第2406回 丸の内朝飯会 【後編】 平成27年6月4日午前7:30〜8:45
*本稿は、当日の内容をベースに一部加筆訂正しました。 法華経 生命は永遠 いよいよ大乗経典の王者といわれる法華経です。漢訳は、いくつかの訳があり、一般的には、法華経といえば、その本意を最もよく伝えていることから、鳩摩羅什訳の法華経(妙法蓮華経)を使っています。 その骨子は、生命は永遠であるということであります。 また、人は、何故、この世に生まれてきたのか。何故、死ぬのか。人生の目的、使命とは何か。それは、人類にとって最大のテーマであり、多くの宗教家や思想家が取り組んで、答えに窮してきたテーマでありますが、それに解答を与えているのが、この法華経であるということができます。 それは、28品あるうちの第16番目、寿量品(如来寿量品)にあります。 そこには「一切世間の天人及び阿修羅は皆今の釈迦牟尼仏は釈氏の宮を出で伽耶城を去ること遠からず道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提を得給えりと謂えり」とあって、お釈迦様は王宮を出て、ブッダガヤの菩提樹下で、今世において仏になったといわれていることを、まず再確認します。 ところが、その直後「然るに善男子・我実に成仏してより已来無量無辺・百千万億・那由佗劫なり」とあって、実は「無量無辺・百千万億・那由佗劫」という大昔から仏だったと、耳を疑うようなことが打ち明けられます。 この「無量無辺・百千万億・那由佗劫」というのはどれくらいかというと、五百千万億那由佗阿僧祇(なゆた・あそうぎ=極大すぎて数え難い数)の三千大千世界(大宇宙)をすりつぶして微塵とすることができたとして、それを何かの乗り物に載せて東方へ向かい、五百千万億那由他阿僧祇の国を過ぎたときに1粒落とす。以下同様に1粒ずつ落としてゆき、それらが尽きてしまうと、今度は、その粒を落とした国もそうでない国も全部合わせて、また微塵にして、その1粒を1劫と数える、そんな長遠な時間を超える長さであるとされています。 この計り知れない時間を「五百塵点劫」と呼ぶのですが、要するに、思念の及ばないほどの遠い昔から仏となって、それ以来ずっと出現と入滅を現じてきたし、今後もずっとそうであると説かれるのです。 自分と同じ仏に ここにおいて、仏の生命は永遠であると明かされるのですが、では、その仏は何のためにいるのか。何をしてきて、何をしようとしているのか。 それは、この寿量品の末尾に「毎自作是念(まいじさぜねん)以何令衆生(いがりょうしゅじょう)得入無上道(とくにゅうむじょうどう)速成就仏身(そくじょうじゅぶっしん)、「毎(つね)に自ら是の念を作す 何を以てか衆生をして無上道に入り 速かに仏身を成就することを得せしめん」とあるように、衆生を自分と同じ仏にするためであり、これまでも、これからもずっと同じであると答えられています。 そもそも人は、仏になれるのか。それが可能でなければ、こんなことを言われるはずがありません。 これ以前の方便品第二には「諸仏世尊は衆生をして仏知見を開かしめんと欲す」とありますが、ここに「開かしめん」とあるということは、もともとそこになければ、開きようがないわけで、ここにおいて、人にはもともと仏性があることが前提となっており、すべての人が大事な存在であると結論できるのです。 仏と人は同じになり、ここにおいて、仏はわれわれの代表として、人類最大のテーマに答えられているのだとわかってきます。すなわち、人はこの世に生まれたのは、仏となって人を仏にする、つまり、自他共に幸せになるためであり、それを使命とする人生こそ、最高の人生であるとなっていきます。 それで、この法華経の精神をわが精神とすべく、すでに申し上げているとおり、私は、この法華経の最重要の方便品と寿量品の肝の部分を読誦し、法華経の題目である、南無妙法蓮華経を、毎朝、毎晩、唱えておるというわけであります。 被爆者の家に生まれる 私が特に法華経にこだわる理由は、私の生い立ちと関係があります。 私の家は、広島の原爆で大変な思いをした家庭でした。 私の祖母、國貞リョウは、戦時中、爆心地近くの陸軍病院で看護婦長をしておりまして、原爆のときは、隔離患者に付き添って爆心地の南西1kmあまりの地点で被爆、ガラスの破片などによって瀕死の重傷を負って1週間後に見つかりました。母、智佐子は、市の西部、爆心から3kmほどの家にいて直接の被害は免れましたが、放射能を帯びた黒い雨を浴び、祖母を捜して爆心地をさまよい歩きましたから、間接被爆をいたしました。 私は、その後の生まれですが、小学校に上がるまで1本の髪の毛も生えてきませんでした。私は当時「せいぼー(誠坊)」と呼ばれていたのですが、何で頭がツルツルなんだろうと思っていたら、祖母が言いました。「せいぼー君、あんたの頭がツルツルなのはピカドンのせいじゃ」と。それで初めて私は、原爆のことを知りました。私が10歳ころのことです。