仏教経典を俯瞰して 法華経の智慧 特に如来寿量品第16 第2447回 丸の内朝飯会 平成28年4月7日午前7:30~8:45
*本稿は、当日の内容をベースに一部加筆訂正しました。
皆さま、おはようございます。 最近は、あちこちに行っておりまして、なかなか本会に出席できずに申し訳ありません。 この4月も、25日から、私が団長となって、ネパールのエベレスト・ビュー・ホテルまで、経験のない人たちばかり10名の方々と2週間のトレッキング・ツアーを予定しております。 これは、昨年、大地震に見舞われたネパールの支援の一環で、現地に無事に行ってくることが、ヒマラヤの観光で成り立っているネパールへの何よりの支援ということで、行くことといたしました。 その後も、予定が立て込んでおりまして、なかなか行事に参加できないことがあるかと思います。最初にお詫びをさせていただきます。 はじめに 前回、「仏教経典を俯瞰して」と題しまして、今日、伝えられている主な仏教経典を概観いたしました。 ご存知のとおり、仏教は、インドに降誕したお釈迦様が創始された宗教ですが、今日、伝えられているさまざまな経典は、お釈迦様が一生のうちにお説きになったり、折々にさまざまな人々を激励されたりしたことを、仏典結集と言いますが、それら記憶していたお弟子たちが「如是我聞(かくの如く我聞きき)」として、後世にまとめ残したものが基となっております。 この仏典結集は、お釈迦様が80歳で入滅されたその年のうちに、十大弟子の最長老、摩訶迦葉(マハーカーシャパ)を中心に500人の弟子が集まってマガダ国の王舎城近くの七葉窟において最初に行われ、その後、クシャーン朝のカニシカ王の時代、インド北西部のカシミールにおける第4回目まで、ほぼ100年ごとに行われたとされています。 それら仏典が、後世にインドから伝えられ漢訳されて中国・韓半島諸国を経て、般若心経とか維摩経、観音経、華厳経、法華経、浄土三部経(無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経)、涅槃経、大日経等々として今日の日本に伝えられていて、それらにどんなことが説かれているのか、どんな関係性があるのか、全貌を俯瞰して、前回は話させていただきました。 そのなかで、般若心経、そして、私が少年時代、もの心ついた頃より読誦して親しんでまいりました法華経の方便品第二と如来寿量品第十六のうち、方便品第二について、特にお話しさせていただきました。 今回は、数ある仏典の中でも最も永く人口に膾炙され、私を含め多くの人々に親しまれてきた法華経に注目して、どうしてこれほどまでに法華経は人々を惹きつけるのか、法華経に残された智慧とは何か、なかでも、法華経の肝心かなめとされる如来寿量品第十六に焦点を当てて、私なりに探ってまいりたいと思います。 法華経編纂の背景 前回も申し上げましたが、まず、お釈迦様の生没年ですが、これは、諸説あるわけですが、紀元前566年に生まれて紀元前486年に亡くなった、もしくは、紀元前463年に生まれて紀元前383年に亡くなったとする2説が有力で、だいたい紀元前6世紀から5世紀にかけて、80年間の生涯を生きられたということが、通説となっております。 法華経は、その80年のご生涯のうち、72歳からの最後の8年間に説かれたといわれています。そして、成文化されたのは、滅後500年頃と考えられています。 なぜ、滅後500年頃に編纂されたのか。これについては、盛んに議論が行われておりますが、そこには商工業の隆盛という、当時のインドの社会背景との関係があったと推測されています。 前回のおさらいになりますが、初期には出家者に対して、お釈迦様はどう説かれたのかを中心に、まずまとめられて、修行のあり方などを、かなり厳格に規定されました。 その代表的な教えに「灰身滅智(けしんめっち)」があって、自身の煩悩のなかに苦しみがあって、その煩悩をどう滅却していくかが課題とされ、突き詰めた結果、煩悩にとらわれる自らの心身を滅することを目指すようになりました。 それに対して、これは、どうも違うぞと、自らの立場を大乗と呼び、それまでのものを小乗と呼んで批判する勢力が出てきます。それは、出家ではなく、台頭してきた商人など、在家のなかから起こったものでした。 お釈迦様の教えとは、苦悩する多くの民衆のためのものであって、もっとおおらかで、自然で、厳格ではないはずだ。煩悩を滅却するのではなく、煩悩はそのままに、それを制御し、どう活かしていくかに根本があると。 またさらに、小乗教は自分自身の覚りのみを目指すのに対して、自分を含めて、自分以外の多くの人々をも幸せにしていくためにはどうしたらいいのかを探求していくのが大乗教であり、そこにこそ、お釈迦様が出世された意図があるとしました。他人のために自分の力、自らの生命を使っていくなかに、仏になる道があるとする考え方です。 その生き方をするのが、生命の境界を仏界を頂点に10に分類した十界論でいうところのナンバーナイン(9番目)、仏の一段前の境界、菩薩界であるとされますが、この菩薩界の求める人のあり方を展開されたのが、法華経であったということができます。 ちょうど、本日(4月7日)付の聖教新聞にパリで仏教経典展(ユネスコ本部、会期:4月2日~10日)が開催されたことが報じられていて、8世紀頃と推定されているサンスクリット語のペトロフスキー法華経写本(ロシア科学アカデミー東洋古文書研究所所蔵)が掲載されております。これは、法華経の原典はいかなるものであったかなど、法華経研究の基礎文献として貴重なものです。また、同展には1~2世紀のガンダーラ語の法句経(同前)も展示されたとのことであります。ちょうどいい機会ですので、併せて紹介させていただきます。 日本における法華経の受容 法華経は、その後、前回にもお話ししたとおり、5世紀の初めに鳩摩羅什によって漢訳(妙法蓮華経)。法華経といえばこの羅什訳が定着して、漢字圏に広まっていき、日本においては6世紀半ばの仏教伝来に伴って、ほどなく認知されていきました。 仏教伝来した飛鳥時代において、それを受け入れたい蘇我氏と、排除したい物部氏の争いが起こって、蘇我氏側の勝利によって仏教が日本い定着していくわけですが、仏教受け入れ側の中心となった聖徳太子(厩戸皇子)が帰依したのが法華経でした。太子は、法華経を含む3つの経典の注釈書、三経義疏を著すなどしています。 以来、法華経は、日本に広まっていき、多大な影響を日本文化に及ぼすこととなっていきます。 一例として、古事記への影響が挙げられます。 これは、国文学者で古事記研究者の神田秀夫氏の説として知られているのですが、自分のことを指す語に「吾」よりも「我」が多用されているところに法華経と古事記の共通点があること、あるいは、歓喜、趺坐(ふざ)など、法華経で独自に使われている用語が古事記にも使われているといったことが、指摘されています。 ただし、一つ付け加えますと、この説は、かなりの影響を古事記が法華経から受けているということを示すものですが、これが世に問われたのは50年以上前のことで、その後、このような観点からの研究は進展がありません。今後の研究が待たれます。 末法思想と法華経 時代がくだって、平安時代の源氏物語や枕草子などの文学作品には、頻繁に法華経への言及があります。 源氏物語の賢木、澪標(みおつくし)、御法、蜻蛉の各巻に、法華経を読誦し講義を受ける法華八講といった法会が描かれていて、このころ、平安貴族の宮廷に広く法華経が浸透していたことがうかがえます。 事実、結縁経といって、仏縁を結ぶために一族で分担して、贅を尽くして華美に装飾した料紙に法華経を書写して寺社に奉納することが流行しました。 平安末期、平清盛が、広島の厳島神社に一族で書写した経典を奉納した、平家納経(国宝 1164年〔長寛2年〕奉納)が知られていますが、これも全体の9割が法華経です。 どうして、当時、法華経が重要視されたか。これについては、一つには、当時信じられていた末法思想が挙げられます。 末法思想というのは、お釈迦様がお亡くなりになって、一定の期間が経過すると、その教えは効力をなくすというものです。 