後藤 隆一 2006年9月30日、第6回公明党全国大会で来賓あいさつを行った堺屋太一氏はこう述べております。 「―――日本が直面しているのは『世紀の大変化』だ。明治維新以来の近代工業社会と絶縁し、新しい時代をつくる、まったく新しい歴史的発想が大事だ。ジグソーパズルを一コマ一コマ塗り替えるのではなく、できあがった全体像がどうなるのか、これを書き換える必要がある。1980年代から文明は大きく変わった。それまで追求してきた物財の大きさではなく満足の大きさが問われるようになった。 この変化を捉えられなかったためにあの『空白の10年』が生じた。平成になって18年、12の内閣が改革を進めてきたが、それはジグソーパズルの一コマ。全体像は変わっていない。部分だけを変えたから、全体がますます見えにくくなった。日本は新しい形の産業社会をつくっていく必要がある。私たちの子どもたちが、孫たちがどういう日本に向かって進むのか、絵を描いてもらわなければならない。これは官僚ではなく、国民と直結した政治がやっていくべきだ。私が公明党に期待するのはそのことだ」(要旨) というのです。 世界の知性にとっては当然のことですが、私は日本の指導者階級から、こういう歴史意識を聞いたことはありません。私は、堺屋さんを見直したのでした。しかし、70年代の初めから池田先生が世界の知性と対談なさってきたことは、この全体像の書き換えではなかったか。また「ヒューマノミックス」の旗を掲げた小島慶三さんたちの運動でもあった。私たちの「人間主義経済学」は、その全体像に社会科学的内容と体系を与えようとするものでありました。「新しい歴史的発想」「新しい形の産業社会」「全体像を書き換える」―――よくぞ堺屋さんは、公明党を前にして言ってくれたものだと思いました。 こうした問題を取り扱うためには、深い人間哲学に根ざした社会科学的研鑽が必要とされることは言うまでもありません。「全体像を書き換える」こと―――「人間主義経済学」はそのためのものなのです。 私はこのことを、私の友人であり同志である竹岡誠治氏に伝えました。私にはすでに準備ができている。アダム・スミス以来、経済学は立法者、政治家のための「変革と解放の学」なのだ。まして、「立正安国」の現代版である「人間主義経済学」においてをやであると。この不思議な参謀中の参謀は、私の心を一言の反問もなく理解してくれたようでした。本日はこれで終ります。
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