それと「あんたにはお兄さんがおったけど、生まれて18日、3週間になる前に、真っ白だったのが真っ黒になって、死んでしもうた」と知らされて、それもまたピカドンの毒のせいだと教えられました。 当時を思い返せば、家の中は本当に悲惨でした。戦争から帰ってきて母と結婚した親父は、原爆の後遺症に苦しむ義母がいて、やっと子宝に恵まれたと思ったら、その子が生後すぐに亡くなるとなって、酒に溺れるようになりました。原爆のおかげで、こんな家庭があるかと思うほどにひどい家庭の状況でした。 南無妙法蓮華経とは 南無妙法蓮華経とは何か、さまざまな次元や側面から論じられますが、まず、どういう意味かと申しますと、冒頭の南無とは、サンスクリット(梵語)、ナマスの音の漢字表記で、帰命という意味です。帰命とは、心から信じ従いますということです。 続く妙法蓮華経は漢語で、サンスクリットではサッダルマ・プンダリーカ・スートラで、妙法はサッダルマで正しい法という意味です。 蓮華のサンスクリット、プンダリーカは、特に白蓮華のことを指しています。 蓮華にも紅蓮、青蓮華など何百種とあって、それらはパドマと総称されるのに対して、プダリーカのみは、その総称に含まれず、独立して特別扱いされています。したがって、唯一無二という意味合いが込められています。 以上をまとめますと、南無妙法蓮華経とは、この世で最高にして唯一無二の教えに心から帰依しますということになります。 観音経 あと、多くの方がよく聞かれるお経に、観音経がありますが、このお経は、実は法華経にあるということを、つけ加えておきたいと思います。 それは、第25番目、観世音菩薩普門品のことでありまして、これを観音経として独立させて呼んでいるということであります。 そこには「南無観世音菩薩」と観世音菩薩の名を一心に唱えたり、あるいはこの経文を唱えるならば、すべての苦悩を消滅させられると説かれています。 たとえば、火事、海難、山での遭難などに遭っても、それを免れ、悪人や盗賊などに刀で切りつけられても、その刀は折れてしまい、牢に繋がれても解放され、呪われ毒薬を盛られても、かえって盛った本人に還る、さらに、雷や大雨にもやられない等々、記されています。 また、男の子が欲しければ福徳と智慧の、女の子なら美人で愛される子供が授けられるとも記されております。 ともかく、それで、危ない橋を渡る博徒や渡世人が、背中の刺青に、この観音様を彫ったりするわけですし、上下を問わず、観音信仰は広まりました。チベットのダライ・ラマも観音菩薩の化身と考えられているといわれますし、日本では、和歌山の那智の滝が、本地は千手観音とされて信仰の対象とされてきたなど、数々の例があげられます。 観音の力とは ところで、これは、観音経のあまり読まれていないところにあるのですが、お経を聞いていた無尽意という菩薩が、高価な宝石で作られた首飾りを観音様に供養しようとする場面があります。 そのとき、観音様は、これを受け取りません。 再度、申し出があって、そこでお釈迦様が、諸々の衆生のために受けるようにと勧められたため、ようやく受け取ります。 ですが、結局、受け取った首飾りを、観音様は自身のものとせず、二分して、一方はお釈迦様に、もう一方を多宝仏に渡します。多宝仏というのは、証明役として法華経に登場する仏です。 つまり、この観音様の力も、実は法華経の力によるものであることを、ここで示しているのです。そこのところを知っておかなければ、この経の真意はわからないのだということです。 また、観音様といっても、法の力の作用であって、あらゆる人、あらゆる事物、あらゆる現象が、その人を助けるようになる、場合によっては、すべてが観音様の働きをする。だから、すべてに感謝の思いを持って生きていくべきであると、そう教えているのであります。 華厳経 縁起の法 続いて華厳経ですが、先ほど、釈尊の生涯を概観した際に申し上げましたが、釈尊が覚りを開いた直後に、その覚りをそのまま表したものとされており、また訳の問題もあって、難解な経典となっております。漢訳には、新旧訳がありますが、5世紀、東晋の、北インドからの渡来僧、仏陀跋陀羅(ぶっだばったら)による旧訳(大方広仏華厳経)が、天台の五時の対象です。 この経名、大方広仏華厳経の「方広」は「方等」と同じで「方正・平等」ということで、「正しく平等で偉大な仏の、華で荘厳された教え」という意味の経典となります。 では、何が表されているかということですが、それは縁起の法です。 縁起については「空」の説明で、これが前提となって「空」の概念が成立するということを、般若経についてお話しする際に申し上げましたが、一切は、互いに縁となり、作用しあって、関係性によって現れるということです。 「一即多、多即一」とあるのがそれで、一つの現象・事象は多くの因縁によって成り立ち、多くの現象・事象も一つの中に含まれているとするものです。 