正法時代という正しくその教えが行われる1000年間、続いて像法時代の1000年間があります。像とは「かたち」を意味して、形骸化の時代です。こうして滅後2000年を経ると、お釈迦様の教えの力がなくなる末法時代となります。 この末法の始まりを、当時の人々は、平安時代半ばの西暦1052年(永承7年)であると信じました。 この末法の到来を受けて、前回、お話ししましたが、一方では、この世での救いを諦めて死後の極楽往生を願って、阿弥陀経などの浄土三部経を頼りにする念仏が人々の間で流行するわけですが、その一方で、法華経が盛んになりました。 法華経には、釈尊滅後、悪世末法の時に、地涌の菩薩という無数の菩薩が出現して、正しい仏法を広めることが説かれているからです。 ともかく、日本において、このように法華経は、宗派を問わず重要な経典として位置付けられてきました。 迹門と本門 そこで、鳩摩羅什の法華経、妙法蓮華経ですが、八巻二十八品といいまして、8巻の巻物になって、全部で28章(品)で構成されています。 そして、この28品は、ちょうど14品ずつに分けることができ、序品第一から安楽行品第十四までを迹門、従地涌出品第十五から普賢菩薩勧発品第二十八までが本門とされています。迹門の迹とは、影という意味です。 そして、迹門中のかなめは、前回お話しした方便品第二で、本門の一番のかなめは如来寿量品第十六となります。 迹門と本門との違いは、お釈迦様と同時代に一緒に行動していた在世の人々に対して説かれたのが迹門で、それらの説法を受けた菩薩たちを迹化の菩薩、それに対して、本門では、実は皆がこれまで思っていた、今世のブッダガヤの菩提樹下ではなく、はるか遠い昔に覚りを開いていたのだとお釈迦様は本地を明かして、滅後にこの法を広めることが重要と説きます。 地涌の菩薩と末法 それを聞いた迹化の菩薩たちは、私にそれをやらせてくださいと申し出るのですが、ちょっと待て、末法には末法の仏法を広める菩薩がいるのだと、お釈迦様は、大地の底から見たこともないほど立派な菩薩を次から次へと涌き出させて、虚空に留めるということをしていきました。その末法流布の使命を託された菩薩を、本化の菩薩と呼び、その本化地涌の菩薩が出現して説かれたのが、今日の本題であります如来寿量品第十六です。 ともかく、お釈迦様の仏法の効力が消えた後、末法に法を広める使命を持って出現するという地涌の菩薩に期待して、平安時代において、法華経が重んじられ、平家納経に代表される贅を尽くした結縁経が競って作られていったというわけです。 また、この時代、経塚といって、書写した法華経を銅製や陶器製の筒に入れて地中に埋めることが行われています。 これは、通常、釈迦滅後56億7千万年に出現すると信じられた弥勒菩薩のためのものといわれますが、私どもは、末法に出現する地涌の菩薩を念頭にしたものと考えた方が相応しいと思っています。 法華経に救われた我が一家 私が法華経に興味を持ったのは、前回申し上げましたように、原爆の被爆が関係しております。 私の祖母と母が広島で原爆に被爆しまして、母は現在88歳になりますが、「語り部」として自ら軽自動車を運転して被爆体験を語っております。 昨日、その母に電話してみましたら、兵庫県の須磨学園に呼ばれて、4月15日(金)に、広島に平和研修旅行をする高校三年生を相手に、事前学習として講演をしてくると、言っておりました。 この母の母、私の祖母は、原爆投下のときに陸軍病院の看護師長をしておりまして、被爆して瀕死の重傷を負って、大変な苦しみの日々を強いられるなか、法華経の信仰によって本人のみならず一家が救われた体験を持っております。そうしたなかで私自身も、小学校に上がる前から、法華経の方便品と寿量品は読んでおりました。 このようにして私は、子供の頃より法華経に興味を持つにいたったのです。 エジプトの創世神話との出合い 加えて、さらに法華経を探求をしたいと強く思うようになるのは、これも前回お話ししましたが、訪れたエジプトで「太陽はロータスが生む」との創世神話があることを知ってからでした。 エジプトを訪れたのは、私の尊敬する画家の田渕隆三先生がもともと古代エジプトの美術を大変評価されており、先生に誘われたからですが、訪れたカイロの考古学博物館で、私は約3300年ほど前のツタンカーメン王の墓からの出土品に『蓮華から再生するツタンカーメン』という彫像があるのを見つけました。 ツタンカーメンといえば『黄金のマスク』が有名ですが、私は、こちらの方に重要な意義を感じましたので、田渕先生に頼んで描いていただき、後日、私の著書『サンロータスの旅人』(2010年12月14日発刊)の表紙絵に使わせていただきました。 このツタンカーメンの彫像は、先ほどの創世神話に基づくものといえます。 この神話によると、巨大なロータスが原初の水(ヌン)から浮き上がって、そのつぼみが甘美な香りを放った。そして、ロータスの花が開き始めると、花の中心から太陽が生まれ出たというものです。 古代エジプトでは、王は太陽神の化身とされましたから、ツタンカーメンも、死後、ロータスから再生するものと強く信じられていたということです。 また、本の裏表紙に掲載しておりますが、デンデラという古代エジプトの聖地に残る神殿遺構には、ロータスから生まれる太陽の場面を表現したレリーフがあって、非常に印象的な図でありました。非常な衝撃というか、ある意味、大変なカルチャーショックを受けました。 法華経というと、サンスクリットでは、サッダルマ・プンダリーカ・スートラで、白蓮華のような唯一無二の正しい教えといった意味で、これは、インド発祥と思っていましたが、蓮華の教えは、古代のエジプトにもあったと知りました。 以来、もしかしたら、仏教や法華経の源流は、エジプトにあったのではないかと考えるようになりました。法華経の世界の広がりを、改めて見直すようになった次第です。 こうして「サンロータスの旅人」ということで、太陽をも生み出すロータスのパワーをめぐって探求の旅をしておるというわけです。 エジプトから人類の発祥地へ そんななか、どうもエジプトは、法華経のみならず、人類の発祥地とも関係があるとわかってきました。エジプトを流れるナイル川を遡ったところが、人類の発祥地といえるということです。 6年ほど前の2010年の秋に、三浦雄一郎さんのご子息、三浦豪太さんらと共に、アフリカに、人類発祥の地を訪ねる旅をしました。それは、タンザニアのラエトリという地方に残されているのですが、ナイル上流、つまり、エジプトを南下した地に、360万年前と推定される人類の祖先の二足歩行の足跡が発見されています。 それは、おそらく火山噴火が近くであって、沼地を歩いたところに足跡が付いて、そこに火山灰が積もったために、足跡がそのまま残って化石化したのだと思われるのですが、二つの大きな足跡と一つの小さな足跡が確認できて、時々歩みを止めながらも北に向かう様子がうかがえるものです。 現在、その現場は保全のため再び埋め直されていて、見ることはできないのですが、その実物大のレプリカを、同じタンザニアにあるオルドバイ博物館で確認してまいりました。 それと、日本IBMの会長を務めていた私の友人がいるのですが、彼の現職時代にIBMとナショナルジオグラフィック協会が共同で、全世界30万人ほどから提供を受けた唾液のサンプルをコンピュータを使って遺伝子を解析して、それぞれの祖先はどこから来たのかを追跡するという大プロジェクトが行われたことがありました。 結果は、現代人の祖先の100パーセントが、アフリカのナイル上流からであるとの結論が示されました。 その理論的根拠は、洪水に遭った、噴火に遭ったといった、様々な祖先の経験が、遺伝子の傷になって記録されているということらしいのですが、その遺伝子の傷から、いつ、どこを通って各々の祖先はやって来たのかといったことが、わかるというのだそうです。 人類とともにロータスが伝播 こうしてみると、人類の動きとともにロータスも、根源のパワーの象徴として、ナイルを下りエジプトに入り、メソポタミアを渡り、アジアを横切り、海を渡って日本に到達しているのではないだろうかと思えてまいります。 