第2428回 丸の内朝飯会 平成27年11月12日午前7:30~8:45
前回、日本の文化であるお茶を皆さまに味わっていただきたいと思い、実際にお茶を点てて体験をしていただきました。 今日は、引き続いて、日本文化の代表の一つであるお香をご紹介させていただこうと思います。 もちろんお香も、お茶と同様で、中国からもたらされたもので、仏教とともに入ってきたということですから、インド発祥ということにもなりますが、日本人のフィルターを通して組み立てられ、独自に「道」をつけて香道とも呼ばれて定着しておりますから、お香は、日本文化の代表の一つといえるのです。 お香との出合い
まず、私が、なぜ、お香の世界に関わるようになったのかを申し上げます。 それは、隣に座っておられる女性、福島玲子さんといいますが、この方のおかげです。 以前も申し上げましたが、私は会員制のクリニックの経営に携わっておりまして、500人ほどの会員がおられますが、その会員お一人お一人に必ず担当看護師が付いて、細かくケアすることとしております。 私にも、担当看護師が付きまして、この福島さんが私の担当となって、お互いを知ることとなりました。 それで、わかったのですが、福島さんは、アメリカの大学を卒業された才女であり、鋭い感性の持ち主で、加えてお茶、書、弓、そしてお香と、日本文化に造詣深い方でありました。 この福島さんに「一度、お香の会に行きませんか」と誘われて、うかがったのが、銀座の松屋通りにある紙パルプ会館で月一回行われている「香あそび」の会でした。 そこで、教えておられたのが熊坂久美子先生(現在、一般社団法人香道御家流桂雪会 会長)でした。 流派は御家流ということになるそうですが、品があって奥深く、素晴らしいご婦人で、私は大変尊敬申し上げております。 先生からは、香道とは、和歌、源氏、伊勢といった物語文学、それに漢詩なども含まれますが、日本に伝わる文化を基礎にして、それをアレンジしながら、お香遊びとして室町時代から行われて発達してきた奥深いものだと教えていただきました。 もともとお香というものは、中国の僧侶が仏教の儀式で使うために日本に渡したのが始まりだと考えられていますが、平安時代には、薫香といって、専用の台の中で香を焚き込めて、それに被せた十二単(ひとえ)等の衣類に匂いをつけるようになって、そのうちに、遊びの要素が入ってまいります。 組香「雄鹿香」 これから、香遊びのなかの、組香というものをやりたいと思います。 お香を嗅ぐことを、ちょうど耳を傾けて聞くようにして嗅ぐことから、これを「聞く」といいますが、先ほど申し上げたように、和歌や物語などから、その季節に合ったものを一つ選んで、それにふさわしいお香、数種類を香元が組み合わせて、客が聞き分けるというものです。 今日の組香は、今の季節である秋を感じる「雄鹿香」といたしました。 ここで、福島さんから、本日の「雄鹿香」について、ご説明をしていただきます。
【福島】こうした組香をいたしますとき、テーマになる証歌と呼ばれる歌が付いております。 今回の「雄鹿香」の証歌は、百人一首の「奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋は悲しき」になります。もともとは古今和歌集の秋の上の巻にある歌です。古今和歌集というのは、醍醐天皇の指示によって編まれた勅撰和歌集の一番古いものの一つです。 この歌の解釈ですが、人里離れた奥山で、たくさんの紅葉が散っている。そのなかを、踏み歩いている雄鹿の、雌の鹿を恋しくて鳴いている声が聞こえてくる。その物悲しい声が、秋は悲しいものだという感慨を起こさせるという内容です。 歌の作者については、もともと作者不詳ということだったのですが、時代がしばらく経ってから、実は猿丸大夫という方が作ったのではないかということで、今日では、猿丸大夫作とされております。
【竹岡】それで、この歌のなかの「紅葉ふみわけ」のところで、「踏み分けていくのは、鹿なのか、人なのか」で、解釈をめぐって議論が分かれて、ずっと今日まで続いているそうです。 これは、鹿が紅葉を踏み分けながら山に入って行って、そこで、一声出して鳴いたという解釈と、人が山に踏み分けて入ったから、鹿の鳴き声が聞こえたのだとの解釈の2つです。 これについては、議論は尽きないようですが、おおむね「鹿が」ということでいいのではないかとの解釈に傾いていると聞いています。 ともかく、今日は、この和歌(証歌)には「秋夜」「深山」「紅葉」「鹿鳴」の4つの要素が込められているとみて、4種類のお香を用意いたしました。 皆さまには、それを聞き分けていただきます。 要素とお香と香銘 ここで、今日、用意しました4つのお香について、ご説明します。 