『立正安国論』と『産湯相承事』にみる“神”の意志とは NPO法人 神戸平和研究所での講演記録 令和2年9月17日 ※本稿は、当日の内容をベースに一部加筆しました。 *神戸平和研究所とは 世界平和のために、宗教、思想、文化や歴史等の異なる者が集い共同して、過去の対立軸から協調軸への転換に資する可能な限り客観的な情報を発信する事を活動目的に、2012年、国際都市神戸に設立されたNPO法人
神戸平和研究所、理事の竹岡でございます。 最初に、私どもの大親友で、大病を克服され、ここに生還されたAさんに拍手を送りましょう。 さて、そもそも今年は、杣(そま)理事長と一緒に東欧のモルドバに行く予定で楽しみにしておりましたが、コロナ禍で飛行機が飛びませんから、残念ながら行けませんでした。コロナ禍が収まった後に、来年にでも、必ず実行していただきますよう、ここにお願い申し上げておきます。 そこで今日は、昨今の災禍の意味について、私なりの考えを、私の日頃親しんでまいりました文献を手掛かりに、かいつまんで発表させていただきます。 原爆被爆の一家に生まれる 私は、広島の生まれで、祖母は戦中、その広島で陸軍病院の看護師長をしておりました。 原爆投下の昭和20年(1945年)8月6日、祖母は患者さんの一人に付き添って舟入という爆心から少し南の町で被爆して、爆風で飛び散ったガラスの破片が身体中に刺さり、片目も失って、収容された学校の教室で生死の境をさまよいました。 母は当時17歳で、爆心より西3キロメートルにあった己斐上町の自宅にいて助かりましたが、祖母を捜して1週間、瓦礫の中を歩き廻り、瀕死の祖母を見つけ出したのでした。 そのため、母も残留放射能を受け、身体に強いダメージを受けました。 その後、祖母と母は、原爆症に苦しみながらも死を免れ、3年後、昭和23年(1948年)に生まれたのが私です。 つまり、私は被爆2世です。 私の家族は、原爆に起因した大変に悲惨な経験をしました。(詳細は竹岡誠治公式ウェブサイト「SUN-LOTUS.COM」MESSAGE「ヒロシマの宿命を使命にかえて」の項を参照ください) そのなかで、池田大作先生の指導される創価学会との出合いがあり、実際に創価学会によって我が家は救われた体験があって、物心ついた頃からSGI(創価学会インタナショナル)会長である池田先生を人生の師匠として仰いで、今日の私があります。 そうして報恩の人生を歩むなか、縁あって杣理事長と知り合って、世界を良い方向に変えていこうと、宗教・宗派の垣根を越えて多くの人が活動していることを知り、感動しております。 『立正安国論』と『旧約聖書』 来年で10周年となりますが、私は、平成23年(2011年)に、サンロータス研究所を立ち上げました。 サンロータスとは、太陽と蓮という意味ですが、その蓮華を題号に持つ仏教経典、妙法蓮華経、法華経を、私どもは研究してまいりました。 今日、ご紹介する『立正安国論』は、この法華経を最高の経典であるとの立場から日蓮大聖人が著されたことから、わが研究所にとって最重要の研究対象といえる一書です。「自家薬籠中」といったら語弊があるかもしれませんが、日常的に親しんでまいった私にとって、もっとも身近な一書です。 ところで、昨今のコロナ禍のなか、私は改めて、今日の世界宗教であるキリスト教、イスラム教、そしてユダヤ教の信者の方々が共通の聖典とされている『旧約聖書』の勉強を、真剣に始めました。 そして、『旧約聖書』を基盤に、キリスト教の皆様の活動、イスラムの皆様の活動、さらにユダヤ教の皆様の活動があるのをこの目で拝見するにつけ、そこに『立正安国論』との共通項があることに気が付き、私は驚いております。 日蓮大聖人が『立正安国論』を著されたのは、鎌倉時代の文応元年(1260年)7月、39歳の時でした。 当時、正嘉の大地震(正嘉元年〔1257年〕8月23日)という国を揺るがすような大地震が起こり、暴風雨、飢饉、疫病が流行るなか、大勢の人々が亡くなって路上に放置され、骸骨がいたるところに見られるという世相がありました。 そして「何故、このような惨禍に見舞われるのか」、その切実な問いから著されたのが『立正安国論』でした。 その結論は、「正しいものを用いよ」「正しい生き方をせよ」、それが惨禍を免れる方法であり、間違った生き方をする人々への警鐘として、地震があり、暴風雨、飢饉、疫病に見舞われるのだというものでありました。 その上、このまま改めなければ、他国から侵攻されるぞ、自国のなかに叛逆が起こるぞと、警告をして、正しい生き方をするよう訴えられたのです。 これに対して『旧約聖書』では、出エジプト記の「十の災厄」などが有名ですが、神が大風を起こし、洪水を起こし、疫病を流行らせ、バッタやイナゴを大発生させる。正しい信仰に励む人であっても、なかなか回復できないような大病を患う境遇にさせ、隣国から攻められ滅ぼされるなど、過酷な仕打ちを下される。 