松下 雄介 「雄さん、田渕隆三先生のかばん持ちで、ロータスの道、世界の芸術の道を旅し、勉強しよう。そして50代、60代を拡こう!」 竹岡誠治さんが我が家に初めて訪問してくれたのが、ちょうど20年前、私が37歳のときのことです。3ヶ月間の入院生活を送り、経済的に苦しい時でした。その我が家に太陽の瞬光と清風を送り続けてくれたのが竹岡さんでした。素晴らしい人々との出会い。素晴らしい作品との出会いの機会を与え続けてくれた人でした。もし、私の人生で竹岡さんとの出会いがなければ現在の私はいない、と確信するとともに、多大な感謝の意を抱いております。 実は私には、33歳のときの苦い経験があります。当時、写真家・並河萬里氏、女優・磯野洋子氏と私とで行った「日曜てい談」という企画がありました。シルクロードを30年間歩き続け、写真を撮り続けた並河先生の、迫力満点な体験を通したスケールの大きな語らいと知識の深さに圧倒され、てい談でありながら何ら語れない自分がそこにあったのです。 その夜はホテルの一室で、悔しく、情けなく、不甲斐なく、眠れない時間を過ごしました。しかし、同時に「いつの日か、芸術論、文化論を陶芸を通じて語ることの出来る人間になりたい」と祈り続けてもいました。その願いを叶えられるチャンスを、竹岡さんから与えられたのでした。 美術紀行中は、私の期待通り、三度も涙を流す場面に遭遇しました。手の中に収まりそうなガンダーラの彫刻が、圧倒的な存在感をみるみる放ち始めたとき。暗いはずのゴッホの絵がどの絵よりも明るく輝いて見えたとき。何より感動的だったのは、最終地のインドで「獅子柱頭」の前に立ち、田渕先生と竹岡さんと語らい合った一時でした。 「精神性の高さ」、「師弟」について話し合うそのとき、私は、芸術の持つパワーをや純粋性、普遍性、永遠性などを、実感として感じることの出来る自分に気づいたのです。それは、「いつのまにか、感じられる自分に変えてもらっていたと」いうことなのです。 田渕先生を中心とした語らいの場は、かつてのてい談と同様に苦しい修行の場でした。しかし、「かばん持ち」の仕事は、時に先生が水彩画を描く際の「水持ち」係として、最高の修行の場を与えてくれるものでもありました。何故なら、素晴らしい芸術の前で、さらに田渕先生のスケッチをじっと見据えることの叶う場であったからです。その場を与えてくれたのは、他でもない竹岡誠治さんです。 今でも我が家には、明るい瞬光が降りそそぎ、心地よい清風が吹き抜けています。 |