ナイル川がエジプトに入るところに、アブ・シンベル大神殿があって、それは、紀元前13世紀の偉大な王ラムセス二世によって造営されたものですが、岩山を掘り抜いて、正面には高さ20メートルほどの王の坐像4体が並ぶ壮大な古代神殿です。 1960年代、この神殿はアスワンハイダムの建設によって水没の危機にありました。そのとき、国際的な支援運動が起こり、丸ごと山の上に移設する大工事が行われて遺跡は救われました。そして、この件をきっかけに、ユネスコの世界遺産制度が創設されています。 ところで、ここにもロータスと太陽の痕跡がありました。 古代エジプトでは、ロータスは上エジプト(ナイル渓谷)、パピルスは下エジプト(ナイルデルタ)の象徴とされ、アブ・シンベルに入るところに、ロータスとパピルスが、上下エジプト融和の象徴として結ばれている図像(セマタウィ)がありました。 また、太陽のパワーを取り入れようということで、年に2回、日の出の太陽が、奥行き60メートルほどの神殿の最奥部にまで届く壮大な仕組みがありました。 旧約聖書も勉強しなおしてもみましたが、モーゼの出エジプトの物語なども、エジプトを通っていった人類の拡散を彷彿とさせます。 恩恵ある太陽のパワーの源は何なのかを探る中で、象徴としてロータスを考えたのではないかと推測しておるわけです。 南無妙法蓮華経の題目に込められたこと ところで、ロータス、つまり蓮華といえば、身近なところでは、南無妙法蓮華経のお題目が挙げられます。 これは、ネパールにおいても、岩肌にびっしり刻まれているのを見ましたが、日本のみならず、今や世界中で知られています。 冒頭の南無は、サンスクリット(梵語)のナマスの漢字表記で「帰命」という意味です。帰命とは、私のすべてを捧げます、心から信じ従いますということです。 妙法は、サッダルマで「正しい法」ということです。 そして、蓮華となっているところは、サンスクリットでは、プンダリーカで、ロータスのなかでも、特に白蓮華のことをいいます。 それで、直訳すれば「私は絵も言われぬ不思議なる蓮華の法に帰命します」といったことになるのですが、この妙法蓮華経、法華経の経文自体には、意外にも蓮華がほとんど出てきません。 一つ挙げれば、先ほどお話した地涌の菩薩が登場する従地涌出品第十五に「如蓮華在水」とあって「世間の法に染まらざること蓮華の水に在るが如し地より而も涌出す」と、地涌の菩薩が人々の救済のために、あえて現実の汚辱の中に生まれながら、高潔さを保つ姿が表現されているところがあります。 その他、蓮華については数えるほどしか登場せず、白蓮華にいたっては、法師功徳品第十九に、この経を受持・読誦等する者は、清浄の鼻根を得られることによって種々の香りを聞くことができるとあって、その例として挙げられた香りのなかに「赤蓮華香・青蓮華香・白蓮華香」とある、そこのところぐらいです。 ところが、28ある各品の全部に妙法蓮華経と経題が付けられている。これは何故か。 突き詰めると、ロータス、あるいは白蓮華というのは、すべての根源のエネルギーを指しているのではないだろうかという考えにいたります。 太陽をも生み出す、宇宙のもともと備わっている根源の法があって、その法を説いているのが法華経であり、その法に基づいて生きるのだと指し示すことが、法華経の名前に込められた意図ではなかったかと思っています。 経文に残る編纂の経緯 最初に4月25日からエベレスト・ビュー・ホテルまでのトレッキングをすることをお話ししましたが、釈尊は、この世界一のヒマラヤ山脈を見て育ち、その山の崇高さが乗り移ったような人格を備えるようになりました。そして、釈尊は、ヒマラヤの山中でも修行を重ねただろうと考えられています。 ヒマラヤは、それを見た誰もが感動する世界一の美しさを持つ場所ということができます。しかし、それと同時に、山高く、谷深い、険しい地形の最も過酷な場所でもあります。 法華経は、そんな険しい山岳地帯のなかで編まれたと、推測されています。 というのは、経文の中で、仏の治める理想の地を表現するのに、平らな土地であることが謳われているからです。 例えば、譬喩品第三では、お釈迦様のお弟子の一人、舎利弗の成仏の記別を与えるところで、華光如来という名前になって舎利弗が出現する国を「其の土は平正にして、清浄厳飾に、安穏豊楽、天人熾盛。瑠璃を地と為して、八つの交道有り。黄金を縄と為して、以て其の側(ほとり)を界(さか)い、其の傍に各おの七宝の行樹有りて、常に華菓有らん」と、国土が平らで、道路が四通八達して、花や果物に恵まれていると表現されています。 その他、授記品第六でも、摩訶迦葉、須菩提、大迦旃延、大目揵連といったお弟子さんたちについても、同じく成仏して出現する国土に「平正」との表現があり、五百弟子受記品第八では、弟子の富楼那についての表現に「掌のように平ら」とあります。 ともかく、このようなことから、法華経の編まれた地は、インドの中央部ではなく、今のパキスタン北部の山岳地帯であっただろうと考えられています。 これは、第4回の仏典結集が、インド北西部のカシミールで行われたこととも符合しているかもしれませんし、法華経的思想を守っていた仏教徒が何らかの理由でインド中央部から追いやられ、危機的状況であったことが推測されます。 お釈迦様の正しい教えを守り、後世に何としても伝えようとの当時の人々の強い意志が、法華経の成文化へと繋がったということです。 法華経の第一声「知ること能(あた)わざる所なり」 話を戻して、数ある仏教経典の中で、なぜ、法華経が重要なのか、さらに深めて参りたいと思います。 その鍵である、如来寿量品第十六の全文を、この機会に読んでいきたいと思いますが、結論を先に申し上げれば、生命は永遠ということです。 生まれ変わるといったことではなく、生命は続くのであって、過去から現在、そして未来へと続いているのだということが、寿量品の肝心です。 その前に、ここで、皆さまのご記憶を呼び覚ませていただくために、前回、触れました方便品第二を、少し復習したいと思います。 序品第一は、状況説明で、この方便品が、法華経における釈尊の第一声です。 それは「頭で考えても、本質はわからない」というものでした。 智慧第一といわれ、当時は、頭の優秀さで釈尊よりも有名で、「あの舎利弗が入門したのなら、よっぽどお釈迦様はすごい人なんだろう」といわれたという、その舎利弗に対して告げられるのでした。 その時に世尊、三昧より安詳(あんじょう)として起ちて、舎利弗に告げたまわく。『諸仏の智慧は甚深無量なり。その智慧の門は難解難入なり。一切の声聞・辟支仏(ひゃくしぶつ)の知ること能(あた)わざる所なり』」と。 これが、法華経の第一声でした。 根源の白蓮華のごとく一番の妙なる経典 続いていよいよ妙法蓮華経如来寿量品第十六です。 もう一度、妙法蓮華経を、現代語で言うならば「非常に不思議な、妙なる宇宙の法則があって、白蓮華のように浄く正しく尊い教え」ということになります。 蓮華というのは、インドでは何百種類もあるようです。そのなかで、赤いハスは、たくさんの呼び方があるのに対して、白いハス、白蓮華というものは、プンダリーカの一つの呼び名しかないそうです。そういうことから、白蓮華は、この世のなかで唯一最上のものを形容しているということができます。 妙なる法、妙法、宇宙の根源の一番の妙なる経典の第十六章が妙法蓮華経如来寿量品第十六ということです。 書き下し文(訓読)を読んでいきます。 その時とは 【寿量品 訓読1】 爾(そ)の時に仏は諸の菩薩、及び一切の大衆に告げたまわく → この始まりの「爾の時」というのは、この前の従地涌出品第十五において、それまで見たこともない菩薩が陸続と大地から涌き出てきたものですから「お釈迦様、これは一体どうしたことですか」「この菩薩方とお釈迦様とは、どういうご関係でしょうか」「今は仏様が生きておられるから、皆、信じますが、おっしゃるように、仏様の滅後においてこの菩薩方が法華経を広めるといわれても、こんな不思議なことが起こったことについての原因、そのわけをお話ししてくださらなければ、後世の人々は疑問を抱くでしょう。