2008年7月21日 1.黄鶴楼 長江のほとりの高台に、辛という人の居酒屋があった。そこに、ぼろを着た一人の老人がやってきて酒を注文。店の主人は、代金も請求せず、どんぶりになみなみと酒をついでもてなした。老人はそれから毎晩、酒を飲みにやってくるようになった。 半年後老人は、自分にはお金がないからと、代わりに金の鶴を差し上げたいと、店の壁にミカンの皮の絞り汁で黄色い鶴を描いた。絵の前で老人が三回手拍子を打つと、なんと鶴はリズムにあわせて踊り出すではないか。その日を境に老人は姿を見せなくなったが、それからは踊る鶴が評判となり商売繁盛、十年で大金持ちになった。 と、その時、戸を叩いて再び老人がやってきた。実は老人は、仙人であった。仙人は横笛を取り出して一曲吹くと、黄色い鶴は壁から飛び出す。仙人は、その鶴の背中にまたがり白い雲に乗って空に飛び去った。その後、主人は、楼閣を建て黄鶴楼と名付けて感謝の思いを留めたのであった。 黄 この話には、服装で絶対に人を判断しちゃいけない、態度を変えちゃいけない、誰に対しても優しくすると必ず報われるという教訓があります。 田渕 まったく正しい教訓ですね。人間への教訓であり、芸術の真髄も教えてくれます。今は、描いた鶴が舞い出て来るような絵は、どこにもなくなりました。どんな高級ホテルに行っても、飾られているのは奥行きがない絵ばかりです。黄色い鶴は、飛び去ったままです。人々の喜びを取り戻すためにも、再び鶴が舞うような絵を描くことが、われわれの責務です。 2.平凡にして非凡 故人西辭黄鶴楼 故人西のかた黄鶴楼を辞し 田渕 李白は、見えるとおりを謳っただけです。悲しい、寂しいといった言葉は、一つとして使っていない。眼に映る瞬間瞬間を捉えただけなのに、別離の哀しさが胸に迫ってきます。むしろ、見える通りの真実のみだからこそ、一層印象深く、不滅のものになったといえるでしょう。見えるとおり描くというのは平凡の中の平凡です。だが、それこそが、実は非凡なことです。風が吹く、空気が動く、音が聞こえる……これこそ平凡の道を非凡に生きるということなんです。 3.形と精神 田渕 博物館は、最初から順に見ていくと、時代がもっている生命の変遷が分かります。太陽のような光源体となった文化を生んだ時代もあれば、その照り返しで生かされた時代もあります。照返しでも、光源が優れているから、あなどれませんが。ともかく中国は、文化で国土を治めた国でした。仁王経という仏典には「国土乱れん時は先ず鬼神乱る、鬼神乱るるが故に万民乱る」とあります。 この「鬼神」というのは、思想のことで、思想が全てに影響すると教えています。思想の違いが、形に表れます。そして、現れた形には、それを生んだ思想が定着しています。ですから、形は、思想の塊です。「鬼神」という思想の乱れを正したければ、形を正すことです。 乱れた形を見れば、悲しくつらい気持ちが心に生まれ、明るく豊かな形を見れば、楽しい気持ちが出てきます。 これまで世界を回ってきて、偉大な美のあるところが、永遠の幸せを約束するところだということを痛感します。形の力が、精神の力となっています。今は、精神を強くする形が失われており、「国土乱れ、万民乱れ」です。千年、二千年に一度の危機です。と同時に、千年、二千年に一度のチャンスといえるかもしれません。 山中 今が瀬戸際かもしれないですね。 田渕 中国もお金持ちが増えて物質的には豊かになってきました。今後の課題は、お金を何に使うかです。経済だけだと心が見えません。芸術は、歓びの心を形にできる。平和の思いを形にできます。芸術は人間性の光。芸術を携えてこそ、本当の対話になります。 4.土から宝が生まれた 田渕 彩文土器と黒陶の代表作です。中国の一番古い時代の焼物です。これらを見るかぎり、人間の精神文明は退歩しているといわれても仕方がないですね。ずぼっと中に入ります。生命自体に力があった時代です。 竹岡 今、こんなにすっきりしているものは誰も作れないですね。 田渕 眼を止め、足を止めさせるものが古代にはありますね。 [『饕餮(とうてつ)紋四足鬲(れき)』(商(殷)晩期 紀元前十五~十三世紀)を見て] 田渕 初期の王朝、商(殷)の青銅器の代表作です。この後の周の時代まで、青銅器は儀式上重要な位置を占めて作られました。国の抑えとして、堂々としています。模様もおもしろく、饕餮というのは伝説上の怪物で、その文字は「貪り喰う」という意味です。仏教が定着する要素をはじめからもっています。インドの梵語は表音で、中国の漢字は表意で、形です。形のある方に仏教が残るんです。 [『鳥蓋瓠壺』(戦国 前五~三世紀)を見て] 田渕 戦国になるとちょっとやわらかくなります。戦乱の世には諸子百家といってたくさんの学問が生まれました。現実をどうするかが一番の関心事で、自然から知恵を学ぼうとしてきます。そうすると、「私はこう見る」というリアリズムが生まれてきます。 5.兵馬俑の謎 田渕 これは、ごく最近(二〇〇一~〇三)の発掘で見つかった始皇帝陵の人体俑で、今まで知られていた武人の兵馬俑ではないものです。猛々しくなく、楽人や舞人とする説などが出されていて、いずれにしても文人や民間人だとみられます。 竹岡 これを見ると、秦は、やはり中国を統一するだけの力があったといえますね。 田渕 秦代までで形はこれ以上ないというくらい洗練され、形に生命も入っています。しかし、生命の持つ偉大な力、美しさが表現されていない。生命には、誰であれ仏・菩薩の境涯も備わっている。その一番の命題が解決されていません。縁なき衆生は度し難し、といわれるように、何に縁するかによって決まります。 仏教に触れる時代を待って、生命の全体を捉えた形が生まれます。 秦の始皇帝といえば兵馬俑が有名です。それを良しとする人もいますが、その根本は「死への恐怖」から生まれたものです。始皇帝は不老不死を求めたけれど、誰もがそうであるように死からは逃げきれなかった。老いや死を忌み嫌う現代文明に似ているともいえます。 すごく悲しい。不老不死を求めてさまよってどこまで行っても行き着かない。しかし仏教の生命観は違います。生命は、死でなくならない。仏教が栄えていく六朝から唐の時代の作品は、明るく楽しくなっていきます。 |