また、これを裏付けとして、心如工畫師(しんにょくえし)とあって、「心」は、すぐれた画家のように、世の中のあらゆる現象を造りだしていく、さらには、心仏及衆生是三無差別(しん ぶつ ぎゅう しゅじょう ぜさん むさべつ)と、仏と衆生といっても別のものではなく、やはり、心の造り出せるものと説いています。 証明される縁起の法 これで、どうなるかというと、心で思ったこと、すなわち、祈りや願いが作用して、世界を変えていけるということがいえるようになります。こう申し上げると、非常に楽天的かつ非科学的といわれるかもしれませんが、スーパーコンピュータを使った最近の検証で「北京での今日の蝶1匹の羽ばたきが、来月にはニューヨークに嵐を起こさせる」といったことが、わかってきました。 これは、バタフライ効果と呼ばれるもので、1960年代にアメリカの気象学者エドワード・ローレンツが発見したもので、この効果の核心にはカオス理論というのがあって、ごく小さな変化が複雑に作用して、大きな変化をもたらしてしまうというものです。これはもう、縁起とほぼ同じ考え方といえるのではないでしょうか。 それに、アインシュタインの相対性理論以来の最近の物理学も、同様の考え方に接近しているようです。 それは、宇宙空間に質量の大きいものがあれば、その重力によって空間が曲がり、そばを通過する光が曲がる。その結果、観測結果が変わってしまうというものですが、これも、すべて関係性によって成り立っていて、一つが変われば多くが変わるという縁起の考え方に通じるものと思います。 その他、極小の原子レベルも、人間自身も、大宇宙と相似の関係にあるといったこともいわれますが、華厳経の「一即多、多即一」を彷彿させるものがあります。 一人は宇宙大の存在 一人ひとりの心に全宇宙が入り、その故に、一人ひとりが仏のごとく宇宙大の完全な存在であるとの華厳経の教えは、法華経にも通じ、人間の尊厳、生命の尊厳の根拠となる経典の一つであるといえるでしょう。 日本には華厳経は、8世紀、奈良・天平の聖武天皇のときにもたらされました。 あの奈良の大仏、つまり東大寺の大仏は、華厳経の教主である盧遮那仏(るしゃなぶつ)として造営されたもので、一人は宇宙大の存在であるとの華厳経の教えが一目瞭然となるように、あの高さ15mほどの大仏となったのだと知っておくべきだと思います。 この毘盧舎那仏の名は「広く照らす」という意味のサンスクリット、ヴァイローチャナの漢字表記で、太陽の光を指しており、光明遍照とも呼ばれ、真言宗の大日経では大日如来となっています。 浄土三部経 それから、世に行われている経典ということで、浄土三部経にも言及したいと思います。これは、南無阿弥陀仏と唱える、いわゆる称名念仏の根拠となる経典です。これは、無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経の3部からなりますが、極楽世界への道として法然が、12世紀末、鎌倉時代のはじめに、選択集(選択本願念仏集)を著して定めたものです。 西方十万億土を過ぎたところに極楽浄土がある。そこには阿弥陀仏がおいでになる。阿弥陀仏というのは、サンスクリットではアミターユスで、無量寿と訳され、計り知れないほど長い寿命をもつ仏様ということです。それで、その浄土には、地獄、餓鬼、畜生の三悪道の名前すらない。この世は苦しみの、人々がのたうちまわる三悪道の世界であって、そこは、けがれている国土という意味で穢土と呼び、死後、そこを離れて極楽浄土に行こうではないか。阿弥陀様は、それを願って念仏を唱える人を極楽浄土に生まれさせると誓っておられる。だから、専修念仏、阿弥陀仏の名を一心に唱えることであると説いていきました。 阿弥陀仏の誓い その阿弥陀仏の誓いとは、無量寿経に阿弥陀仏が成仏する前に誓った四十八願というのがあって、その第18番目、設我得仏(せつが とくぶつ)十方衆生(じっぽうしゅじょう)至心信楽(ししんしんぎょう)欲生我国(よくしょう がこく)乃至十念(ないしじゅうねん)若不生者(にゃく ふしょうじゃ)不取正覚(ふしゅ しょうがく)唯除五逆(ゆいじょごぎゃく)誹謗正法(ひぼう しょうほう)を指します。これは「私が仏になるとして、心から信じて私の国に生れたいと願い、もしくは、わずか10遍でも念仏した衆生が、もし万一、往生できないようなら、私は決して覚りを開くわけにはいかない。ただし、五逆罪を犯した者と正法を謗る者だけは除くが」といった内容です。 ところで、この第十八願の末尾にある文言で、五逆罪とは殺父、殺母、殺阿羅漢、出仏身血(仏身を傷つけること)、破和合僧(教団を乱すこと)のことですが、議論が分かれるのは「正法を謗る者だけは除く」の「正法」とは何かです。 実は、法華経にも阿弥陀仏は登場していて、化城喩品第七で、三千塵点劫という遠い昔に出現し法華経を説いた大通智勝仏の、16人の王子の9番目で、西方の国土の仏とされています。 ちなみにこのとき、釈尊は、16人兄弟の末っ子です。 また、薬王品第二十三には、法華経を聞いて説のごとく修行した女性は、死後すぐに阿弥陀仏らのいる安楽世界に往き、蓮華の中の宝座の上に生まれて、すべての悩みから解放されるとなっています。 