どうかお教えください」「どのようにして短い期間に無量の菩薩を教化なされたのですか」等と、弥勒菩薩らは3度にわたってお釈迦様に教えてもらうようにお願いをします。その時ということです。そして、お釈迦様は、諸々の菩薩など一切の大衆に向かって話し始められます。 三誡四請 【寿量品 訓読2】 「諸の善男子よ。汝等は当に如来の誠諦之語(じょうたいのことば)を信解すべし」と。復た大衆に告げたまわく、「汝等は当に如来の誠諦之語を信解すべし」と。又復た大衆に告げたまわく、「汝等は当に如来の誠諦之語を信解すべし」と。 是の時、菩薩大衆は、弥勒を首(はじめ)と為して、合掌して仏に白(もう)して言(もう)さく、「世尊よ。唯だ願わくは之れを説きたまえ。我れ等は当に仏の語(みこと)を信受したてまつるべし」と。是の如く三たび白(もう)し已(おわ)って、復た言(もう)さく、「唯だ願わくは之れを説きたまえ。我れ等は当に仏の語(みこと)を信受したてまつるべし」と。 爾の時、世尊は諸の菩薩の三たび請じて止まざることを知しめして、之れに告げて言(のたま)わく、「汝等よ。諦(あきら)かに聴け。如来の秘密・神通の力を」 → 話を始めるにあたって、お釈迦様は「あなたたちは、私の言うことを心から信じなさい」と3度、繰り返して念を押されます。 これを受けて、お訊ねした側からも3度「私たちは仏様のおっしゃることを本当に信受しますので、どうかそれをお説きください」と、お願いを繰り返した上に、もう一度「どうかそれをお説きください。私たちは仏様のおっしゃることを本当に信受します」と、重ねて念を押して誓います。 ここまでの仏様の誡めと弟子たちの請願のやり取りを、三誡四請といいます。 そして、この三誡四請を受けて「明らかに聴きなさい。如来の秘密、神通の力を」と、いよいよ秘密が説かれてまいります。 発迹顕本 【寿量品 訓読3】 「一切世間の天・人、及び阿修羅は、皆な今の釈迦牟尼仏は釈氏の宮を出でて、伽耶城を去ること遠からず、道場に坐して、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を得たりと謂(おも)えり。然るに善男子よ。我れは実に成仏してより已来(このかた)、無量無辺百千万億那由他(なゆた)劫なり」 → お釈迦様は、釈迦族の王子でしたから「皆は私のことを、王宮から出て、修行して、ブッダガヤの菩提樹の下で覚りを得たと思っていただろうが、実は仏の境界を得てから無量無辺百千万億那由他劫という途方もない時が経つのだ」と、これまでの立場を否定して本地を顕されます。 これを、迹をはらって本地を顕すということで、発迹顕本(ほっしゃくけんぽん)といいます。また、この本地を顕されたことから、本門と呼び、それまでの立場を、始成正覚といいます。 なお、経文にある阿耨多羅三藐三菩提とは「無上の完全な覚り」といった意味のインドのサンスクリット語、アヌッタラサンヤクサンボーディの音写です。 無量無辺百千万億那由他劫とは 【寿量品 訓読4】 「譬えば五百千万億那由他阿僧祇(なゆたあそうぎ)の三千大千世界を、仮使(たと)い人有って抹して微塵と為して、東方五百千万億那由他阿僧祇の国を過ぎて、乃(すなわ)ち一塵を下し、是の如く東に行きて、是の微塵を尽くさんが如し」 → 続いて、無量無辺百千万億那由他劫という途方もない時間とは、どれほどの時間かが説明されます。 無量無辺百千万億那由他劫というのは、譬えば五×百×千×万×億×那由他×阿僧祇の全世界を、仮に人がいて粉砕機にかけて粉にして、それを船か何かの乗物に積んで東に向かって行き、五×百×千×万×億×那由他×阿僧祇の国を過ぎたところで粉の1粒を下す。このようにしてずっと東に行って、すべての粉粒を下し終わるとする。そのような長大な時間であると、示されます。 ここに出てくる那由佗阿僧祇とは、インドにおける数の単位で、一説には那由佗は0が11個(1千億)、阿僧祇は0が51個、それぞれ付く単位ともいわれますが、ともに極大すぎて数え難い数です。三千大千世界とは、当時の世界観でいう全世界です。高杉晋作の都々逸に「三千世界の鴉(カラス)を殺し 主(ぬし)と朝寝がしてみたい」とありますが、これは「うるさく鳴いて眠りの邪魔をするカラスを、この世界から全部殺して、朝、お前といつまでも眠っていたい」ということですね。なお、このカラスとは、徳川幕府のことを指しており、倒幕の意志を表したものともいわれます。 想像できない時間の長さ 【寿量品 訓読5】 「諸の善男子よ。意(こころ)に於いて云何(いか)ん。是の諸の世界は、思惟し校計(きょうけ)して、其の数を知ることを得可しや不や」と。 弥勒菩薩等はトモに仏に白(もう)して言(もう)さく、「世尊よ。是の諸の世界は無量無辺にして、算数(さんしゅ)の知る所に非ず、亦た心力の及ぶ所に非ず。一切の声聞・辟支仏は、無漏智(むろち)を以てするも、思惟して其の限数(げんしゅ)を知ること能わず。我れ等は阿惟越致地(あゆいおっちじ)に住すれども、是の事の中に於いては、亦た達せざる所なり。世尊よ。是の如き諸の世界は、無量無辺なり」 → 無量無辺百千万億那由他劫とはどれくらいの長さの時間か、お釈迦様は説かれた後、聴衆に、わかったかどうか、お尋ねになられます。 これに対して、聴いていた弥勒菩薩等の皆は答えます。 その答えに、無漏智と阿惟越致という言葉が出てきますが、無漏智の漏は煩悩のことです。煩悩を離れることによって得た清浄な智慧のことです。また、阿惟越致とは阿毘跋到(あびばっち)ともいい、どんな誘惑や迫害が加えられても不退転でいられる位に立っているということです。 つまりは「お釈迦様の成仏されてからの時間の長さは無量無辺で、煩悩や誘惑に惑わされない境界にあるといっても、声聞・縁覚といった二乗界では想像できるものではありません」と、弥勒菩薩らが答えるのです。 久遠実成 【寿量品 訓読6】 爾の時、仏は大菩薩衆に告げたまわく、「諸の善男子よ。今当に分明に汝等に宣語すべし。是の諸の世界の、若しは微塵を著(お)き、及び著かざる者を、尽(ことごと)く以て塵と為して、一塵を一劫とせん。我れは成仏してより已来(このかた)、復た此れに過ぎたること、百千万億那由他阿僧祇劫なり」 → 先ほどと同様に、五百千万億那由他阿僧祇の国を過ぎたときに1粒ずつ落としてゆき、それらが尽きてしまうと、今度は、その粒を落とした国もそうでない国も全部合わせて、また微塵にして、その1粒を1劫と数える。そして、成仏して以来、百×千×万×億×那由他×阿僧祇という、とんでもなく長い劫を経ているのだと、はっきりと宣言されます。 そして、この長遠な時間を、五百塵点劫といい、始成正覚に対して、久遠実成といいます。 仏は常に娑婆世界に在って説法教化する 【寿量品 訓読7】 「是れ自従(よ)り来(このかた)、我れは常に此の娑婆世界に在って、説法教化す。亦た余処(よしょ)の百千万億那由他阿僧祇の国に於いても、衆生を導利す。諸の善男子よ。是の中間(ちゅうげん)に於いて、我れは燃灯仏等を説き、又復(ま)た其れ涅槃に入ると言いき。是の如きは皆な方便を以て分別しき」 → 続けてお釈迦様は「久遠の昔に成仏してからずっと、この娑婆世界にあって、説法教化してきた。また、他の世界においても衆生を導き利益して、成仏してから今のインドに出現するまでには、燃灯仏等、他の仏として法を説いてきた。また、ときには涅槃に入る、つまり入滅を説いたが、これらは、すべて人々を救うために方便をもって分別してきたのである」と、明かされます。 ここにある娑婆世界とは、私たちが生きる現実世界のことです。 娑婆というと、耐え忍ぶべきという意味であり、確かに現実世界は過酷な世界です。ですから、それまでは、現実世界を汚れた世界、穢土と呼んで、そこをなんとか離れて仏様のいる極楽浄土に行こうと教えられたのですが、「本国土」といって、実は仏のおられる世界は、この娑婆世界であると、ここでも真反対のことをお釈迦様は明かされます。 また、ここでは、この世界とは別の世界があることも説かれており、一気に壮大な宇宙観が広がります。 なお、燃灯仏というのは、法華経の序品第一に八人の王子が登場するのですが、その八王子の、最後に成仏した者として出てきます。