平成27年7月
国際人権ネットワーク代表、緒方由美子さんがカンボジアに設立し校長を務める希望小学校(シェムリアップ近郊モンドルバイ村)の卒業式出席のため、2015年7月11日と12日の正味わずか2日間であったが、昨年に続いて、支援者の一人として、新日本製薬株式会社の代表取締役社長、後藤孝洋氏ら、他の支援者の方々とともに現地を訪れた。 LCC初体験 今回のカンボジア入りは、タイ・バンコクのドンムアン空港からシェムリアップまで、LCC(格安航空会社)のエア・アジア便を、旅行代理店を通さず、初めて自らネットで予約して利用した。 LCC利用の場合、日本からの便は新しいスワンナプーム国際空港に到着するため、そこからドンムアン空港に移動しなくてはならないなど、不便な点もある。また、座席指定(料金は200円ほど)から荷物預けや飲み物の機内サービスまで、すべてが有料別料金となって、面倒でもある。 しかし、従来、バンコク、シェムリアップ間の往復料金は4~5万円のところ、基本料金は往復で1万4000円ほどで済んでしまうのである。 従来に比較して、あまりにも安いので、これでちゃんと着けるのだろうかと、少々不安であったが、利用した結果、実に合理的で、現代社会を象徴する仕組みであると実感した。 機内が冷えるのでブランケットの注文をしてみると、その用意はないと断られた。考えてみると、これも、必要性の低いサービスを削るコスト削減努力の表れであり、感心した。 私の利用したエア・アジアFD614便は、時間も定刻どおりで、乗務員も訓練されて嫌味がなく、7月11日(土)午前11時、バンコクを発ち、シェムリアップまで順調に飛行した。 これまで利用した航空会社に比べて遜色なく、ネット社会の進展とともに、今後ますますLCCの普及は進むものとの思いを深めた体験であった。 支援に意義を見出して 今回、新日本製薬の後藤氏は、地元福岡の企業の方々を伴って参加された。 その各企業の社長さんたちが、日本から電動ドリルなどの工具を持参して、小学校のトイレの屋根やドアの補修などに汗を流された。慣れない手つきながら自ら体を使って奮闘されるその姿は、大変印象的で感動的であった。 また、後藤氏は、会社の新入社員研修の一環として15名の新入社員も同行された。この支援活動を、氏がいかに重視されているかが窺われ、頭の下がる思いであった。 新日本製薬の新入社員の方々は、生活するだけでも厳しい条件の中で学ぼうとする生徒の姿を見て、大変感動し啓発され、この支援の意義は非常に尊いものであると感じられたようであった。 世界地図を贈る このたびは、卒業生が世界に雄飛することを願って、記念品として、株式会社かねふくにメインスポンサーとなっていただいて「世界地図」を贈呈した。 かねふくの会長、竹内昌之氏は、今回はご都合がつかず、ご本人の参加はなかったが、後藤氏同様、当初から変わらず希望小学校の支援を続けていただいており、感謝に堪えない。 そこで、この世界地図であるが、世界各国の「ありがとう」と「こんにちは」の言葉が地図上に表示されているのが特徴となっている。 地図そのものは、私の友人の一人である松岡功氏が代表取締役を務める四国の松山に本社を構える株式会社世界地図の製作によるものを利用した。 松岡氏は、自身でも、社でオリジナルの地図を作った収益で井戸掘り支援に充てるなど、独自のカンボジア支援を繰り広げられている篤志家で、私とは、いつも上京されるたびに懇談を重ねてきた仲である。 地図には、希望小学校の卒業生を祝福するメッセージのほか、私も当初より関わって本年で第20回目となるアンコールワット国際ハーフマラソンを祝するメッセージも掲載した。 年とともに上がる実績 7月12日(日)午前に行なわれた希望小学校の卒業式は、今回で4回目で、15名の卒業生を送り出した。 1回目は5名、2回目は8名、3回目は6名で、これまで10名に満たなかったが、このたび初めて10名を突破した。また、新入生は50名となり、年々教育実績が上がって現地に定着している様子に、大変嬉しく思った。 ロン君の法要 その日の午後は、例によって日本語ガイドをサムロットさんに頼んで、ハーフマラソンがきっかけで知り合って若くして亡くなったロン君の家に行き、法要を行なった。 そこでは、ロン君のお母様をはじめ親族が見守る中、真剣な読経・唱題をして、追善回向をすることができた。 山本日本語学校を初訪問 以上に加えて、今回、特筆すべきことは、旅の初日、7月11日に到着後、すぐに向かった山本日本語学校(正式名:山本日本語教育センター)の初訪問である。 陽明学を基本に論語を現代社会に生かそうと尽力をされている深澤中斎という先生がいて、私は、この先生の主宰する中斎塾という会の月1回の勉強会に参加している。 