したがって、法華経の側からいえば、無量寿経の「正法を謗る者だけは除く」とある「正法」とは、法華経のことになります。 ともかく、この、死んで成仏するとして、死を厭わない思想は、当時の末法思想を背景に、強い勢力となっていきます。 末法思想というのは、釈尊滅後一定の期間が経過すると、その教えは効力をなくすというもので、滅後2000年がその時であり、先に申し上げたように当時は紀元前949年入滅説でありましたから、末法の始まりは、西暦1052年(永承7年)であるとされます。人々は、世相の乱れもあって、これを信じ、この世での救いを諦めて死後の往生を願ったというわけです。 極楽世界を願って 三部経のそれぞれの経典ですが、無量寿経は3世紀、中国の三国時代、魏の康僧鎧(こうそうがい)の訳、観無量寿経は観経とも称されますが、5世紀、南北朝、南朝の宋(劉宋)において西域出身の僧、キョウ良耶舎(きょうりょうやしゃ)の訳、阿弥陀経は5世紀初め、鳩摩羅什訳が、それぞれ使われています。 私は、このあたりは詳しく勉強していませんが、浄土三部経を立て別けると、無量寿経は極楽世界の設計図、観無量寿経は極楽世界へ行くためのガイドブック、阿弥陀経は極楽世界の完成図という位置付けになるとのことです。 10円玉の図柄で知られる宇治の平等院鳳凰堂は、くしくも末法の始まりとされた翌年にあたる1053年(天喜元年)の落慶ですが、この極楽浄土をこの世でせめて見たいという願いから造営されたものです。前の奈良時代までの寺院建築は、奥行きがしっかりとあって現実に捉まえられる彫刻的な造りであったのに対して、これは間口に対して奥行きは浅く、いわばスクリーンに映る映画を眺めるようなものです。また、彼岸という言葉がありますが、建物の前には池が造られて、当時は池の手前からしか見られないようになっており、向こう岸の建物のある極楽浄土は彼岸として、この世と隔てられていることを示しています。 小乗と大乗の涅槃経 続いて涅槃経です。これは、入滅前、1日1夜のうちに説かれた釈尊最後の教えとされる経典です。 涅槃という言葉は、般若経にも出てきましたが、サンスクリットでニルバーナ、燃えている火を吹き消すという意味で、苦しみが滅した安らぎの境地をいいます。 それで、涅槃経ですが、小乗部と大乗部より構成されていて、小乗部のみを訳したものに、5世紀、東晋の法顕による大般涅槃経(だいはつねはんぎょう・別名:大般泥オン〔ないおん〕経)があって、これは小乗の涅槃経ともいわれますが、釈尊の入滅前後の状況が事実に近い形で記述されているとされる経典です。 大乗部も含めての訳は、同じく5世紀、五胡十六国のうちの北涼において、中インド出身の曇無讖(どんむしん・ダルマラクシャ)が訳した北本と呼ばれるものと、南北朝時代の南朝の宋(劉宋)において慧観(えかん)慧厳(えごん)謝霊運(しゃれいうん)らの共訳による南本が有名ですが、天台の系列では南本を用いて注釈しています。 大乗部には、一切衆生(いっさいしゅじょう)悉有仏性(しつうぶっしょう)如来常住(にょらいじょうじゅう)無有変易(むうへんやく)と、仏性がすべての衆生に備わっていることや仏身の常住などを説いて、何故、仏は生まれ、入滅するのかという問いに答えています。 これらは、すでにお話しした通り、法華経にも、共通して説かれていることです。 たとえば「一切衆生 悉有仏性」についていえば、法華経の常不軽菩薩品第二十には「私はあなた方を深く敬い、けっして馬鹿にしたりしません。なぜかといえば、菩薩道を行ずれば、皆、作仏することを得るのだから」と、見知らぬ誰にでも礼拝してまわる、その名も常不軽という菩薩のいたことが記されています。 言われた方は、仏になれるなんて思ってもみなかったために、むしろ気持ち悪いわけで、その菩薩に向かって「嘘を言うな、あっちへ行け」等と悪口を言って、あるいは木の杖で叩き、石を投げつけます。けれども、不軽菩薩は逃げながらも「私はあえてあなたたちを軽んじません。皆んな、仏になるのだから」と、なお声高らかに繰り返したと、そんなことが語られています。 雪山偈 また、これもよく知られていると思いますが、涅槃経には「諸行無常(しょぎょうむじょう)是生滅法(ぜしょうめっぽう)生滅滅已(しょうめつめっち)寂滅為楽(じゃくめついらく)」という言葉があって、これは日本で、その意味を映して、いろは歌となっています。 「いろ(色)は にほ(匂)へど ち(散)りぬるを わ(我)がよ(世)たれ(誰)ぞ つね(常)ならむ うゐ(有為)の おくやま(奥山)けふ(今日)こ(越)えて あさ(浅)き ゆめ(夢)み(見)じ ゑひ(酔)もせず」と。 この諸行無常の句は、涅槃経中の雪山偈(せっせんげ)といわれるものです。 釈尊が過去世に雪山童子といわれていたとき、人生の実相とは何かを知りたくて、山奥で修行しておりました。そのときに「諸行無常 是生滅法」という声が聞こえてきた。 