そして、燃灯仏は、後の釈迦仏であるとされています。 度すべき所に随って 【寿量品 訓読8】 「諸の善男子よ。若し衆生有って我が所(もと)に来至(らいし)せば、我れは仏眼を以て、其の信等の諸根の利鈍を観じて、応に度すべき所に随って、処処に自ら名字の不同、年紀の大小を説き、亦復(ま)た現じて当に涅槃に入るべしと言い、又た種種の方便を以て、微妙の法を説いて、能く衆生をして歓喜の心を発(おこ)さしめき」 → そして「私の所に人が来れば、仏の眼をもって、その人の信の程度等、機根が整っているかどうかを観て、その救うべき程度に従って、相応しい場所に異なった名前で出現し、異なった寿命の長さを説いて、あるいは、寿命が尽きて、涅槃に入ると言ったりと、種々の方便をもって法を説いて、衆生に歓喜の念を起こさせてきた」と、衆生の機根に応じて方便を説いてきたのも、衆生を歓喜させるためであったと、示されます。 衆生を度脱させんがため 【寿量品 訓読9】 「諸の善男子よ。如来は諸の衆生の小法を楽(ねが)える徳薄垢重(とくはくくじゅう)の者を見て、是の人の為に我れは小(わか)くして出家し、阿耨多羅三藐三菩提を得たりと説く。然るに我れは実に成仏してより已来(このかた)、久遠なること斯(かく)の若(ごと)し。但だ方便を以て、衆生を教化して、仏道に入らしめんとして、是の如き説を作(な)す。 諸の善男子よ。如来の演(の)ぶる所の経典は、皆な衆生を度脱せんが為めなり。或は己身を説き、或は他身を説き、或は己身を示し、或は他身を示し、或は己事を示し、或は他事を示す」 → 低い教えを喜ぶような徳が薄く垢にまみれたような罪業深い者を見れば、この人に合うように「私は若くして出家して覚りを得た」と、始成正覚を説く。実際のところは、これまで説いてきたように、成仏して以来、久遠なのであるが、方便をもって衆生を教化して仏道に入らせるために、そのように機根に応じて説法するのである。 また「あるいは自身や他者を説き、自身や他者を示し、自身や他者の事を示してきたのであるが、仏のこれまで広めてきた様々な経典は、皆、衆生を度脱させんがためであった」と、ここでも衆生を救うことに、お釈迦様の意図があったことが言われています。 永遠にして常住の生命 【寿量品 訓読10】 「諸の言説する所は、皆な実にして虚しからず。所以(ゆえん)は何ん、如来は如実に三界の相を知見するに、生死の若しは退、若しは出あること無く、亦た在世及び滅度の者無く、実に非ず虚に非ず、如に非ず異に非ず、三界の三界を見るが如くならず。斯の如きの事を、如来は明らかに見て、錯謬(しゃくみょう)有ること無し」 → 続いて「仏の説くところは、すべて真実で、虚言ではない。なぜかならば、仏は如実に三界(現実世界)の相を知見しているからである。生死といっても、この世界から退くとか出現するとかいったことはなく、また、世に在る者とか、滅んでいる者といった区別もない。この世界の有り様は、真実でもなく、かといって虚でもない。このようでもなく、このようでもないということでもない。つまりは、この世界の衆生が見ているように、仏はこの世界を見てはいないのである。このようなことを仏は明らかに見ていて、誤りがないのである」と、あるわけですが、ここは、人生最大の関心事であります「生死の問題」、「死んだらどうなるのか、魂は残るのか、どこへ行ってしまうのか」に、答えられているところです。 ここで、仏の智慧の眼で見れば、生命は永遠で、常住の存在であるということが明かされています。 ところが、現実には、誰にも生と死は厳然とあります。 これを、どう考えればいいのでしょうか。 今回、初めに古代エジプトの創世神話に「太陽はロータスが生んだ」とあると、お話ししました。その神話では、原初の水(ヌン)というものがまずあって、そこに太陽を生むロータスが浮き上がってくるとありました。 あらためて、この神話を、今、申し上げているところと対比させますと、永遠にして常住の生命とは、エジプトの神話でいう原初の水であるといえるかもしれません。 つまり、生命という久遠の大海原があって、昼間に睡蓮が水面から顔を出し、夜になると水面下に隠れるように、そこに太陽を生み出すロータスが浮かんできたときが「生」の状態、そのロータスが海に沈んでいったら「死」の状態といえるということです。 私たちは、あるときは生、あるときは死という局面を現じますが、大前提に永遠の生命という大海原がある。そして、この生命という久遠の大海原を、生死を繰り返しながら進んでいるというのが、私たちであるということです。 未だ曽(かつ)て暫くも癈(はい)せず 【寿量品 訓読11】 「諸の衆生は、種種の性、種種の欲、種種の行、種種の憶想分別有るを以ての故に、諸の善根を生ぜしめんと欲して、若干(そこばく)の因縁・譬喩・言辞を以て、種種に法を説く。作(な)す所の仏事は、未だ曽(かつ)て暫(しばら)くも癈(はい)せず」 → 「一人ひとりが違っていて、それぞれが大事であるが故に、それぞれの善根を生じさせようと思って、因縁や譬喩、あらゆる言葉をもって様々な法を説いてきた。それは、ずっと片時も絶やすことなく続けられている」と、ここでも衆生のために仏様は種々の法を説いてこられたと言われています。 本因を示す 【寿量品 訓読12】 「是(かく)の如く我れは成仏してより已来(このかた)、甚だ大いに久遠なり。寿命は無量阿僧祇劫にして、常住にして滅せず。諸の善男子よ。我れは本(も)と菩薩の道を行じて、成ぜし所の寿命は、今猶お未だ尽きず、復た上の数に倍せり」 → 「このように私が成仏してから甚だ久遠である。その寿命は無量阿僧祇劫という長遠な長さであり、この世に常住不滅である。そして、私が菩薩の道を行じて成就した寿命は、今なお尽きていない。それどころか、これまでの時間に倍して続くのである」ということですが、ここで「本因」といいますが、「我れは本と菩薩の道を行じて」と、どうやってお釈迦様は仏になったか、その原因が明かされています。 そして、これまでは過去の時間の長さが説かれてきましたが、ここでは、今後の時間の長さが説かれて、未来の人々、すなわち、我々を救っていくことが示されています。ここが、寿量品が説かれた肝心かなめのところです。 方便を以て衆生を教化す 【寿量品 訓読13】 「然るに今、実の滅度に非ざれども、便(すなわ)ち唱えて当に滅度を取るべしと言う。如来は是の方便を以て、衆生を教化す。所以は何ん、若し仏は久しく世に住せば、薄徳の人は善根を種(う)えず、貧窮下賤にして、五欲に貪著し、憶想妄見の網の中に入りなん。若し如来は常に在って滅せずと見ば、便ちキョウ恣(し)を起こして、厭怠(えんだい)を懐き、難遭の想、恭敬(くぎょう)の心を生ずること能わず。是の故に如来は方便を以て説く。 比丘よ。当に知るべし。諸仏の出世には、値遇(じぐ)す可きこと難し。所以は何ん、諸の薄徳人は、無量百千万億劫を過ぎて、或は仏を見る有り、或は見ざる者有り。此の事を以ての故に、我れは是の言(ことば)を作(な)さく、『諸の比丘よ。如来は見ることを得可きこと難し』と。斯の衆生等は、是の如き語(ことば)を聞いて、必ず当に難遭の想(おもい)を生じ、心に恋慕を懐き、仏を渇仰して、便(すなわ)ち善根を種(う)ゆべし。是の故に如来は実には滅せずと雖(いえど)も、滅度すと言う。又善男子よ。諸仏如来の法は、皆な是の如し。衆生を度せんが為めなれば、皆な実にして虚しからず」 → 「以上のように、仏様は、実は常住不滅であるのだけれど、滅すると、方便を用いて、衆生を導くのである。何故かならば、ずっとこの世にいるということになれば、仏を求めることに懸命にならないから、福徳の薄い人が善根を積むこともなく、貧窮下賤のまま欲望にとらわれて、網に取り込まれて出られなくなってしまうように、誤った考えに取り込まれてしまう。仏様はずっとおられて滅せられることはないと思えば、世俗の欲望を優先してそれを大事とするようになって、やる気をなくして仏道修行に怠慢になってしまう。仏様がどんなに遭い難い存在かを思うことなく、仏を敬う心が生まれなくなってしまう。これがために、仏は方便を用いて法を説くのである。 