まず、組香では、それぞれのお香に、香銘が付けられます。 香銘は、香元となる人間の裁量で付けてよいものなので、私は、シルクロードをイメージして付けさせていただきました。 最初に「秋夜」をイメージさせるお香ですが、私がインドを訪れた際に求めてまいりました眞南蛮(まなばん)と呼ばれるインド南西部マラバル海岸地方からの香木を使っております。それで香銘を「月氏」と名付けました。「月氏」とは、インドの古称です。 続いて「深山」ですが、これは、和木で「唐招提寺」と名付けました。唐招提寺は、鑑真和上で知られ、お香とも関係が深い奈良の寺院です。 実際に唐招提寺が建て替えられたときに、古い木材をお香の先生が入手されていたものです。 この会があることを先生にご報告申し上げたら「持って行きなさい」と託されたものです。鎌倉時代の古木です。 3つ目の「紅葉」を表すお香は、私の名前である誠治から先生が付けてくださった私の香名「青磁」をそのまま香銘としました。これは「眞那伽」(まなか)というマレー半島マラッカが産地の香木を使っております。 4つ目の「鹿鳴」を表すのは、皆さまにお配りした「雄鹿香」のプリントで「ウ」としましたものですが、香木には最高級の「伽羅」(きゃら)を用意しました。これも「初体験の方が多い会なら、どうせならいいものを聞いてもらった方がいい」と、この会のために先生がプレゼントしてくださったものです。 試し香と本香 ただいまから、試し香、続いて本香を一度ずつ行います。 まず、紙を回しますから、順にお名前を書いていただきます。通常、この名前は、雅号などを書きますが、それがなければ、下の名前をお書きください。 試し香では、ご用意した4つのうちから始めの3種類を聞いていただきますが、一度に全部ではなく、時間差をつけて、その都度、それは何なのかをお知らせして、香炉を回します。 皆さまは、それぞれの香りの違いを記憶していただきます。 その上で、本香となります。 本香の際は、さらに1つお香を加えて、4つのお香を回します。 そのときは、何の説明もしませんし、順番も無作為です。出す方でもわかりません。 「本香一炉です」「本香二炉です」というふうにだけ申し上げて、時間差をつけて香炉を回します。 皆さまは、試し香をもとに、それぞれ、それが何なのかを決めてください。難しいのは、香りは、時間が経つと変化して、最初と後でも違ってくることです。後からの方が、灰が多くなって、そこから出る甘みが強くなるように感じます。これらのことも考慮して、決めなくてはなりません。 ともかく、メモの紙を1人1枚ずつお配りしますから、これだと思うお香の名(要素名)を、聞いた順に記してください。 例えばそれが、試し香では聞かなかったと思う香であったら、「雄鹿香」のプリントで「ウ」としましたように、メモの紙に「ウ」と書いてください。あるいは「鹿鳴」でも「キャラ」でも結構です。わかるように書いていただければ大丈夫です。 そうやって、回ってきた順番に、上から、例えば「ウ」「深山」「紅葉」「秋夜」というふうに書いてください。 答えは、メモ用紙の開いて2番目のところに書きます。 そして、ご自分のお名前も、ご記入をお忘れなく。 お香の聞き方 お香が回ってきたら、両隣の人との緊張関係がありますので、後の人に対して「お先に」、あるいは「先に聞かせていただきます」とご挨拶するのが、ルールとなっております。 それで、お香を聞く番となったら、左右どちらでも構いませんが、香炉を一方の手のひらに載せて、もう一方の手を器の口を覆うように被せて、手の隙間に鼻先を当てます。ちょうどそれが、耳を傾けて音を聞くのと同じような姿になるわけです。蓄音機から流れる主人の声を聞くビクターの犬のような感じです。 それと、香炉は傾けないようにしてください。香炉には、灰のなかに火をつけた炭団を入れて、それを火種としていますが、傾けると、その火種が香木からズレてしまいますから。 聞くときは、三息といいますが、静かに鼻から深く3回ほど吸って肺の中を香りで満たしてください。そのときには、頭を空にして、周りは一切関係なく、音も何もかも遮断して、自分だけの世界に集中するようにします。そうして肺の中を香りで満たした後、吐き出します。 これを3回繰り返すなかで、香りによって体のなかに若干の変化が起こってきます。それを感じられるようになるかどうか、それが重要になります。 お香の歴史 皆さまに聞いていただくお香を、これから福島さんに準備していただく間、熊坂先生のご著書『香道・文学散歩』(オフィスK 2006年)を教科書に、私なりに分析し勉強しましたお香の歴史をお話いたします。 香りというものが、世界的にどう始まって、どう使われて、どのような広がりを見せてきたかをいえば、一番古い記録は、古代エジプトです。 