「あ、求めていた教えだ」と、声のする方に行ってみると、そこには羅刹(らせつ)、人を食う凶暴な鬼がいました。 「あなたが、言ったのか」とたずねると「そうだ」というので、「続きをどうか教えて欲しい」と、童子は懇願します。 「私は人を食わないと生きていけない。私に喰われることを約束するなら教えてやろう」というので、「残りを知ることができたら、喰われても本望だ」と、童子はその条件を承諾します。 こうして残りの「生滅滅已 寂滅為楽」を聞いた童子は、この4句を周囲の樹々や石に刻んだ後、1本の木に登り、約束どおり、羅刹に食べられるために飛び降ります。 その瞬間、羅刹は帝釈天に変わり、童子の体を受け止め、法を求めるその心を称えたというものです。 小我から大我へ それで、雪山童子が求めた4句の解釈ですが、前半の「諸行は無常なり、是れ生滅の法なり」までは、小乗教以来の無常観を表したもので、後半の「生滅を滅し已(おわ)って、寂滅を楽と為す」で、生滅に固執する煩悩を滅した涅槃の境地に、真の安楽があるとの教えであると解釈されます。 そして、これは、自らの肉体を惜しまず法を求めた雪山童子自身の行為そのものであり、これをもって教えを受けるに相応しい資格者となったからこそ、後半の句が与えられたという物語なのです。 また、最終的には童子は、喰われて肉体を滅することはありませんでした。このことは、小乗教では灰身滅智という肉体を滅することを目指したのに対して、煩悩即菩提といいますが、煩悩や肉体はそのままに、滅するべきは煩悩に支配される利己的な小我であって、そこに大我が現れることを説くものと解釈されています。 ところで、この雪山童子の物語『施身聞偈(せしんもんげ)』は、奈良、法隆寺にある7世紀、飛鳥時代の仏教美術の代表作、玉虫厨子の側面に描かれています。絵は、厳粛で丁寧な画風で、当時の人々が、いかにこの物語に感銘を受けたかが窺い知れるとともに、技法面でも漆絵と密陀絵(油絵の一種)の混合で、1300年経てもなお堅固な画面を実現している点においても、世界レベルの作品として注目されます。 大日経 世に広まっている経典ということで、最後に大日経です。 これは密教の経典で、弘法大師の真言宗が依拠する経典です。金剛頂経、蘇悉地経とあわせて大日三部経、もしくは真言三部経といわれます。 大日経は、正式名、大毘盧遮那成仏神変加持経で、釈尊ではなく、すべての仏を生み出す根本の仏である大日如来が説いたとされ、8世紀、唐の玄宗の時代、インド王族出身の僧、善無畏(シュバカラシンハ)の訳が使われています。 この経典を密教と呼ぶのは、それまでは、その教えが経文に言語はっきりと表されていることから顕教として、それに対して、この教えは経文の言語外に隠されているということで、密教と呼んで区別するということなのです。それで、既に申し上げましたが、顕教である華厳経では盧舎那仏、密教においては大日如来です。 大日経では、如実知自心(にょじつち じしん)「実の如く自心を知るなり」と、本来の自分の心を自力で知ることに、その眼目があります。自分の心を知ろうとするなかで、菩提心を求めることになり、仏の一切智を獲得することになると。その自分の心を知るためには、ただ考えるだけでなく、真言を誦し、指先で印を結び、護摩を焚いて火をガンガン燃やしたり、鉦をガンガン叩いて大きな音を響かせたり、あるいは香を焚いたり、さらには、体を使って難行苦行をしたり、山を歩きまわったり、ありとあらゆる修法を用います。 真言とは宇宙語 そのなかで、真言というのは、いわば、宇宙語です。宇宙語だから、ほとんど理解できません。顕教では釈尊の説法を聴聞する相手(対告衆)は、四衆(比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷=出家の僧尼、在家の男女信徒)でしたが、大日如来の説法の相手は、南無大師遍照金剛と唱えるのを四国八十八ヶ所のお遍路さんなどから聞きますが、その金剛薩タ(ヴァジュラサットヴァ)といった、その宇宙語を理解できる一部の菩薩とされています。そして、その理解不能の大日如来の発する信号である真言を受けとめられるようにするために、さまざまな修法が必要だったというわけです。 なお、あらゆる手段を動員するということで、その超越性をわからせるために、曼荼羅という大日如来の世界を図像化したものや、あえて頭部を盛り上げ、体躯を太くした如来像などが造られました。そして、それらの色彩は、闇のごとく暗い色をベースに鮮やかな赤をつけるなど、神秘的に見せる工夫がされています。 法華経の釈尊第一声 以上、大雑把に主要な仏教経典を概観いたしましたが、最後に、私が毎朝、毎晩、読誦しております。法華経の最初の重要部分、方便品を読んで終わりにしたいと思います。 妙法蓮華経方便品第二(みょうほうれんげきょう ほうべんぽんだいに)爾時世尊(にじ せそん)従三昧(じゅうさんまい)安詳而起(あんじょうにき)告舎利弗(ごう しゃりほつ)……。 