人類に対しての、こうした神の仕打ちは、一体どういうことなのか、何に気付けと言っておられるのかとの問いに突き当たります。 『旧約聖書』を読み込むうちに、まさに『立正安国論』とテーマは一緒ではないかと、ハッと思い当たりました。 『産湯相承事』と久遠下種の南無妙法蓮華経 そこで、再び、日蓮大聖人に戻って、その著作集(『日蓮大聖人御書全集』)を見ますと、『産湯相承事(うぶゆそうじょうのこと)』*というものがあります。 これは、大聖人が亡くなられた弘安5年(1282年)の相伝書の一つで、弟子で第2祖となる日興上人が、大聖人から口頭で伝えられたものを記録されたものです。 それは、先ほどの『立正安国論』を講義された後、ご入滅の前に、ご自分がもっとも信頼していた日興上人に、自身の父母が、どういう出自であり、それは仏法上、どういう位置付けなのか、さらには、ご自身の61歳までの闘いの生涯は、何のためだったのかといったことを語り遺されたものでした。 『産湯相承事』は「御名乗りの事、始めは是生・実名は蓮長と申し奉る・後には日蓮と御名乗り有る御事は」と始まって、それから母親のこと、父親のこと、日蓮大聖人出生時の出来事等が続きます。 最初の名前である「是生」については、後の方で「是生とは日の下の人を生むと書けり」とあります。このことは、日蓮というお名前はもちろんのこと、初めから、宇宙の中心であり、パワーの根源の象徴である太陽との関係が示唆されています。 そして「久遠下種の南無妙法蓮華経の守護神は」との文言があります。 この「久遠下種の南無妙法蓮華経」は、言い換えれば、目に見えぬ偉大なる者、「ゴッド」、「神」、あるいは「天」、「サムシング・グレート」等と様々に置き換えられるかと思いますが、これは、生きとし生けるあらゆるすべての生命、草木、大地を含む宇宙のすべてを、過去から未来永遠に動かしていくパワーの根源を指すものといえると思います。 天照太神ゆかりの日御碕 この文言を続けると「久遠下種の南無妙法蓮華経の守護神は我国に天下り始めし国は出雲なり、出雲に日の御崎と云う所あり、天照太神始めて天下り給う故に日の御崎と申すなり。」とあって、この「久遠下種の南無妙法蓮華経」を守る神は、我が国では天照太神であり、出雲の「日の御崎(日御碕)」に最初に天から降り立たれたとされています。 実は、2週間ほど前、行くべき用事があって、足を伸ばして、この日御碕に、私の尊敬する田渕隆三画伯と行ってまいりました。画伯ですから、田渕先生は、ここで岬の絵を描かれましたが、日没時には、沈む夕陽に向かって海に光の道ができて、太陽神である天照太神との関係を思わせました。 根源のパワーを護る働き ともかく、この文言の後に、実はこれまで読み飛ばしてきたのですが、大変に重要な記述があります。 それは「我が釈尊・法華経を説き顕し給いしより已来十羅刹女と号す、十羅刹と天照太神と釈尊と日蓮とは一体の異名・本地垂迹の利益広大なり」との文言です。 「十羅刹女」とは、法華経(陀羅尼品第二十六)において「法華経を読誦し受持せん者を擁護し、其の衰患を除かんと欲す」と、法華経を信じ弘める人を守護することを誓った10人の鬼神で、私が朝晩拝している曼荼羅にも、中央に「南無妙法蓮華経 日蓮」とあるそばに、天照太神、八幡大菩薩等とともにしたためられています。 この「十羅刹と天照太神と釈尊と日蓮とは一体の異名」とあるのを読んで、私は「そうだったのか」と気付きました。 それは「久遠下種の南無妙法蓮華経」、すなわち『旧約聖書』でいうところのゴッドであり神と同義であるところの、私たちを生かしている根源のパワーの存在を認め敬い、それに適った正しい生き方を弘め伝える人の、その守り神が、十羅刹女であり、天照太神であり、釈尊であり、日蓮大聖人であるということです。 そのことを、死ぬ間際に明かされた日蓮大聖人は、聖書に登場する預言者、これは、未来がどうなるといった予言者ではなくて、神から託された言葉を説き、神から託された行動をする人のことですが、この預言者に当たるのではないかとも思いました。 また、杣理事長と神戸平和研究所のされている活動も、こう生きろ、世の中をこうするのだとの、神から託された正しい生き方を体現し世の人々に気付かせる、預言者としての活動をされているのではないかと、改めて認識いたしました。 牧口常三郎の諫暁 創価学会のことでいえば、創立者である牧口常三郎初代会長は、戦前、日蓮仏法に帰依して、法理を実験証明する在家組織である学会(当時は創価教育学会)を作るわけですが、戦中、軍部政府に異を唱えた結果、逮捕され、昭和19年(1944年)11月18日、巣鴨の東京拘置所で殉死します。 具体的には、政府が国民に強制した戦勝祈願の神札の掲示を拒否したのです。 その神札とは、天照太神の神札です。軍部政府は、天照太神を利用して、戦争を進めていったのです。 牧口先生は「誤って、天照太神を利用するのはいけない。