平成30年4月10日 津山 田渕隆三作品展オープニングより
サンロータスの道 今日は、私、大変嬉しいのです。 美の巨匠の田渕隆三画伯と、これからの農業を変えるであろう田中節三先生、お名前も、最初が田、最後が三と、不思議な共通性がある、そのお二人が、生まれ故郷の岡山で、こうして一緒におられる。尊敬する両先生を、一度に目の前にできるなんて、これほど嬉しいことはありません。また、個展がかくも盛大に開催されていることに、強く感動を覚えるものであります。 今日は、出雲から人間科学研究所の小松昭夫社長、東京からいつも田渕先生の活動を支えてくださっている浜畑勲さんご夫妻、高橋範充さんご夫妻、それから、沖縄の渡嘉敷ご出身の小嶺信子さん、こういったご来賓が来られていますが、皆さまを代表して、ご挨拶をさせていただきます。 私は、いのちと健康にかかわる様々な仕事をさせていただいておりますが、そのなかで一般社団法人サンロータス研究所の理事長をさせていただいております。 サンロータスとは、太陽と蓮のことですが、これは、田渕先生と一緒にエジプトに行ったときに、「太陽はロータスが生む」という五千年前の古代エジプト神話があることを知りました。 蓮といえば、インドが思い浮かびますが、その淵源はエジプトにあって、太陽を生むのは蓮の力であるという、実に不思議な話でありました。 そして、エジプトを淵源にしてインド、中国、韓半島を経て、日本にまでつながる太陽とロータスの道がある。よく、東西を結ぶ道としてシルクロードがいわれますが、それよりも古く長いサンロータスの道ともいうべきものがあったとの感を、私たちは強くいたしました。 こうしてみると、法華経は、一部の者の占有物ではなく、この経を広めんとするすべての人に開かれた、民衆のための経典であって、それこそが、法華経の本質であるといえるでありましょう。 その真実に達したとき、本文に文章番号を付した私どもの試みは、広く民衆に届けるという経典の精神にかなうものとして、受け入れられるに違いないと考えるものです。この文章番号が、今後刊行される国内外の法華経に共通して付されるならば、法華経研鑽は、例えば、言語の異なる世界の民衆と、より強く共有されるものとなり、得難いツールとなると思われるからであります。 それが、サンロータス研究所の名前となりました。 サンロータス研究所が、最初に手がけたのは法華経の編纂で、このたびパイロット版の完成をみました。 それを記念して、田渕先生が「土の餅と白鳥」と題する一文を寄せてくださいました。 一部を紹介しますと、最後の方に、こうあります。 「美とは、いのちである。 いのちは、宇宙大である。 誰もが全宇宙を持っている。 誰もが永遠のいのち、仏性を持っている。 法華経こそ、生命の謎を解き、生命の全貌を表した経典である」と。 私は、田中先生のされていることも、この法華経に通じた活動であると思います。生命の謎を解き、人類の生命を強くする活動をされているわけですから。 美と農というそれぞれの分野で、法華経の真髄につながった活動をされている両巨匠が、ここに一緒におられることに、感動を覚えます。 法華経の精神 最後に、私どもの法華経に添えた私の「序」の一部を読みます。 「改めて法華経を精読してみると、『佛とは民衆のことである』との法理が全編に通底して説かれていることが、鮮明となってまいります。 法華経(妙法蓮華経)における釈尊の第一声は、『諸佛の智慧は甚深無量なり、其の智慧の門は難解難入なり、一切の声聞、辟支佛の知る能わざる所なり』(方便品第二)と智慧第一といわれた舎利弗に告げて、声聞・辟支佛といった出家等の知識階級を厳しく弾呵(弾劾・呵責)され(中略)釈尊の最後の説法には、『若し是の経典を受持せん者を見ては、当に起ちて遠く迎うべきこと、当に佛を敬うが如くすべし』(普賢菩薩勧発品第二十八)とあります。この『当起遠迎当如敬佛』の八文字こそ、法華経における釈尊の結語なのであります。『法華経の精神を広めようとする人を、佛のように敬い迎えよ』との釈尊の遺言で締めくくられるのです」 舎利弗というのはお釈迦さまの十大弟子の一人で、当時、お釈迦さまより有名だったといわれている人物です。その舎利弗がお釈迦さまの弟子になったと知った人々は、「あの有名な舎利弗が弟子になるくらいなら、よっぽどお釈迦さまは偉い方に違いない」と、舎利弗を通じてお釈迦さまの偉大さを知るという、そんな関係にありました。 その優れた舎利弗に対して「お前には仏法はわからない」との弾呵が、法華経における釈尊の第一声となっている。要は、権威・権力をふりかざして民衆をバカにするような既成の知識階級を否定されているわけです。 我々もかつて、葬式で僧侶がお経をあげないと故人の成仏はないなどと脅されたことがありますが、そうではない、法華経の最後に「当起遠迎当如敬佛」と「佛のように敬って迎えなさい」とあるように、法華経は一部の者の占有物ではなく、教えを広めんとする人すべてに開かれた民衆のための経典であると、示されているのです。 その意味で、法華経の精神を込めた田渕先生の生命の絵と、植物の生命力を解放して世の中を変えようとする田中先生のバナナという二つの融合、そして、今日、司会を務められた渡辺先生の備前焼が合わさって、法華経展開の将来像の一つの形がここに見られて、大変に嬉しい集いになったと思います。 皆さまのますますのご繁栄とご健勝をお祈りいたしまして、お祝いの言葉とさせていただきます。
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