紀元前3000年頃からのことですが、ミイラを作る際にお香を詰めた、お香を焚いたといった記録があります。具体的には没薬で、これは、香りとともにその防腐作用に注目してのようですが、いずれれにしても、人類は、文明の始まりとともに、香りに注目していたということです。 続いて、香りが登場するのは、今から約2000年前、キリスト生誕を知って東方から三博士が訪れる、いわゆる「東方三博士の礼拝」の際です。新約聖書には、黄金とともに、香料である没薬と乳香(どちらも樹脂の一種、主産地はアラビア)が捧げられたとあります。 紀元前4世紀に、古代ギリシャのアレキサンダー大王が東方遠征をして、今の中近東へ向かったのは、この乳香の産地を押さえることが、その動機の一つであったともいわれています。 近年では、インドのガンジーの葬儀での使用が挙げられます。そのご遺体は、香木で火葬され、そのふくよかな香りは、インド中に広がっていったといわれます。その人柄ゆえのエピソードでもあります。 鑑真と香り 日本における有名な話は、8世紀、奈良の唐招提寺を開いた鑑真に関するものです。 ご承知の通り、鑑真は、唐の国から5回、日本への渡航を試み、その都度失敗し、6回目にして成功するけれども、その苦難の中で失明してしまうわけです。 昔の僧侶は、仏教だけではなく、医者の役目もしました。 鑑真和上のもとにも、病める人々がたくさん集まって助けを求めたといいます。 鑑真は、その人たちのために薬を調合するわけですが、目が見えないのに、どうして薬剤の判別をしたのか。それは、香りであり、香りを嗅いで、薬剤を判別したと記録が残っているそうです。 蘭奢待と織田信長 それから、蘭奢待(らんじゃたい)という、聖武天皇の時代に中国から伝来した香木があります。これは奈良・東大寺の正倉院に納められている御物で、長さ1.5メートルで重さ13キログラムほどの香木ですけれども、これを、織田信長は、約5センチ切り取ったといわれます。 正倉院というのは、勅許、つまり、天皇の許可がなくては入れない倉ですが、それを強引に出させた上、蘭奢待を切るなどといった余人には畏れ多くてできない行為をして、部下および関係者に配ったということです。 これは、織田信長が、自らの権力を誇示するためであるとともに、彼の性質から察するに、その気持ちの中に、何が何でも香りを聞いてみたいとの思いがあったのではないかと思われます。私でも、可能なら、香りを聞いてみたいと思いますから。 阿部一族とお香 森鴎外の小説に『阿部一族』というのがありますが、これは、徳川時代初期の熊本を舞台にしたもので、素晴らしい名香の話が出てきます。 あるとき、細川忠利というお殿様が亡くなります。大変慕われたお殿様で、主君の後を追う殉死を願う家来が多かった。当時、殉死は許可制でしたので、殉死願いというものを藩に出す者が多く、18人もの人が許可を得て殉死します。 そうしたなか、お側衆に阿部弥一右衛門という人物がいて、この人も殉死を願って許可を求めます。ところが、何度、願いを出しても藩の許可は出ません。 ついに「私が一番、殿のそばにお仕えしたのに、許可されないとは何事か」と、自分で整えて決行いたします。 勝手に殉死をしたということは、藩の掟に逆らったということで、弥一右衛門の殉死は、他の殉死者と差別されます。 弥一右衛門の遺族は、それに不満を唱えます。 それがために、阿部の一族はお咎めを受けることとなって、藩命によって討たれることとなります。 上意討ちの命を受けた一人に、同じお側衆の竹内数馬という若者がいました。 数馬としては、阿部の気持ちは痛いほどわかる。「俺だって殿と一緒に死にたかった」と。 悩みましたが、しかし藩命であると、数馬は覚悟を決め、討ち入りを果たします。 阿部一族を討った数馬は、そのあとで、自決します。 以上が、この小説のあらすじですが、いよいよ阿部を討つその前夜の描写に、数馬が殿より拝領した初音という名香を、髪に焚き込める場面が出てきます。 当時、武士には、戦いに臨んで、兜にお香を焚き込めるという習慣があったのです。 武士にとってお香というものは、身を引き締める、もしくは身を浄めるものであったということです。 エベレスト街道 香りの効果 近年、香りというのは、素晴らしいなと改めて思ったことがありました。 2013年に、三浦雄一郎さんと子息の豪太さんたちがエベレストに挑戦されたとき、私は、そのベースキャンプまで行ったお話を、以前、この席でお話しました。 そのときも含めて、私は、2009年より、何度かこのエベレスト街道を歩いておりますが、そのたびに目にとまったのは、街道沿いの民家の軒先に、香炉が吊るしてあったことです。 