誤って使った場合は、神は天上へ引き上げてしまって、護られなくなる。このままでは国が滅ぶ」と、反対したのです。 それに対して、日蓮仏法を正しく保つべき日蓮正宗の宗門は、弾圧を恐れて、だらしなく政府に迎合し「神札を受けるように」と告げます。 牧口先生は「何を言うか。今こそ国家諫暁(かんぎょう)の時ではないか。『立正安国論』を著して時の権力者を諫められた日蓮大聖人の精神に立ち返る時ではないか」と、断固拒否して、殉死となるのでした。 牧口先生を死へ追いやった国は、戦争に敗れ、史上かつてない多くの人が犠牲になり、亡国の悲哀を味わうこととなりました。 このことの意味をいえば、「間違って神を崇めてはいけない」ということを、牧口先生が身をもって示されたということです。 牧口先生が逮捕された時(昭和18年7月3日)、同時に学会の幹部21人も逮捕されました。 逮捕された幹部たちは、その後、一人を除いて全員、退転、そして、神札を受けます。 そのなかで、理事長であった戸田城聖先生のみが志を曲げることなく生きて、戦後に創価学会を再建していきました。 戸田先生は「この地球上から悲惨の二字をなくしたい」と、創価学会を弘める運動をしていかれるのですが、その中心には、あらゆる生命の尊厳を説いた法華経がありました。 法華経の説くところを中心に生きるのだ、誤った生き方をしてはいけないと、創価学会の第2代会長として、折伏という宗教上の言論闘争を起こされたのです。 その思想内容は別の機会に譲るとして、ともかく言わんとするところは「悲惨の二字をなくす」、そのためには、正しいものを用いて、正しい生き方をしなくてはならないという叫びです。 そして、わが人生の師匠、第3代会長である池田先生は「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」(小説『人間革命』第1巻まえがき)と綴られました。 正しく敬い、正しい思想を弘める生き方を 要は「一人の人間における偉大な人間革命」がすべての根元ということです。このことを、コロナ禍のなかで、なおさら重要なことだと気付かされました。 それは、一人の人間の生き方を変える、そして、その人間どうしの連帯を広げる、こういう行動のなかにしか、災禍を乗り越える道はないということです。 同時に、何故、われわれはコロナ禍にさらされるのか、何故、こんなにも様々な災害が起こるのかといった疑問が立ち現れてきます。 オーストラリアやアメリカ西海岸の大規模火災、日本は大水害にもやられました。中近東からインド、中国にかけてイナゴやバッタの大襲来で農作物に甚大な被害も出ています。 世界規模でのこの惨状は、まるで『旧約聖書』でもたらされた災禍そっくりです。『立正安国論』や『産湯相承事』での警鐘も含め、われわれは何に気付くべきか、神の意図するところを真剣に考えるよう促されていると言わざるを得ません。 ともかく、私の場合は創価学会の立場ですから、初代牧口先生の「天照太神を、他国を攻めるのに利用するのは間違っている」「誤って尊敬するのは、いけない。そうすれば、一国が滅びる」と警告されたことに始まる、正しく敬い、正しい思想を弘めるという、一人の人間の生き方を正す人生を歩み、同じ道を進む人を護る生涯を送ることだと思います。 私の考えをまとめますと、『産湯相承事』での「久遠下種の南無妙法蓮華経」は、言い換えれば「ゴッド」、「神」、あるいは「天」、「サムシング・グレート」であり、それを護り弘める「久遠下種の南無妙法蓮華経の守護神」、つまりは使徒であり預言者が、キリストであり、ムハンマドであり、孔子であり、釈尊であり、日蓮大聖人であり、私の尊敬する池田大作先生であり、さらに、ここに集われる皆様ではないかということです。 このような認識が多くの人々に迎えられたなら、対立する世界の高等宗教がまとまるきっかけとなり、世界を平和へと協力させる端緒となると考えられます。 そして、様々な名称があるにせよ、「正しく生きることに気付けよ。正しいものの存在に気付き、正しくそれを護りなさい、そこに立ち返りなさい。それによって『安国』があり『天国』があるのだ」といった意味で、神は疫病を流行らせ、大洪水が起こされ、他国から攻めさせ、イナゴやバッタを大発生させ、大火災を起こさせて、警告されているのだと、コロナ禍のなか確信するにいたったわけです。 以上、限られた時間でありましたが、昨今の状況下、私の思うところを、この場を借りて発表させていただきました。 杣理事長、発表の場をいただき、ありがとうございました。皆様、ご静聴、ありがとうございました。
*注 『産湯相承事』について 『産湯相承事』については、真作ではなく後世の疑作であるとする研究もあり、引用はいかがなものかとの指摘が講演後にありました。しかし本講演で取り上げた部分は内容的に重要であると考え、そのまま掲載致しました。 |