「その時に世尊、三昧より安じょうとして起ちて、舎利弗に告げたまわく」と、始まります。 法華経は、全部で28品で、この方便品の前には、序品第一がありますが、それは状況説明です。どこから誰が来ていて、どこに座っているのかといった、説法が始まる前の状況が描かれているのです。 それで、お釈迦様は、法華経を説くにあたって第一声に、何とおっしゃたか。 それは「諸仏の智慧は甚深無量なり。その智慧の門は難解難入なり。一切の声聞・辟支仏(ひゃくしぶつ)の知ること能(あた)わざる所なり」と、なっております。 この中で、声聞・辟支仏とあるところの辟支仏は縁覚ともいわれますが、声聞・辟支仏あわせて二乗といいます。両者とも知識階級で求道者ですが、自己の覚りにのみ関心を持つ者のことをいいます。 それで「お前たちは頭がいいと思っているかもしれないが、お前たちには仏法の本質は、わからない」と、いわば、彼らの脳天をぶち割ったのが、お釈迦様の第一声ということです。 舎利弗を筆頭に、当時、釈尊のもとに集っておった優秀な弟子たちに対し「お前たちには、仏法はわからない」とは、どういうことか。 衆生を悦ばせるために 続いて「所以(ゆえん)は何(いか)ん。仏は曽(かつ)て百千万億無数(むしゅ)の諸仏に親近し、尽(ことごと)く諸仏の無量の道法を行じ、勇猛精進して、名称(みょうしょう)は普(あまね)く聞こえ、甚深未曽有の法を成就して、宜しきに随って説きたまう所の意趣は難解なり。 舎利弗よ。吾れは成仏して従り已来(このかた)、種種の因縁、種種の譬喩もて広く言教を演べ、無数の方便もて衆生を引導して、諸の著を離れしむ」とあって、どうしても衆生を救いたいとの切なる思いから、釈尊は、これまで述べてきたような、華厳経、阿含経、般若経、浄土三部経等々、様々な方便の経を説いて衆生を導いて、諸々の執着を離れさせてきたことを説明されます。 そして「所以は何ん。如来は方便と知見波羅蜜、皆な已に具足せり。舎利弗よ。如来の知見は広大深遠にして、無量・無礙(むげ)・力・無所畏・禅定・解脱・三昧に、深く入りて際(きわ)無く、一切の未曽有の法を成就したまえり」と、ここにきて、仏というものは、量り知れず、何ものにも妨げられず、10種の力を備え、何の畏れもなく、定まって自在にして動じない境地に深く入って、これまでにない法を完成させてきたことを解かれます。 その後「舎利弗よ。如来は能く種種に分別して、巧みに諸法を説き、言辞は柔軟にして、衆の心を悦可せしめたまう。舎利弗よ。要を取りて之れを言わば、無量無辺の未曽有の法を、仏は悉(ことごと)く成就したまえり」と、ありますが、ここで要約して再度、仏というものは人々の理解力や境界に応じて巧みに法を説いて、皆の心を悦ばせてこられたこと、そして、量り知れず限界もない、かつてない法を完成させてこられたことを、告げられます。 以信得入 ここまできて、釈尊は、いきなり「止みなん、舎利弗よ。復た説くを須(もち)いず。」と、「お前にいくら言ってもわからない。これ以上、もう説くまい」と、言い出されます。 そして「所以は何ん。仏の成就したまえる所は、第一希有難解の法なり。唯(た)だ仏と仏とのみ乃(いま)し能く諸法の実相を究尽したまえり」と、この法は、仏と仏だけが感応できる内容であって、頭でいくら考えたってわからないものだ。智慧第一といわれる舎利弗だって、永遠にわかるものじゃない。舎利弗よ、お前にはもう説かんぞと、話を結ばれます。 以上が、法華経における釈尊の第一声です。 それで、諸法の実相とは何か「所謂(いわゆ)る諸法の、如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等なり。」と、ここで十如実相といわれる法門が説かれます。 諸法と実相の関係ですが、諸法というのは、目に見えるというか、世界の観察される事象・現象で、実相というのは、それらをそうさせている深層の目に見えない真理・法則を指します。例えば、りんごが落下する、これは諸法です。その現象からニュートンが思いついた万有引力が、実相ということです。 これくらいなら、頭のいい人なら理解できるでしょうが、この諸法の実相というものは、衆生といっても実は仏であるということで、これは、いくら頭で考えてもわからないと、釈尊は第一声で言われたのであります。 あらゆる人が仏になると聞いて舎利弗は、あまりに信じ難かったようで、続く譬喩品第三で、こう述懐しています。「初め仏の説きたまいし所を聞いて、心中大いに驚疑しき。まさに魔の仏となって、我が心を悩乱するに非ずや」と。 結局、お釈迦様の言われていることは、以信得入(いしんとくにゅう)、「信を以つて入ることを得る」、信ずるということをもってしか到達できない領域なのだとわかります。そして、自分もまた仏に成れるとわかったその瞬間、舎利弗は、踊躍歓喜(ゆやくかんき)、踊り上がって大喜びします。その舎利弗を見て、釈尊は成仏の記別を与えると、こういう展開になっています。 