そして「諸仏の出現する時にちょうど生きているということは、稀なことであることを知りなさい。福徳の薄い人のなかには、無量百千万億劫を過ぎるうちに、仏を見る者もあれば、全く会えない者もある。これをもって、私は『比丘たちよ。仏様というのは会い難い存在なのだ』と、言うのだ。この言葉を聞いた衆生らは、必ず仏は会い難いと思うようになって、心に恋慕の気持ちを懐いて仏を渇仰して、そこで、善根を積むことになる。このために仏様は、実際には不滅であっても、滅度すると言うのである。諸仏は、皆、このように説法されてきた。それらは、衆生を救わんがためであるから、各々の方便も、皆、正しいのであって間違いではないのである」と、ここでも重ねて、仏様が方便を用いるのは、衆生を救うということが、その目的であると示されています。 良医病子の譬 【寿量品 訓読14】 「譬えば良医の智慧聡達にして、方薬に明練(くわ)しく、善く衆病を治すが如し。其の人に諸の子息多く、若しは十・二十、乃至(ないし)百数なり。事の縁有るを以て、遠く余国に至りぬ」 → 法華経には、これが最高の教えであることをわからせるために、譬え話が多く説かれていて、七譬といって、全部で七つあります。ここから、その七譬のうちの一つ、良医病子の譬が始まります。 「例えば、様々な病に効く薬の調合に詳しく、賢く聡明で熟練した医者がいたとする。その人は、その数10人とか20人とか、もしくは100人ともいわれるほど、子だくさんであった。そして、その人は、ある用事で遠い他国に出かけて行った」と。 誤って毒薬を服す 【寿量品 訓読15】 「諸の子は後に於いて、他の毒薬を飲み、薬発(くすりはっ)し悶乱して、地に宛転(えんでん)す。是の時、其の父は還り来って家に帰りぬ。諸の子は毒を飲んで、或は本心を失える、或は失わざる者あり。遙かに其の父を見て、皆な大いに歓喜し、拝跪(はいき)して問訊(もんじん)すらく、『善く安穏に帰りたまえり。我れ等は愚癡にして、誤って毒薬を服せり。願わくは救療(くりょう)せられて、更に寿命を賜え』と」 → 「父が遠くに出かけて後、子どもたちは毒の類を飲んで苦しみ悶えて、地にのたうちまわって倒れてしまう。この時、父がうちに帰って来る。毒を飲んだ子どもたちは、ある者は正気を失っており、ある者はそれほどでもなかった。遠くから戻ってくる父の姿を見て、皆は大いに歓喜して、跪いてお願いしたことには『よくぞご無事にお帰りくださいました。私たちは愚かにも誤って毒薬を飲んでしまいました。どうか私たちをお救いくださって、更に寿命を延ばしてください』と。 この、正気を失って悶え苦しんでいる子どもたちの姿は、苦悩にあえぐ現代人の姿といえるかもしれません。 色・香・美味の備わった大良薬 【寿量品 訓読16】 「父は、子等の苦悩すること是の如くなるを見て、諸の経方に依って、好き薬草の色・香・美味、皆悉(み)な具足せるを求めて、擣(つき)フルい和合して、子に与えて服せしむ。而して是の言(ことば)を作(な)さく、『此の大良薬は、色・香・美味、皆悉な具足せり。汝等は服す可し。速かに苦悩を除いて、復た衆(もろもろ)の患(うれい)無けん』と」 → 「このように子どもたちが苦しんでいるのを見た父親は、様々な処方箋に従って、色においても、香りにおいても、そして、味においても満足できる良き薬草を選んで、それらを挽き、ふるいにかけ、混合して薬を作り、これらを子どもたちに服するように与えつつ、次のように言った。『この大良薬は、色も香りも味も、ことごとく備わっている。これを服用すれば、速やかに苦しみは除かれ、あらゆる病気の心配がなくなる』と」 日蓮大聖人は、この「色・香・美味の備わった大良薬」を、三大秘法の南無妙法蓮華経であると説かれて、南無妙法蓮華経の題目を唱えることを勧められたわけです。 毒気が深く入って本心を失えるが故に 【寿量品 訓読17】 「其の諸の子の中の心を失わざる者は、此の良薬の色・香トモに好(よ)きを見て、即便(すなわ)ち之れを服するに、病は尽く除こり愈えぬ。余の心を失える者は、其の父の来れるを見て、亦た歓喜し問訊して、病を治せんことを求索(もと)むと雖(いえど)も、然も其の薬を与うれども、肯(あ)えて服せず。所以は何ん、毒気は深く入って、本心を失えるが故に、此の好き色、香ある薬に於いて、而も美(うま)からずと謂(おも)えり」 → 「それらの子らのうち、正気を失わずにいた者は、この良薬の色香ともに傑出しているのを見ると、すぐにこれを服して、病は完全に治癒した。正気を失った残りの者は、父親の戻ってきたのを見て喜び、病を治されることを願ったのであるが、その薬が与えられても服することをしなかった。それは何故か。毒気に深くやられて正気を失っていたがために、色や香りに優れた薬といえども、良いものではないと思えたからであった。 方便を設けて此の薬を服せしむべし 【寿量品 訓読18】 「父は是の念を作(な)さく、『此の子は愍(あわれ)む可し。毒の中(あた)る所と為(な)りて、心は皆なテン倒せり。我を見て喜んで、救療(くりょう)を求索(もと)むと雖も、是の如き好き薬を、而も肯(あ)えて服せず。我れは今当に方便を設けて、此の薬を服せしむべし』と。即ち是の念を作(な)さく、『汝等よ。当に知るべし、我れは今衰老して、死の時已に至リぬ。是の好き良薬を、今留めて此に在(お)く。汝は取って服す可し。差(い)えじと憂うること勿れ』と。是の教を作(な)し已(おわ)って、復た他国に至り、使を遣わして還って告ぐらく、『汝が父は已に死しぬ』と。」 → 「父親は、こう考えた。『この、かわいそうな子どもたちよ。毒にやられて心が完全におかしくなっている。私を見て喜んで、治して欲しいと願っていても、この良き薬を服そうとしない。方便に訴えて、この薬を服するように仕向けよう。 そこで、その子らに、こう告げた。『私は今や老い衰えて、死すべき時がやってきた。この良き薬をここに置いていく。お前たちは、取って服しなさい。効かないなどと思わないように』と。こう指示を与えてから他国に行き、そこから使者を故国に遣わせて『あなた方のお父さんは亡くなられた』と伝えさせた。 この使者を遣わせるところなどは、キリスト教と同じような説き方がされていると思います。 神がいるといっても、人間はそれをわからない。イエスを遣わせて、十字架にはりつけにさせられることで人々を目覚めさせ、神への信仰へ向かわせると。 心は遂に醒悟(しょうご)し毒の病は皆な愈ゆ 【寿量品 訓読19】 「是の時、諸の子は、父の背喪せるを聞いて、心は大いに憂悩(うのう)して、是の念を作(な)さく、『若し父は在(ましま)さば、我れ等を慈愍(じみん)して、能く救護せられん。今者(いま)、我れを捨てて、遠く他国に喪(そう)したまいぬ。自ら惟(おもんみ)るに孤露(ころ)にして、復た恃怙(じこ)無し』と。常に悲感を懐いて、心は遂に醒悟(しょうご)し、乃ち此の薬の色・香・味の美きを知って、即ち取って之れを服するに、毒の病は皆な愈ゆ。其の父は、子の悉く已に差(い)ゆることを得つと聞いて、尋(つ)いで便(すなわ)ち来り帰って、咸(ことごと)く之れに見(まみ)えしめん」 → 「父が自分たちを捨てて亡くなったと知って、子どもたちは大いに憂い悩んだ末、このように思った。『父が生きておられたなら、我らをかわいそうに思って、救護されただろう。しかし今や、父は我らを捨てて、遠く離れた他国で亡くなられてしまわれた。思えば我らは家なき孤児となり、頼れる者もなくなった』と。 常に悲嘆の念を抱くうちに、ついに、この薬が本当に色も香りも味も優れたものと悟って、その薬を取って服すると、毒によって起こった病はすべて治癒することとなった。 子どもたちが、ことごとく治癒したと聞いた父親は、ただちに家に帰って皆の前に再び現れるのであった。 衆生の為の故に方便力を以て 【寿量品 訓読20】 「諸の善男子よ。意(こころ)に於いて云何(いか)ん。頗(は)た人の能く此の良医の虚妄の罪を説くこと有らんや不(いな)や」と。 「不(いな)なり。世尊よ」と。 仏の言(のたま)わく、 「我れも亦た是(かく)の如し。成仏してより已来(このかた)、無量無辺百千万億那由他阿僧祇劫なり。