは、たくさんいた。カンボジアで埋設された地雷は、殺傷能力はなく、命まで奪うものではない。体の一部を傷つけることで、戦闘能力および意欲を失くさせる武器であった。アンコールワット周辺はポルポト派の勢力圏と接しており、たくさんの地雷が埋められていたが、それらが雨季になると土が流されて、地表に現れる。知識を持たない子どもたちは、好奇心からそれに触れて、たくさん被害を受けたのであった。 その地雷も撤去が完了した。安全をアピールする効果的な方法はないか。そこで、大阪国際女子マラソンを企画運営してきたサンケイスポーツの結城肇氏がハーフマラソンを発案。オリンピックメダリスト(バルセロナとアトランタ)の有森裕子さんも賛同して、開催が具体化していったのである。 私は、緒方さんに向かって率直に「何が足りませんか?」と伺った。 「スポンサーです」と、答えられた。 当時、聖教新聞社の広告局にいた私は、「わかりました」と即答。ただちに担当していた企業に当たったところ、NTTドコモと博多の「からし明太子」製造販売大手の株式会社かねふくに快諾をいただいた。 第1回目のアンコールワット国際ハーフマラソンの開催は、1996年12月22日のことである。 NTTドコモには、以来数回にわたって協賛をいただき、「かねふく」には、今日まで連続して協賛をいただいている。特に、フン・セン首相がみえた第3回目(1998年11月29日)には、かねふく社長、竹内昌之氏自ら現地に足を運ばれた。 〈*ハーフマラソンをはじめ緒方由美子さんのカンボジア支援活動等については、本ウェブサイト内、LIFEWORK「ひたむきな一人の女性に心打たれて」をご覧ください〉 自立の第18回大会 今回の第18回大会は、大きな節目となった。 スポンサー集めや大会運営、その他諸々、すべてを地元で行えるようになったのである。 日本側のこれまでの労に対して、前夜祭において、代表して有森裕子さんに、カンボジア観光大臣兼同国オリンピック委員会委員長トン・コン氏とシェムリアップ州知事ウン・ソン氏から満腔の思いを込めて感謝状が贈られた。
この前夜祭には、日本の在カンボジア大使館から特命全権大使、隈丸優次氏も参加されていた。 氏のカンボジアへの赴任は本年3月であり、大会の経緯について詳しくないことから、私の知る第1回目開催時の苦労について、お話し申し上げた。 現地の小中学生に集まってもらい、予行演習として「笑って拍手を」と、お願いしたところ、実にぎこちない。 「どうしてだろう?」 聞くと、カンボジアの人々にとって「走る」とは、「逃げる」ことであった。人の走る姿は、敵に追われて命の危険があることを示すものであった。 そんな人に、どうして拍手をするのか? どうしてニコニコするのか? まったく理解できないことであった。 それを知って、私は愕然とした。 私は、通訳を介して、日本でも世界でも、スポーツの基本は、走ることであるといったことなど、根本的な事柄から説明を始めた。 その上で、この大会は全世界から皆さんを応援しようと集まって開かれるものであるから、その人たちに「ありがとう。ようこそ」と、気持ちを伝えることが大切であって、そのための方法として拍手と笑顔があることなど、何度も話をさせていただいた。 その甲斐があって、子どもたちがようやく笑えるようになった。 こんな話をしてさしあげた。大使は、「今からは想像できないご苦労があったのですね。隔世の感がありますね」と、感慨深げであった。
その他、初回の大会について思い出すことは多いが、特に、結城氏とともに黙々と走路の整備に汗を流しておられた神戸市陸上競技協会会長の西川公明氏(元兵庫県立有馬高等学校教員)の姿を思い出す。 西川氏は、陸競S級(最上級)審判員の資格を持っており、日本や世界における陸連のありかたを指導してこられた方であるが、コース上の橋に突き出ていた釘を支障のないように丹念に直すなど、献身的に働かれていた。 氏は、継続的に大会にかかわってこられ、節目を迎えた今回に対して「現地に多くの人材が育って、これほど嬉しいことはない」と、話されていた。 今大会、私は!0kmの部に参加し、約2時間で完走できた。