日蓮は、このことを講義して「始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く 所謂(いわゆる)南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」(御義口伝)と述べられました。 お釈迦様が50年かけて説いた教えは何だったのか。それは歓喜の法ということです。のたうちまわるような苦しみの現実に、いかに負けずに自分の心の中に歓喜を湧き出たせるか、それを説いたのが仏教ではないか、これが、私の結論であります。 《Q&A》 【質問1】 先ほども言われていましたが、南無大師遍照金剛とか南無妙法蓮華経といって、宗派によって唱えるものがまるで違います。そこで、お墓を造るというので気になって、お寺の管長さんに聞いたんです。「宗派とその人が異なるとなれば、そこでお墓を造るのはいけませんよね」と。そうしたら管長さんは、富士山に登るのに、いろいろな道がありますが、最後は頂上は一緒だから、かまわないと言われたんです。そのように、仏教なら、宗派が違っても最終的には同じですか。どう思われますか。 〈竹岡〉仏教はインドに生まれて、その後、中国に渡って、それも、北方からとか南方からとかと、いろいろあって、それから韓半島の諸国を経て日本にもたらされます。その、多様な経路をとったこと、時間をかけて伝来したことなどが、宗派の違いを生んだ要因だといえます。 それに加えて、なかでも中国で、その時々に力を持ったそれぞれの皇帝が、どういう僧侶を用いたかが違いの大きな要因となっています。各時代の皇帝が用いた僧侶の考えで、違った宗派があるいは栄え、廃れるということになりました。それで、日本から仏法を求めて行ったときに、たまたま流行っていたものを「あ、これが正しいのか」と思って、それを学んで持ち帰る。こうして、その都度、違ったものが持ち帰られた結果が、今日の日本の状況だということになります。 それで問題は、釈尊の仏教全体を俯瞰して持ち帰った人はいないということです。 かろうじて、比叡山など、全経典が蓄積されていきましたから、法然とか日蓮とかは、そこで研鑽して、俯瞰の立場から説いていきますが、結局、唱え方はいろいろあるということになりました。 南無妙法蓮華経は、先にお話ししましたが、太陽さえ生み出すような究極の法があって、その法に帰命するということです。南無阿弥陀仏は、阿弥陀仏という仏様に帰命する。「阿弥陀様、どうか助けてください」と。また、南無大師遍照金剛は、お大師様、つまり弘法大師に「あなたの力を借りて私を救ってください」ということです。 ですから、根元の法に対してか、絶対的な仏様、あるいは神様に対してか、いかなるものを根元なるものとするかによって、唱え方が変わり、あるいは禅宗では、不立文字(ふりゅうもんじ)といって、覚りは言葉で表せないと、何も唱えずに座禅で自分の境界を開くと、まさに様々です。 しかし、どうであれ、目指すところは、お釈迦様の原点であった、多くの人の苦悩を救うことであって、それぞれの人生を安穏で楽しく過ごせるようにしようというところにあるのだと思います。 かつて、戸田城聖創価学会第二代会長は「日蓮をはじめ、釈尊、キリスト、マホメット(ムハンマド)といった宗教の創始者たちが一堂に会して『会議』を開けば、話は早いのだ」と言われていたと、聞いたことがあります。各宗派の創始者たちは皆、人々の幸福を願い、生命の尊厳を教え、世界の平和を目指していた。同じテーブルについて胸襟を開けば、必ずや手を携えたにちがいないと。 それで、日蓮といえば、四箇格言といって、念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊と、他宗を激烈に攻撃した人と認識されていますが、これは、鎌倉時代当時、気候が悪く、地震など天変地異が続く世相のなかで、民は塗炭の苦しみを味わって食べるものもなく、野たれ死にしている。そのなかで、聖職者は貴族化して民の苦しみをわかろうとせず、威張って私腹を肥やしている。その有様を見て「お前たち、何やってるのか」と、主眼は僧侶の堕落を攻撃するという意図からであったということであります。 ですから私としては、サンロータス研究所が、多くの人に認められてきた法華経をベースに、多くの人と手を携えて、世の中から悲惨をなくすのに寄与できればと思っているわけであります。 ともかく、実際の登山でも、頂上は同じでも、違うルートがあって、ルートによってリスクの差があり、途中に見える景色が違います。昔は登れたが、今は荒れ果てて登れないということもあります。 私も富士山に登ったことがありますが、頂上に着くまでは長く、辛抱が必要です。どうせなら、安心感を持って、皆んなで楽しく登りたいものです。 要は、どのルートを取るかは、よく検討して、ご自分で選び取ることだと思います。そのためのガイドブックとして、今日の私の話を役立てていただけたら、願ってもない幸せです。 