衆生の為の故に、方便力を以て、当に滅度すべしと言う。亦た能く法の如く我が虚妄の過(とが)を説く者有ること無けん」と。 → 「諸の善男子よ、あなたたちは、どう思うだろうか。誰か、この良き医者が嘘をついた罪をあげつらう者がいるだろうか」 「いいえ、世尊よ」 仏様は、そこで、このように言われた。 「私もこれと同じである。成仏してより、無量無辺百千万億那由他阿僧祇劫という途方もない時間が経っているのであるが、衆生のために、方便力を使って、まさに滅するところだと宣言するのである。こういった状況からみれば、誰も、私が嘘をつくという罪を犯していたと、あげつらう者などいないであろう」と。 重ねて偈を説く 【寿量品 訓読21】 爾(そ)の時、世尊は重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言(のたま)わく、 → その時、仏様は重ねてこれまでのことを宣べようと、偈の形式をもって話された。 この偈というのは、詩文の一種で、これまでの散文調ではなく、韻文形式で、これ以後、続いていきます。 法華経に限らず、仏教経典というものには、散文と、この偈文の両方が、必ず備わっています。 衆生を度せんが為めの故に方便もて涅槃を現ず 【寿量品 訓読22】 我れは仏を得て自(よ)り来(このかた) 経たる所の諸の劫数は 無量百千万 億載阿僧祇なり 常に法を説いて 無数億の衆生を教化して 仏道に入らしむ 爾(しか)しより来(このかた)無量劫なり 衆生を度せんが為めの故に 方便もて涅槃を現ず 而(しか)も実には滅度せず 常に此に住して法を説く 我れは常に此に住すれども 諸の神通力を以てテン倒の衆生をして 近しと雖(いえど)も見ざらしむ → 私(釈尊)が仏に成ることを得て以来、これまで経過した多くの劫の数は無量百千万億載阿僧祇である。(その間)常に法を説き、無数億という数えきれないほど多くの衆生を教化して、仏道に導き入れてきた。そのようにして今に至るまで数限りない劫を経てきているのである。(仏は)衆生を救おうとする故に、方便を用いて涅槃の姿を現ずるのである。しかし、実は入滅していない。常にここ(娑婆世界)に住して法を説いているのである。私は常にここにいるのではあるが、諸々の神通力をもって、正気を失った衆生に、近くにいるにもかかわらず私を見えなくさせるのである。 一心に仏を見たてまつらんと欲して 自ら身命を惜しまざれば 【寿量品 訓読23】 衆は我が滅度を見て 広く舎利を供養し 咸皆(ことごと)く恋慕を懐いて 渇仰の心を生ず 衆生は既に信伏し 質直(しちじき)にして意(こころ)は柔軟(にゅうなん)に 一心に仏を見たてまつらんと欲して 自ら身命を惜しまざれば 時に我れ及び衆僧はトモに霊鷲山に出(い)ず → 私(釈尊)が入滅したと見た衆生は、いたるところに私の舎利を供養して、皆、恋慕の思いを抱いて、私を渇仰する心を生ぜさせるのである。衆生は既に信心深くなり、誠実に、心穏やかになると、一心に仏を見たてまつりたいと欲して、自ら身命を惜しまないようになる。その時に、私(釈尊)は、多くの僧らとともに霊鷲山に出現するのである。 常に此に在って滅せず 方便力を以ての故に 滅不滅有り 【寿量品 訓読24】 我れは時に衆生に語る 常に此に在って滅せず 方便力を以ての故に 滅不滅有りと現ず 余国に衆生有りて 恭敬(くぎょう)し信楽(しんぎょう)せば 我れは復た彼(か)の中に於いて 為めに無上の法を説く 汝等(なんだち)は此れを聞かずして 但だ我れは滅度すと謂(おも)えり 我れは諸の衆生を見れば 苦海に没せり 故に為めに身を現ぜずして 其れをして渇仰を生ぜしむ 其の心は恋慕するに因って 乃ち出でて為めに法を説く → 私(釈尊)は時に衆生に語っている「常にここにあって滅することはないのだ」と。しかし、方便力を用いる故に、時には滅する姿を現じ、あるいは不滅を現じてみせるのである。また他国に、慎み敬って喜んで教えに従う者があれば、私は彼らの中においても無上の法を説くであろう。あなた方は、これを聞いてこなかったから、私が滅度すると思うのである。 私は衆生を見ると、苦海に溺れているように見える。それがゆえに、私のことを渇仰させんがために姿を現さず、恋慕の心に満ちあふれた時、そこで出現して衆生のために法を説くのである。 衆生の遊楽する所 【寿量品 訓読25】 神通力は是の如し 阿僧祇劫に於いて 常に霊鷲山 及び余の諸の住処に在り 衆生は劫尽きて 大火に焼かるると見る時も 我が此の土は安穏にして 天人は常に充満せり 園林諸の堂閣は 種種の宝もて荘厳し 宝樹は花菓多くして 衆生の遊楽する所なり 諸天は天鼓を撃って 常に衆(もろもろ)の妓楽を作(な)し 曼陀羅華を雨(ふ)らして 仏及び大衆(だいしゅ)に散ず → 私(釈尊)の神通力はこのようなものである。阿僧祇劫という計り知れない期間、私は、常に霊鷲山及びその他の場所に住してきた。衆生が「世界が滅んで、大火に焼かれる」と見る時も、私の住むこの国土は安穏であり、常に喜びの天界・人界の衆生で満ちている。そこには、種々の宝で飾られた豊かな園林や多くの堂閣があり、宝の樹には、たくさんの花が咲き香り、多くの実がなっている。まさに衆生が遊楽する場所なのである。多くの天人たちが、種々の楽器で、常に妙なる音楽を奏でており、天空からは、めでたい曼陀羅華を降らせ、仏やその他の衆生の頭上に注いでいる。 戸田城聖先生という創価学会の第2代会長は、この経文を拠所に「この世で生きるということは、地獄のように苦しいことだと感じているだろうが、実は、人間というのは、この世には楽しむために生まれてきたのだ。苦しむためではないのです。本心を観じなさい」と、各人の心の根本の変革を教えられました。 悪業の因縁を以て 三宝の名(みな)を聞かず 【寿量品 訓読26】 我が浄土は毀(やぶ)れざれども 衆は焼け尽きて 憂怖諸の苦悩 是(かく)の如き悉く充満せるを見る 是の諸の罪の衆生は 悪業の因縁を以て 阿僧祇劫を過ぐれども 三宝の名(みな)を聞かず → 私(釈尊)の浄土は破壊されないが、衆生は、火に焼け尽くされ、不安と恐れ、そして諸々の苦悩がいたるところに充満している世界であると見ている。このような諸々の罪深き衆生は、悪業の因縁のために、三宝の名を聞くことなく阿僧祇劫を過ごしているのである。 諸有(あらゆ)る功徳を修して 柔和質直なる者は 【寿量品 訓読27】 諸有(あらゆ)る功徳を修して 柔和質直なる者は 則ち皆な我が身 此に在って法を説くを見る 或る時は此の衆の為めに 仏寿は無量なりと説く 久しくあって乃(いま)し仏を見たてまつる者には 為めに仏には値い難しと説く 我が智力(ちりき)は是(かく)の如し 慧光の照らすこと無量にして 寿命は無数劫なり 久しく業を修して得る所なり → 有意義な諸々の修行をし、心穏やかで素直なる者は、皆、私(釈尊)の姿がここにいて法を説くのを見るであろう。そしてこの衆生のために、ある時は仏の寿命は無量であると説き、その中でも長い期間を経て仏を見た者には、仏は会い難いものであると説くのである。私の智慧の力とは、このようなものである。その智慧の光の照らす力は計り知れず、寿命は無数劫である。それらは長きにわたる修行の果てに得られたものである。 我れも亦た為(こ)れ世の父 諸の苦患(くげん)を救う者なり 【寿量品 訓読28】 汝等(なんだち)智有る者よ 此に於いて疑いを生ずること勿れ 当に断じて永く尽きしむべし 仏語は実にして虚しからず 医(くすし)の善き方便もて 狂子(おうし)を治(じ)せんが為めの故に 実には在れども死すと言うに 能く虚妄を説くもの無きが如く 我れも亦た為(こ)れ世の父 諸の苦患(くげん)を救う者なり 凡夫はテン倒せるが為に 実には在れども滅すと言う 常に我れを見るを以ての故に 而もキョウ恣(し)の心を生じ 放逸にして五欲に著し 悪道の中に堕ちなん 我れは常に衆生の 道を行じ道を行ぜざるを知って 応に度す可き所に随って 為めに種種の法を説く → 智慧ある者たちよ。このことで疑いを生じさせてはならない。まさにそのような疑念は捨て去って、ずっと失くしておきなさい。