2009年12月15日 10日の早朝、ゾリカンの丘に登ると旭日が昇り始めローツェの頂上に陽がさした。感動の瞬間だ。田渕先生はその瞬間をとどめるために早速描き始めていた。「美と芸術には思想と哲学が反映します。永遠に残る芸術という形には、偉大な思想、哲学が必要だ…」と田渕先生が休憩所で語り始めた。 田渕先生の熱い話に人の心が動いた瞬間、「どこから描き始めるのですか」と豪太さんが質問をした。 「そこの空気でしか描けない顔があるんだ」と田渕先生は道の途中で筆を取りだし瞬間をとらえていた。 「ついたあ」
歩いてきた道を、自然を語り合いながら夕食の楽しいひとときが過ぎていく。 西側の窓を見ると、幽玄な趣の中をまさしく陽が沈もうとしていた。今回の旅のために新しく買い求めたニコンのカメラのシャッターを何回切ったかわからないほど、夕日と山と、空と雲と風が織りなす芸術は素晴らしかった。
田渕先生はホテルの裏山に登って、この夕日と山が織りなす芸術を知っていたかのように筆を握っていた。キャンバスにはヒマラヤの自然と一体となった田渕ワールドが無限にひろがっていた。 翌日はクムジュン村の中を通りながら4200mのクンデピークに登った。ホテルから3〜400メートル登るトレッキングだが4時間近くかかった。その場所や空気で山は常に姿を変えてくれる。ヒマラヤは感動の連続だ。
針葉樹、広葉樹が入り交じった間から、山が形を現すさまを借景にして紅葉をほめることができたときは、生への喜びを噛みしめた。 奇しくもこの日は村のお祭りの日で仏さまに香りと煙で供養を捧げていた。やはり村人たちも生への喜びを分かち合っていたのかもしれない。 村ではヤクを使って農耕をしている。麦やジャガイモを作っているような話をきいた。そこで生活している人たちと触れ合うのは旅の楽しみでもある。 今日はヒラリー卿が建てた学校での歌のコンサートを企画している。地元の子供たちに歌で真心を届けたいとの思いからだ。学校の講堂のようなところに集まってもらい、声楽家の大野先生が日本の心を歌った。
地元の子供たちからはお返しの歌と踊りがあった。そこには自然と出てくる暖かさが感じられた。ここの空気と同じように擦れていない清らかさを、日本と比較してもしょうがないことだが、そんな風に思ったメンバーもいたかもしれない。 友人のOくんが世界最高峰のエベレストビューゴルフクラブ?の3番ホールで、バンカーから脱出を計っている姿にちょっとシャッターを切ってみた。 ヒマラヤの山々に陽が暮れていく。雲の合間合間からさす光が一瞬一瞬変わっていくさまに息をのむ。雄大な自然に包み込まれ一つになっていった気がした。 豪太さんのサインも入った故祖父三浦敬三氏のメモリアルプレートの前で、笑顔で絵になってもらった。最初に会ったときに一目惚れをして以来、ずーっと惚れっぱなしだ。本当にナイスガイだ。 |