陽明学というのは、知行合一を旨としており、実践重視の学派であって、学問をそれにとどまらせず行動に移してこそ意味があると、先生は訴えられている。 あるとき、先生から、今後の世界を俯瞰したときに、日本語学校などをつうじて東南アジアの青年と日本人が交流をすることが日本の生きる道であり、ひいては世界平和への道を開くことになると常々考えているという話をうかがった。 それで、私は、希望小学校の話をして差し上げた。 先生は、関心を示されて「是非、訪ねてみたい」となり、この6月に現地を訪問してくださった。 その折には、三色のボールペンを180人の生徒全員分用意され、それを1人ひとりに手渡してくださったと、喜びの声が私のところにも現地からの報告が届いた。 その深澤先生の希望小学校訪問は、山本宗夫氏という日本人が現地で主宰する日本語学校の視察日程に合わせての訪問であった。 私の山本日本語学校および山本宗夫氏との出会いは、こういった経緯から、深澤先生の仲介によるものであった。 創立者山本宗夫氏 山本宗夫氏は、80歳を超える年齢でありながら、今もJHCという旅行会社を経営されている方であった。 氏は、20数年前にアンコールワットを訪ねたのであるが、何ともいえない荘厳な空気に打たれ「是非とも日本とカンボジアのために働くべきだ」との心の声を聞いたという。それで、両国の友好のためには、日本語学校を作って、日本語をわかる人を育てることだと考えて、私財を投入して1996年、日本語学校を設立して、その経営に当たってこられた。 1年半で日本語を習得 学校の授業料は一切無料。毎日、朝の8時から午後2時半までの授業を行ない、半年間は現地のクメール語がわかるカンボジアの教師が担当し、その後の1年間は日本人の教師が担当して、合計1年半で日本語を習得させて卒業させる仕組みである。 現在の生徒総数は61人で、初めの半年に2クラス、続く1年も2クラスで計4クラス編成となっている。 これまでで、1000人余りの卒業生を送り出してきたことになるが、その卒業生のほぼ全員を、日本語ガイド、ホテルの従業員やタクシー運転手、あるいは自社の旅行会社等にと、日本語と関係がある何らかの職業に就かせることを成し遂げて、20年近く行なってきているという。 わずか1年半で日本語で仕事ができるようになるとは驚きだが、それだけ学生1人ひとりのやる気がすごいということであろう。 今では、カンボジアのシェムリアップで働く日本語ガイドの8割から9割がたは、山本日本語学校の卒業生だという。 私は、何度も現地を訪れているにもかかわらず、今回までまったくこの学校の存在を知らないでいたのだが、ロン君の法事のたびに頼んでいた日本語ガイド、サムロットさんも、驚いたことに、実はこの学校の卒業生であり、その弟2人もまた同じ卒業生で、1人は日本語ガイド、1人はJHCで働いているのだとのことであった。 女性の力を最大限に引き出す 私が山本日本語学校を訪問したとき、迎えてくださったのは、JHCでリーダーの1人として働くボツ・タピセイさんと、日本語教師の飯井敦子さんという2人の女性であった。 2人からは、入学には、高校の卒業資格が必要であること。カンボジア全土から学生が集ってくるため、無料の寮が用意されていること。卒業後の進路は、ガイド、レストランやホテル、空港等々に就職している。学校の運営は、当初は山本氏の私財が投入されていたが、ここ数年は旅行会社JHCの収益によって行えるようにシステムを変更するようになった。JHCには約200人の社員がいて、その全員がこの学校の卒業生であるといったこと等、学校にまつわる様々な情報を聞いた。 なかでも感心したのは、このJHCで働く200人を4人で統括しているのであるが、その4人ともが女性であるということ。山本氏の会社は、これに象徴されるように、女性の力を最大限に引き出しているのである。 「子供の園(その)」という名前の保育所も整備されていて、女性の社員が働きやすいように配慮されている。 ちなみに、この保育所であるが、女性の社員の子供しか預からないとのこと。その理由は、女性は自分の子供かどうか間違えることはないが、男性の場合は余所の子を連れて行くことがあるからで、これは、山本氏の定めた方針だそうである。 JHCの仕組み JHCの仕事というのは、日本語力を利用して、インターネットを通じて日本からのメールによる注文に応じており、カンボジアのみならず、全世界のホテルの予約をしたり、「とらパス(トラベル・パスポート)」という愛称で知られているが、空港ホテル間の送迎やオプショナルツアーの手配などもしているという。日本の人々は、言葉のあまりの自然さに、当然、日本人が対応しているものと思っているが、実はカンボジアの人と交信しているというわけである。 