2011年7月26日〜8月5日 デンバーに移動した我々を出迎えてくれたのは、小池清通氏と中村壮一氏であった。小池清通氏は浜松出身の写真家であり、デンバー在住。1986年、池田先生がデンバー大学で名誉教育学博士号を授与された時も立ち会っておられる。 また、中村壮一氏もデンバー在住の青年実業家で、池田先生の大ファンである。中村氏と私は旧知の間柄であり、今年のはじめ、一緒にあきる野にあった田渕先生の画廊へ赴き、先生とお引き合わせをした。 ロッキー山脈の麓に位置するデンバーは、池田先生をして「ここに世界の大拠点を作ろう」と言わしめた地であり、私も以前から大変興味を持っていた。そんな「いつか訪れてみたい」という想いが遂に実現した瞬間だった。 小池氏、中村氏の車に分乗し、いよいよロッキー山脈へ向かって移動開始である。途中、1909年に建設されたスタンレーホテルを訪ねると、田渕先生は早速美しいホテルの外観を描き始めた。 さらに我々はロッキー山脈の懐深くへ入っていった。 翌日、デンバーから南に約400キロ離れたクレストンへ向かった。幾層にも山々の峰が連なり、360度四方に雲がわきあがって、目の前に迫ってくる。ロッキー山脈の雄姿はこれまで経験したことのない、息を飲むほどの迫力があった。 雄大な自然の宝庫であるクレストンは、ネイティブアメリカンの人たちから”不戦の地”と呼ばれ、”いかなる理由があれど、この地で戦ってはならない”、とされている、彼らの聖地だ。数々の宗教団体の施設も此処に置かれている。 また、そこで我々は、ロッキーの大自然もさることながら、素晴らしい出会いを体験した。中村壮一氏の親友で、アメリカを代表する実業家、ディビッド・レオナルド氏を紹介されたのだ。 レオナルド氏は彼の広大な私邸に我々を招いてくださった。田渕先生の絵を高く評価され、意気投合したレオナルド氏は、これから先生への協力は惜しまないと仰り、来年の夏、このデンバーの地で先生の個展を開こう、という話まで飛び出すほどだった。 デンバー滞在最終日、グレートサンドデューン国立公園を訪れた。そこはサングレ・デ・クリスト山塊の裾野に広がる砂丘地帯であり、北米最大、またもっとも標高の高い位置にある。どうしてこんなものがこの地に出来上がったのか、いまだに謎は解明されていないが、田渕先生は「この砂丘は生命の源の色をしている」と仰った。 車で少し進んだ場所に大きな一本の松の木あって、田渕先生はその絵をスケッチしながら「来年はここに腰を落ち着けて油絵を描く」とも宣言された。もしかしたら、その絵がデンバーで開かれる個展に展示されるのかもしれない。 8月1日。我々はデンバーからボストンへと飛んだ。 仏教がインドから中国へ伝わり、建立された最初の寺が白馬寺だと聞く。仏教のことを白馬の教えとも言うが、これは、数多の重要な教典が白い馬の背に乗せられて中国へ渡っていったことが謂われなのだそうだ。 そして、いよいよ今回の旅のメインイベントとも言える「メトロポリタン美術館」に足を踏み入れる時がやってきた。 ところが、入り口のすぐ右側にエジプトコーナーが設けられており、そこで立ち止まられた田渕先生は、もうそこから一歩も動かなくなってしまったのである。 ようやく閉館時刻間際の10分間のみ、我々は印象派の絵画を鋭く鑑賞することができた。その僅かな時間の中で、田渕先生は裸婦の描かれたルノワールをスケッチされ、「人間の輝きそのものだ」と賛嘆の声を漏らされた。 後ろ髪を引かれる思いを抱きつつ、こうして我々は念願のメトロポリタン美術館を後にした次第である。 |