2011年4月
南極へ行って来た。
三浦雄一郎氏を隊長とし南極の島々や大陸に上陸し、南緯66°33'を超えて南極圏に入ってきた。この探検の旅は、(株)グローバルコースビューローが企画したものでオーナーであり会長である古木康太郎氏が自らツアー総責任者として全ての行程に同行した。
探検旅行のきっかけは三浦豪太氏である。
2009年4月にネパールのエベレスト街道を田渕隆三画伯と共に旅をして、宮原巍(たかし)氏の造ったエベレストビューホテルに行って以来だ。このときは4200mのクンデピークへ同級生の大歳卓磨氏が一緒に登った。
同年11月に再びエベレスト街道へ。2010年5月には三度エベレスト街道への旅を企画し、カラパタール5400mに友人の牧野頴一氏と共に挑戦した。
このエベレストの旅の目的は、エベレストを中心とするヒマラヤ山脈の大パノラマを美の象徴として後生に残そうとする田渕先生のライフワークを指示するためだった。今回併せて三浦豪太氏の人格に惚れ込んだ私や牧野氏、大歳氏を中心として、「大人の探検学校・豪太会」を作ろうということになった。
私は会員制のクリニックの仕事をしている関係からアンチエイジングには深い関心を寄せてきた。元々、三浦豪太氏は順天堂大学大学院教授の白澤卓二先生からの紹介で、10歳若返るアンチエイジングツアー斑尾高原で初めて会った。
私のところは会員制のクリニックなので、メンバーの健康チェックの精度は日本一といってよいくらい高く、何か異常があった時は、いち早く慈恵医大病院をはじめとして、提携先のその道のナンバーワンのドクターが万全の体制でするようになっている。
しかし、病気にならない為にはどうするか、あるいは何か異常があった時に、薬に頼らないで自助努力で改善するにはどうするか、という点については、しっかり取り組んでいるとはいえ、今一歩である。
そこでモデルとなった一人が、豪太さんのおじいさんである故・三浦敬三氏である。氏は101歳までスキーの現役であり、いつもスキー技術の向上を目指して、たゆまぬ研究を重ねてこられた。また、もう一人が三浦雄一郎氏である。
氏は70歳で豪太さんと共に親子でエベレスト登頂を果たし、75歳で再び挑戦、最高齢者の記録を塗り替えられた。さらに、80歳で3度目のチョモランマ登頂の為、日々努力を続けられている。また九州の、しいのみ学園理事長のf地勝人氏は104歳で世界講演旅行を続けられている。
白澤卓二先生の説で、アンチエイジングの基本は3つ。
一に食事(カロリーを70〜80%に制限する)
二に運動(しっかりしたリーダーの元で運動を行う)
三に生き甲斐(常にときめきを持つ)
この食事と運動についても、ドクターから指摘されたり、頭では分かっていても、なかなか実行するのが難しいのが実情ではなかろうか。私もそうであるからだ。私の場合、血糖値が高く(空腹時で180前後、ヘモグロビンA1cが8前後)、いつも「カロリーを減らして運動してください」とドクターから指摘されても、なかなか実生活のリズムとつきあいの上から成果が出なかった。
データを元に薬の量が調合されるのであるが、根本的に薬抜きで血糖値コントロールを行うにはどうしたらよいかが大きな課題でもあった。
そうした中で白澤卓二先生と出会い、三浦豪太氏と出会い、私の生涯のテーマである「美と芸術と祈りで、この地球上から悲惨の二文字を無くす為に田渕画伯を支持する」活動から田渕先生を紹介し、エベレスト街道の旅となったことは他の機会にも詳しく述べた。
そうした流れの中で、常に生き甲斐を持って、ときめきを持って、100歳以上になっても自分の足腰で生活し、社会貢献する為に、大人の探検学校を作ろうという事になった。スキーや山登り、カヌー、沢登り等々、大人がワクワクするような催しや、旅を企画しようということになった。
そうした話し合いを積み重ねる中で豪太さんから、
「エベレストビューホテルに行くなら、宮原さんのところのヒマラヤ観光、
その先のエベレストを目指すには、お父さんの雄一郎氏の
バックアップをしている貫田さんのところのウェックトレック、
そして様々な世界への角度のしっかりした旅の企画をしているのは、
(株)グローバルビューローの古木康太郎氏である」
との示唆をいただいた。
すでに宮原氏、貫田氏は何度もお会いしているので、一度古木氏とこの件についてゆっくり打ち合わせ、懇談を行おうということになった。ところが、古木氏は自ら世界を飛び回っている方で、なかなか日程の調整がつかなかった。
そうこうしている中で豪太さんから、古木氏が企画され、お父さんが隊長で南極に行く企画があるから、是非どうですか、とのお誘いを受けた。
去年(2010年)の10月頃、三浦家の長女で三浦ドルフィンズの社長をされている三浦恵美里さんから「竹岡さん、去年船がスクリューの故障で、この企画自体が先延べになって来年になりました。南極はもの凄く環境保全が厳しくて、大陸に上陸するのもかなり制限されていますよ。今回が最後になるかもしれませんよ」との一声で、よし行こうと腹を決めて牧野さんをお誘いした。
そんな中、ようやく古木会長との面談が実現した。
何回かのすりあわせの後、2010年12月8日、牧野さんの得意エリアである駒形で"どぜう"をつつきながら、古木、牧野、大歳、三浦豪太、竹岡で「大人の探検学校・三浦豪太会」の結成大綱が決まった。
会長は前から牧野さんがいいということになっていて、古木、大歳、竹岡は世話役に徹することが決まった。これは3月10日、ミウラドルフィンズ2階での豪太会結成にいたるのであるが、その詳細については別項に譲ることとする。
前置きが長くなったが、こうして南極行きが実現した。
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