当然ながら、カンボジアのシェムリアップの地元にあるアンコールワット等の観光のガイド、車、ホテルなど、ツアー全般の手配に、日本人向けのレストランと土産物店の経営もしている。 以上の分野に200人が働いているということであるが、その平均して1人あたり月200米ドルが支払われていて、この額は、カンボジアのこの地域では、高給といっていい金額とのことであった。 また、会社の経営するレストランや土産物店では、日本語学校の生徒の実地訓練にも利用されているとも聞いた。 ともかく、200人を抱えながら、その上に無料の日本語学校を20年間続けておられる。事業を起こすだけでなく、学校を作るだけでなく、これらをリンクさせて、学校の卒業生を全員就職させて家族をもたせている。 初めは日本とカンボジアの友好を目的に始められたものであったが、今、ITの利用も含めて、循環し完結する仕組みを構築されていることに大いに感動した私は、多くの人にこれを見せるべきだと思い、翌12日、希望小学校の卒業式終了後、新日本製薬の後藤氏を伴って再訪問した。 後藤氏も、山本氏の知恵と、それから編み出された時代を先取りした仕組みとに、感嘆することしきりであった。 日本文化への理解 また、後藤氏と教室を訪れて、感動したのは、学生が作った川柳や七夕飾りの短冊などが貼り出されており、憶えた日本語を使って日本文化を身につけることまでしていたことである。 短冊には「日本語のガイドになれますように」「家族が病気になりませんように」といった願い事が書かれ、川柳には「低い草 いつか山より 高くなる」「両親は 大きな力 山のよう」「王子様 今年も私 独身よ」「金はある 恋はできない お坊さん」「金がない 母に言わずに 『元気?』と聞き」「酒高い 飲んだら人は 安くなる」「酔っ払い 狭い道でも 広くなる」「酔っ払い 五十の女でも 十六才」「恋人は 妻よりずっと 恐いです」「妻よりも 親切なのは 虎のほう」「バラと恋 きれいに咲いて トゲがある」「明日する 明日になっても 明日する」「間違えた それは人生の 経験だ」「船が行き 残っているもの 船の跡」等々、見事な日本語で、人情の機微まで織り込んで綴られていた。 さらに、日本語とクメール語の並記で卒業文集も作られており、拝見したが、これもまた見事なものであった。 日本語表記としては微妙な間違いや拙さもあるが、日本語ガイドになって家族に良い生活をさせたいと夢を記すもの、父親に先立たれるなか苦労を重ねて育ててくれた母親への感謝を綴ったもの、国を良くするために働きたいとの将来の抱負を語るもの等々、どれも中身の濃い内容で、読んでいると、1人ひとりの人物像がいきいきと伝わってくる。 以下、1例を紹介する。 「習慣」リーブンレー みなさま、カンボジアにはどんな習慣がありますか。ご存じですか。 カンボジア人はあいさつする時、手を合わせて、頭をさげます。相手のみぶんによってたかさがちがいます。初めて会った人とあくしゅすることは、ふつうはありません。よくつかわれる挨拶は(ソックサバイ)日本語で(おげんきですか)や(ニャンバイハウイ)(もうごはんをたべましたか)知っている人に道でであったときは(タウナー)(どちらへいらっしゃいますか)と言います。お寺の建物やうちに入るとき靴を脱ぎます。お寺では男性も女性も正座ではなくて、おんなすわりをします。女性はおぼうさんに触ってはいけません。もし女性がおぼうさんに触ったら、おぼうさんは規則をちかいますといいます。カンボジア人は恋人イコール結婚あいてだと考えます。ですから、中学生や高校生で勉強だいいちのときは恋人をつくりません。男性はまだ結婚していない女性に触れてはいけません。人の前で大きな声で話すのはあまりよくないことだと言われます。うちで食事の時、おしゃべりたり、食べる時、音をだすと、マナーが悪いと叱られます。でも色々なくにの習慣はおなじじゃありません。例えば日本人はご飯を食べるとき何も話さなければ、おいしくないといいました。習慣は国によって随分違うようです。 皆様将来は日本語のガイドになろうとおもっていらっしゃいますね。日本人との挨拶は失礼がないように日本の習慣を知らなければなりません。
1年半という短期間に、日本語をほぼ習得し、さらに、日本文化への理解も深めている事実に、よくぞここまでと、私は大いに感動した。 これまで関わってきた希望小学校に加え、山本日本語学校の存在を知ることができ、カンボジアの若い人々の意欲と実力の高さに触れられて、中身の濃い2日間を過ごすことができた。 その夜、12日(日)午後9時45分発のエア・アジアFD619便でバンコクに飛び、帰途に着いた。 |