【質問2】 誰にとっても最大の関心事だと思いますが、死んだらどうなるのか、魂は残るのか、どこへ行ってしまうのか。そういったことは、仏教なり法華経では、どう説明されているのでしょうか。 〈竹岡〉私が捉えたところでは、生命は永遠であると説かれているということです。 今だけを、現象を表面的に見ていては、物事は解決しません。縁起といって、横の関係性と縦の永続性という両方を見ないと、あなたの悩みは解決しませんし、あなたの人生は開きませんよ、というのが、お釈迦様の教えだったと思います。 よく「銀の匙をくわえて生まれてきた」などといわれますが、裕福な家に生まれる人もいれば、逆に貧しい家庭に生まれてくる人もいる。五体満足に生まれてくる人もいれば、そうでない人もいる。そういった差というものは、どこから来たものか。 そういった疑問から、生命は永遠という真理を釈尊は発見し、そこから始めなければ、人々を救えないということに至ったのではないかと思います。 過去世は蟻だったかもしれないし、ゴキブリだったこともあったかもしれない。どういう経過か、人間に生まれてきたとうことは、大変なことであるし、大事にしませんかと。 現在の果は、過去の因による。未来の果は、現在の因による。今、こうしてあるのは、過去世に原因があり、今を原因にして来世のあなたが決まる。今は、過去も未来もずっと全てに通じている。これが、私の理解するところでは、仏教の柱ですから、死んでも永遠に存在するというのが、ご質問の答えということになります。 身に覚えがないのに、なんで自分だけこんな目にあうのかと、苦しんでいるかもしれないが、例えば、1千万円いきなり返せといわれたとして、実はあなたは過去に100億円の借金をしていたのだ。1千万円で済むのなら、ありがたいと思いませんかと、こんなふうに仏教では、過去世の因というものに気づかせることで、心が救われると説くのです。 【質問3】 お釈迦様が、出家前に住んでいた場所はどこかという問題ですが、ネペールのルンビニあたりには、まったく遺跡はなくて、どうもインド側にそれらしい遺跡があるということで、最近は、ネパール側ではなく、インド側に、それはあったという説が有力になっていると聞いたのですが、それについてはどうでしょうか。 〈竹岡〉お釈迦様が生まれた場所と、育った場所は違うというのは、ずっと言われてきたことで、ルンビニは生誕の地として確定とするのは、それでいいと思います。 問題は、育った場所といわれるカピラヴァストゥの宮殿がどこであったかということです。 それについては、ネパール側とインド側で、候補地がそれぞれあると聞いています。 それで、インド側の候補地は、ピプラーワーというところだそうですが、私は行ったことがないので何ともいえないのですが、ネパール側のそこには、私の『サンロータスの旅人』にもその模様を収録しておりますが、2009年11月に行きました。 それは、ティラウラコットという場所で、四門出遊の4つの門のうち、出家をしたという東の門の位置に12世紀頃に建てられたというレンガ造りの門の遺跡などがあって、周囲の状況も玄奘などが残した記録に合っていると、現地では説明していました。 私の見た限りでも、そこはそこで雰囲気があって、相応しいと思いましたが、今後の発掘を待ちたいと思います。 【質問4】 お経には、智慧という言葉がよく出てきます。一方で、学校などで習うのは知識です。そこで、仏典などでは、知識と智慧の関係について、何といわれているのでしょうか。 〈竹岡〉先ほどお話しした方便品というのは、専門的にいえば、二乗を弾呵(弾劾・呵責)しているといわれます。 十界論というのがあって、命の境界を10に分類して、下から地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天とあって、この6つは欲望にとらわれた世界で六道といいます。天界は、欲望満足の世界ですが「魔は天界に住む」といって、次の瞬間には地獄へドスンと落ちる。普通は六道輪廻といって、この六道を行ったり来たりするだけです。 それに対して釈尊は「ちょっと冷静になれ」と、六道を離れて、上の声聞、縁覚になれという教えを説きます。これが、いわゆる小乗教だと私は理解しています。 それで二乗界というのは、頭の世界で、よく考えて知識で精査するというもので、まず六道を抜け出すために、これを勧めて、それから次に、その二乗を叩く。二乗では、絶対、成仏しないと。 それで、先ほどの方便品の「止みなん、舎利弗よ。復た説くを須いず」と、「これ以上、もう説くまい」と言って「所以は何ん。仏の成就したまえる所は、第一希有難解の法なり。唯だ仏と仏とのみ乃し能く諸法の実相を究尽したまえり」と、仏と仏だけが互いにその胸中が知り合えるとなって、これは共鳴・波動の世界で、これが智慧ということになるのだと思います。 それまでの知識というものは、ことごとく弾呵して、知識偏重を退けて智慧の門を開くように誘導していったのが、方便品ではないかということです。 |