その香炉は、大きめのもので、お香が焚かれていたわけですが、聞くと、それは自分たちが嗅ぐためではなく、道を行く人たちに対する心遣いでした。高山に生える植物を乾燥させて焚いているのだそうですが、疲れた体に、その山にしかない草木の香りが大変効いて、気持ちがほぐされました。 アロマセラピーという言葉があるように、目には見えませんが、風に運ばれてくる香りのなかに、人を癒す力があるということを、身をもって体験した次第です。 この香りの効果に関しては、近年、うつを改善する試みが進められているとも聞いております。 これらの点から、お香、ないし組香というものは、現代において、もう少し広がってもいいのではないかと思っております。 成績発表 (本香を終えて)これから、お答えをご記入いただいたメモの紙を回収いたします。 回収のお盆には、ご自分の紙を下に入れるようにして出してください。 皆さまから回収したメモの紙をもとに、福島さんが一覧表に仕上げます。 一覧表は、皆さまの成績表となりまして、下附といいますが、各人の成績が、それぞれのお名前のところに記されて、参加者全員に成績がわかるようになります。 この成績の名称は、一覧表を構成する風景の1つとして、組香のテーマに合わせて変えています。 今回は、すべて的中の場合は「皆」、あとは「雄鹿香」にちなみ、的中が2つでは「妻恋」、的中なしならば「落葉」と、それぞれのお名前のところに記します。 また、全部的中の方には、記念としてこの表を、お持ち帰りいただきます。 (正解は、一炉 深山、二炉 ウ、三炉 紅葉、四炉 秋夜で、2人の全的中があった) 成績は、あまりお気になさらないでいただきたいと思います。 大切なのは、お香を聞くことによって、ホッとしたり、ああ気持ちが晴れるな、ああいいな、といった感情が、体のなかに湧いてくることです。一番の目的はそれで、ご安座にといいますが、ごゆるりと、気持ちを静めることが、セラピーとなりますから。 それに、頭の体操でもあって、認知症防止にもなります。 ともかく、お茶もそうですが、日本でミックスされて日本仕様になったものは、やはりいいものです。こう申し上げて、本日は、ここまでといたします。ありがとうございました。 《Q&A》 【質問1】 エベレスト街道での香炉の話を聞きましたが、香道のような、純粋に楽しみというか、たしなみとしてのことでは、日本以外の世界にもあるものでしょうか? 〈竹岡〉お香は、先ほど歴史をお話ししたように、ほとんどは神仏に捧げるものでした。仏教では、仏様に素晴らしいお香を捧げよう、キリスト教でも、香油を亡くなった聖人の体に塗るというように、儀式的なことに関連して用いられてきました。 加えて、近年、アロマセラピーに代表されるように香りで癒す用途が発達してまいりました。 それと、おもてなしをするという点でも、全世界で、大事にされてきました。料理でも、香りがいいというのが、大切な要素ですね。 それで、純粋に楽しみとして、あるいは、たしなみとしては、どうかといえば、それは現代では、日本だけといえると思います。 お茶もそうですが、香道として、道を付けて、ルールを決めて、隣をいたわりながら自分の世界を作り出すといったことは、大陸からのものですが、日本が自身の感性で選びとって、日本のフィルターを通った文化だと思います。 【質問2】 文学と繋げられて行われているというのが、いいですね。 〈竹岡〉私もそこに感動しました。それを可能にしてきたのには、源氏物語などの文学が日本人の生活の中に根付いてきたからであり、あるいは季節感への鋭敏さが、ベースにあったということです。 今日の雄鹿香は、秋のお香でしたが、春には春で、わらび萌え出ずる頃のお香があったり、季節ごとに、和歌などをもとに、たくさんの組香があります。また、今日は、4つを当てるものでしたが、数の多い組香もあって、源氏香の場合は、54の組み合わせを当てるものです。 【質問3】 お香は、茶道でもありますね。 〈竹岡〉それは、茶道でも、フルコースでする場合です。 お客さまを迎える準備に炭点前(すみてまえ)というのがありまして、亭主は炭を持ってい
て、炉の灰を整えて、あらかじめ種の炭が入っているところに炭を組み上げるといった準備を
します。そのとき最後に、練香といって、黒い粒状の香を炉の中に焚きこみます。そうすると
、空間に素晴らしい香りが広がります。これは、風炉のときも同様で、練香を3粒ほど入れて
香りを楽しみます。 【質問4】 お茶の場合は、お菓子が出ますが、香道ではどうですか? 〈竹岡〉匂いのあるものは、いけませんので、お菓子は出されません。終わってからというのは、あるでしょうが。いずれにしても、匂いは禁物で、よく手を洗って、香水をつけることもいけないとされます。 |