ハーフマラソンは、アンコールワット西参道入口をスタート地点に、遺跡に沿って走り、アンコールトムなどの他の世界遺産の中を通り抜け、スタート地点に戻る、起伏がほとんどない平坦な周回コースとなっている。また、車イス(ハーフ)、義手・義足(10km)といった障害を持つランナーも同時に走る大会である。日本を含め海外からの参加者が多いことも、その特徴である。
なお、次回(2014年)からは『アンコール・エンパイア・フル&ハーフマラソン(Angkor Empire Full & Half Marathon)』として、8月開催となるようである。 ロン君の13回忌と2人の青年 大会前日の朝、モンドルバイ村のロン君の実家を訪問した。 現地の日本語の堪能なペン・マリンという青年から、13回忌となるロン君の法要をしたいので是非来て欲しいとの母親の希望が、私のもとに伝えられていた。 実家には、ロン君の母親に彼の妹、加えて近所の人たちも集まっていた。 私は、法華経および南無妙法蓮華経のお題目の意味を話した上で、法華経の方便品と寿量品の自我偈の読誦と題目100遍の勤行をもって、法要をさせていただいた。 傍らには、日本をはじめ世界に行きたかったロン君へ、供養の意を込めて持参した日本の桜と世界一の山であるエベレストの図柄の2枚のカレンダーを掲げた。2枚の原画は、田渕隆三画伯の作である。 そして、お母様と妹に香料を差し上げ、参加した近所の子どもたちにはお菓子を配って、法要を終了した。
マリン氏は37歳で、かつて日本の神戸に7年間生活し、日本人と結婚をしていたことがあり、関西弁が実にうまく、日本人の心のひだまで知り尽くした人物で、すみずみまで行き渡った心配りのできる人である。カンボジアに学校を建設する日本のテレビ番組の企画が数年前にあったが、その受け皿を中心的に担った人でもあった。 同席の通訳、ファス・サムロット氏もまた、やさしい性格で、細かなことに気がつく素晴らしい人物で、現在27歳、独身とのことであった。 2人は、私に向かって口々に「お題目は、すごいですね」と、法要の感想を話してくれた。「気持ちが明るくなります」と。 「あなたたちは、SGIを知らないのか?」と問うと、「初めて聞く」とのことであったので、インドの釈尊が説いた最高経典が法華経で、それが鳩摩羅什の漢訳を通じて中国、そして日本へ伝えられ、日本の日蓮大聖人によって題目として真髄が表わされたこと。南無妙法蓮華経は、太陽さえも生み出す根源の力ある言葉で、生きとし生けるものに力を与え、希望を与えるものであること。現在は、池田大作先生が中心となって全世界にそれを流布しているのが、SGIである等々、話をしてさしあげた。 話をするうちに、「私たちも、やりたい」と、二人とも入会を希望。年長のマリン氏に、私の経本を渡し、二人に勤行をお教えした。 シェムリアップには、まだSGIの組織はないとのことで、二人はシェムリアップSGIの第1号と第2号であることを強調した。ただし、会員であるとの認定は、本部の判断が必要で、首都プノンペンの支部と連絡を取ることを話しておいた。 いずれにしても、題目の響きが、一度触れただけの異国の青年にも感動を呼び起こさせた事実に、私は感無量であった。新時代の到来を、まさに実感した。 モンドルバイ村訪問 法要を終えて、モンドルバイ村にある日本人のための宿舎と敬老会、そして希望小学校を訪問し、各所に、田渕画伯のカレンダーを寄贈させていただいた。 敬老会には、かねてより新日本製薬株式会社社長、後藤孝洋氏提供によるサプリメントを差し上げ、膝が痛い人に喜ばれているが、今回も託されたサプリメントを贈呈させていただいた。
新日本製薬は、山口の岩国に薬草研究所を開設し、近年、漢方薬に欠かせない甘草の栽培に日本で初めて成功し、日本中の休耕田を利用して、それを生産するプロジェクトを開始するとともに、それをミャンマーやカンボジアに広げる計画を立ち上げた。現在、JICAと外務省の協力のもと、事業を推進するかどうかの調査段階にある。隈丸大使も興味を示され、カンボジア支援の新しい柱の一つになるのではと、期待を寄せて、「是非、任期中に根付かせたい」と話されたと聞く。 田渕画伯、後藤社長、そして、かねふくの竹内社長に、この場を借りて、御礼を申し上げるものである。 |