中編 きっかけはエベレスト街道を行くトレッキングの旅でした。私は前々から田渕隆三画伯という美術の先生を尊敬申し上げており、これからの世界を変えるには美と芸術という存在が必要不可欠であると考えてきました。 その田渕先生を豪太氏に紹介しました。おりしもインドのカンチェンジェンガの山を画いてきた直後でした。その絵を見て豪太氏は「すごい!こんなに山の空気を画ける画家はいない。田渕先生、お父さんと行ったエベレスト街道を是非画いて下さい。そこには日本の宮原さんという人がつくったエベレストビューホテルというのがあって、約4000mの所です。そこから見るヒマラヤの山々は感動というしかありません。世界一の絶景です。是非そこに行って下さい。そして田渕先生の目で見たエベレストを画いて下さい」 すると田渕先生は「私はメタボで、1日座って絵を描いているし、山には登った事はないですし、もう65を超えてますから無理ですよ」「いいえ、できます。私の父は75歳でエベレストの頂点に2度立ち、80歳で三度目の挑戦に挑んでいるところですよ。登山指導は私がしますから、一緒に行きましょう」という事で、引き合わせた私も全く登山の経験は無かったのですが、早速高尾山のトレッキングから訓練を始めました。 山に登ってみると何と爽快な事。「はい、足と呼吸を合わせて」「上り坂の階段では一呼吸おいて」「吐く事を中心に・・・」。 田渕先生はヒマラヤの山々の素晴らしさに感動し「モネがライフワークとして90mの大壁画を睡蓮をテーマに作製したように、私はエベレストをテーマに90mの大壁画をライフワークとして取り組む」と宣言をされました。それからは何度もエベレスト街道に行かれています。今では専用の馬まで飼育されて、一人で極寒のヒマラヤ山脈を画かれています。昔のヨタヨタしたメタボから色も黒くなり、今ではすっかり山男のようになりネパールであったらきっと現地の人と思うかもしれません。 一方の私は、田渕先生と初めてのエベレストビュートレッキング以来、すっかり山のとりことなり豪太氏の指導のもとにネパール側のエベレストベースキャンプ少し手前のカラパタール(5400m)やキリマンジャロ山へも出かけて行きました。2010年10月には雄一郎氏豪太氏にお供し、メラピークの遠征にも参加しました。そして「大人の探検学校・豪太会」として多くの仲間が増えて行きました。 そうした中で2011年1月、三浦雄一郎氏を隊長に南極の探検に出かけました。南極まで行くのは大変でした。成田からローマに飛び、そこからアルゼンチンのブエノスアイレスへ。一泊して飛行機で四時間南下して、ウッシュアイアーという最南端の町まで行きます。そこで、探検船をチャーターして約2週間の船旅です。途中、世界最大の海の難所ドレーク海峡を渡ります。上下左右に激しく揺れる中を、ひたすら我慢して3日間。やっと南極が見えてくるのです。 そこで素晴らしい出会いがありました。長期の船旅なので、いくつものイベントが用意されているのですが、その中に海洋学のゼミナールがありました。講師は北海道出身で雄一郎氏と同級生で無二の親友ともいえる本庄丕(ほんじょうすすむ)先生です。先生は海洋学の世界的な権威(米国・ウッズホール海洋研究所・名誉教授・理学博士)で、アメリカボストンの郊外に住まわれています。雄一郎氏が「まるでヒマラヤ山脈を洋上に浮かべたようだ」と絶賛された南極大陸を窓の外に見ながら、本庄先生の海洋学講義を聞くのは至福の時でした。 ※3)太陽とロータス/花のアフロディテ/サン・ロータスの道(以上3冊共著) |