仏の言葉は正しく、嘘ではないのであるから。 錯乱した子どもらを治そうと方便を用いる熟練した医者のようなもので、本当には生きているのを死んだと言うのを、誰も嘘を言ったと責めたりできない。私(釈尊)は、この世の父であり、患い苦しむ者を救う者である。 凡夫は正気を失っているので、本当は在るのであるが入滅を説く。ずっと私を見られるとなったら、傲慢でわがままな心を生じ、放逸になって欲望に負け、悪道に堕ちてしまうのである。私は、常に衆生が修行をしているか、そうではないかをわかっており、救われるべき衆生の度合いにしたがって、種々の教えを説くのである。 毎(つね)に自ら是の念を作(な)す 【寿量品 訓読29】 毎(つね)に自ら是の念を作(な)す 何を以てか衆生をして 無上道に入り 速かに仏身を成就することを得しめんと → どんな時も私(釈尊)は心中で念じているのである。どのようにすれば衆生に無上道に入らせられるか、そして、どうすれば速やかに仏身を得るのを成就させられるかを。 過去から連続する自らの命のなかにすべての原因が 早口で申し上げましたが、以上が、如来寿量品第十六の全文であります。 どうして仕事が上手くいかないのだろう。どうしてこんなにわからずやの上司がいるのだろう。どうしてうちは、こんなに貧乏なんだろう。どうして俺は、こんな病気になるのだろう。どうして、やることなすこと上手くいかないのだろう。 これらの悩みの原因は、すべて過去世の悪業にある。目に見えない過去から連続する自らの生命の連続の中に、すべての原因があることを知ることである。 日蓮大聖人は、これを踏まえて、それらを解決するには、南無妙法蓮華経を唱えて、法華経の智慧を自らに体現する以外にないと、説かれました。 この世に生まれてきた根源を知って、生まれてきた使命を自覚するところにしか、あなたの境界を開く道はない。目に見えない命の奥底が変われば、目に見えるところが変わるということです。 大海原を見ると、表面のさざ波だけが見えているが、その下には大きな海流が流れています。 生きている世界は、大火に焼かれてのたうちまわっていると見るけれども、本当は天から花が降り注ぎ、天から音楽が聞こえてくるような素晴らしいところだとわかってくる。 それが法華経の指し示す智慧ではないでしょうか。 ご静聴、ありがとうございました。
《Q&A》 【質問1】 今、世界では、特に一神教の中で、争いが絶えないように思います。これは、収拾がつかないのではないかと思えるほどです。こういう時代にあって、今日、聞かせていただいた法華経の考え方の果たす役割とは、何だと思われますか。 〈竹岡〉宗教間の争いというのは、私の身近にもありまして、静岡に日蓮正宗総本山の富士大石寺というのがあって、そこだけが正しくて、他は全部間違っていると、そこでは教えてきました。 私の一家が救われた法華経を教えられたのは、創価学会だったのですが、その創価学会は、この大石寺の一信徒団体という位置付けでした。 かいつまんで申し上げると、近年、その大石寺の僧侶たちが、創価学会はいらない、その指導者である池田大作先生は口うるさいから、いらない。信徒は口を挟まず、金だけ持ってくればいいのだと、権威権力で押さえ込もうと画策をするようになりました。 その結果、創価学会は、大石寺とは独立することとなったのですが、一番正しいと信じていた富士大石寺が、実は、苦しむ民衆の救済など一向に考えない、とんでもないところであったということが明るみになりました。 こんなことがあって、私は、もう一度、原点である法華経に戻らないといけないのではないかと、思うようになったわけです。 仏教界でも、いろいろな宗派に分かれています。 その原因は、それらが日本に伝わるまでに、中国、韓半島諸国と通ってくるわけですが、それぞれの時期の中国の皇帝が何を重用したかによって、日本に入ってくるものが違ってくることになった、そこのところに宗派乱立の因があるわけです。 ともかく、それぞれが正当性を主張して、結果、分裂してしまっているのですが、こうして分裂していてもしょうがないので、お釈迦様が説いた根本の教えとは何だったかを考えると、この法華経をしっかり見直すことから始めるべきではないかと思うのです。 法華経の智慧をベースに、各宗派が、協力すべきことは協力する。そうしていくことが、大事になるのではないかなと、こんな気がしています。 さらに言えば、根源に遡るという意味から、エジプトがキーワードになるのではと、私は考えています。イスラム教、キリスト教の根本に旧約聖書があってユダヤ教がある。それらの人類の思想の発祥の地であるエジプトに、もう一回、普遍的な智慧を見出して、世界の皆が手を結びあえないかと、そんな思いがしています。 いずれにしても、非常に難しいご質問です。 もう一つ、付け加えると、この法華経が現代に息を吹き返したのには、先ほど少しお話しした創価学会第2代会長の戸田城聖先生の獄中の悟達というのがありました。 第2次大戦中、軍部政府の方針に反対して、初代会長牧口常三郎先生とともに逮捕され、巣鴨の拘置所に入れられるのですが、その獄中で、法華経を読みながら「仏とは一体何なのか」と、思索を重ねられた末に、二つのことを悟達されます。 その一つは「仏とは生命のことなのだ」ということでした。仏のことを如来といいますが、如如として来たる、つまり瞬間瞬間、起こってくる自分の生命の働きをいうのだということです。 もう一つは、法華経に説かれる、末法に出現して法華経を流布するという地涌の菩薩とは、自分自身のことなのだという悟りです。「霊山一会儼然(げんねん)として未だ散らず」という言葉があるのですが、お釈迦様が法華経を説かれた霊鷲山の会座に、自分も連なっていたということを、生命の実感として悟ったということです。 この二つがあって、何か遠く離れた世界の話ではなく、自分自身のこととして法華経を展開することができるようになって、戦後、現代に法華経を蘇らせることとが可能となったのでありました。 ともかく、世界の問題を考えるにあたって、根源の生命とか、宇宙の根源に立ち返る必要があるということから、法華経に注目するべきではないかと思うのです。 【質問2】 最近、「世界で最も貧しい大統領」と呼ばれているウルグアイのホセ・ムヒカ前大統領が来日されましたが、そのムヒカ氏の話と通じるのではないかと思って、今日のお話を聞いておりました。ムヒカ氏をどう思われますか。 〈竹岡〉そうですね。ムヒカ氏の話は「知足」、「足るを知る」に通じる考え方だと思います。蔵の価値ではなく、命に最高の価値があると教えるのが法華経であるといえますが、その点で、ムヒカ氏の訴えと通じると思います。 それと、軍政時代に逮捕され投獄され、その牢で悟ったものを民衆のために生かそうとされているという点でも、先ほどの戸田城聖先生と同じで、素晴らしい人物だと思います。 【質問3】 弥勒菩薩が、今日、聞いた法華経の中に出てきました。弥勒菩薩といえば、釈迦滅後56億7000万年後に出現して人々を救うといわれていることは以前から知っていて、一体、どういう方なのかなと思っていたのですが、法華経の寿量品にいらしたんだなあと、感慨深いものがありました。 〈竹岡〉今、おっしゃった弥勒菩薩は、その通りですが、他にも観音様とか、お不動さんとか、毘沙門様とか、巷でいろいろに信仰を集めているわけですが、それらはすべて、法華経に登場して、それぞれの役割を負っています。 【質問4】 神というのと仏というのとは、どういう関係でしょうか。神というのは、法華経では、どういう位置付けでしょうか。 〈竹岡〉神というのは、法華経のみならず仏教全般では、諸天善神という呼び方があります。 例えば、雷を起こすのは雷神、雨を降らす龍神などといいますが、もともとインドの仏教以前の民間信仰の中に、自然の様々な現象を起こす働きなどを、神として崇めていました。 それらを、お釈迦様は仏教に取り込んで、仏のため、衆生のために、様々に作用する者として位置付けて、総称して諸天善神と呼んだということです。 それまでの様々の信仰を滅ぼすのではなく、重層的に取り込んで、活かすという発想です。 |