平成30年5月3日 ※本稿は、サンロータス研究所版の法華経『妙法蓮華経 開結』(パイロット版)の序を再録しました。
発願より七年余に亘る歳月をかけて、サンロータス研究所版の法華経『妙法蓮華経 開結』(パイロット版)の完成を見ることとなりました。 本書は真訓両読の体裁をとっておリ、真読には底本として春日本をもちいました。言うまでもなく春日本は、日蓮大聖人御所持の法華経であります。今日まで伝わる日蓮大聖人の御真蹟『注法華経』は、この春日本の行間に、あるいは紙背に、主に天台・妙楽等の要文が書き入れられたものであります。 本書では、文文句句はもとより、長行は一行の字数を十七字とする、偈文は、四字偈・五字偈は一行に四句、七字偈は一行二句とするなど徹底して春日本を再現することに努めました。 この結果、「勧持品二十行の偈」が実際二十行に収まり、また『法華文句』等に頻出する「〇〇より下の二行一句は〇〇を表す」といった箇所も正確に該当する部分を指摘できることになりました。研究者にとっての利便性は顕著です。 本書のもう一つの特徴は、科段に従って本文に文章番号を付したことにあります。添付いたしました折り本の科段とともに、法華経の理解を格段に促す工夫であると確信するものであります。 改めて法華経を精読してみると、「佛とは民衆のことである」との法理が全編に通底して説かれていることが、鮮明となってまいります。 法華経(妙法蓮華経)における釈尊の第一声は、「諸佛の智慧は甚深無量なり、其の智慧の門は難解難入なり、一切の声聞、辟支佛の知る能わざる所なり」(方便品第二、1・1)と智慧第一といわれた舎利弗に告げて、声聞・辟支佛といった出家等の知識階級を厳しく弾呵(弾劾・呵責)され、さらに「止みなん、舎利弗。復説くべからず。所以は何ん。佛の成就せし所は、第一希有難解の法なり。唯佛と佛のみ、乃し能く諸法の実相を究尽せり」(同、1・3)と諭されています。 そして、釈尊の最後の説法には、「若し是の経典を受持せん者を見ては、当に起ちて遠く迎うべきこと、当に佛を敬うが如くすべし」(普賢菩薩勧発品第二十八、3・7)とあります。この「当起遠迎当如敬佛」の八文字こそ、法華経における釈尊の結語なのであります。「法華経の精神を広めようとする人を、佛のように敬い迎えよ」との釈尊の遺言で締めくくられるのです。 こうしてみると、法華経は、一部の者の占有物ではなく、この経を広めんとするすべての人に開かれた、民衆のための経典であって、それこそが、法華経の本質であるといえるでありましょう。 その真実に達したとき、本文に文章番号を付した私どもの試みは、広く民衆に届けるという経典の精神にかなうものとして、受け入れられるに違いないと考えるものです。この文章番号が、今後刊行される国内外の法華経に共通して付されるならば、法華経研鑽は、例えば、言語の異なる世界の民衆と、より強く共有されるものとなり、得難いツールとなると思われるからであります。 法華経(妙法蓮華経)には「心に大歓喜を生じて」(方便品第二、5・16)、「踊躍歓喜して」(譬喩品第三、1・1)、「皆大いに歓喜して未曽有なることを得たり」(如来神力品第二十一、1・5)等々、随所に「歓喜」が散りばめられ、末尾の「皆大いに歓喜し、佛語を受持して、礼を作して去れり」(普賢菩薩勧発品第二十八、3・8)にいたるまで、「歓喜」は合計九十一箇所にも及びます。まさに法華経は「歓喜の経典」といえます。 この歓喜を呼びさます要因こそ、「自ら当に作佛すべしと知れ」(方便品第二、5・16)とある如く、法華経を求め広める人、一人ひとりがもれなく佛であるとの自覚であります。 ともかく、サンロータス研究所版法華経は、これまでにないものとの自負を抱くものではありますが、さりながら、私ども浅学菲才は思いもかけぬ過ちや陥穽にはまっているやもしれず、珠玉の経典に瑕つくることなきやと畏れるものです。 文章番号と科段の折り本を発案し、昼夜を分かたず情熱的かつ献身的にプロジェクトを主導された五味時作氏を筆頭に、廣野輝夫氏、陣内由晴氏、吉崎幸雄氏、吉永聖児氏、山田和夫氏、亀田潔氏、川北茂氏、山中講一郎氏、小倉伸一郎氏、原環氏、和栗弘直氏、寺嶋忠雄氏、そして、発刊に際して別紙に一文を寄せていただいた田渕隆三画伯、さらに、編纂にあたりご尽力いただいたすべての方々に、感謝申し上げます。 読者、諸賢の温かな御批正を賜りたく存じます。 二〇一八年五月三日 サンロータス研究所代表理事 竹岡誠治 |